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R.I.P. 杉田誠一No. 324

杉田誠一さんへの追悼文 by 大村幸則

杉田さんと知り合ったのは1970年代の後半、もう半世紀も前のことだ。レコード会社の洋楽宣伝を担当していたとき、情報誌の仕事をしていた杉田さんが新譜リリース情報を求めてやってきたのだ。雑誌JAZZを創刊号から読み込んできた私はすぐにあの杉田さんだと気づいた、思わず「あの杉田さんですよね」と言ってしまったのだが、そこから親交は深まっていき、長い付き合いとなった。出会ったのは雑誌JAZZが休刊となり、著書『ぼくのジャズ感情旅行』が刊行されて間もない頃で、杉田さんにもいろいろあったはずの時期なのだが、不思議と気持ちの良いお付き合いが続いた。

杉田さんというと真っ先に思い出すのは、1980年に私が杉並に自宅を建てたときのことだ。彼は、「オレが新居の写真を撮ってアルバムにしてやるよ」と言ってわが家にやってきたのだが、準備が終わったところで一杯やり始めたら止まらなくなってしまい、気がついたら夜が明けていた。私は会社へ行かねばならず、杉田さんも用事があったので、ついに写真は撮らずじまい。その後はなかなか機会に恵まれず、ついにアルバムの話は幻となってしまった。他にもそんなエピソードはいくつもあるが、ここで披露するのは差し控えさせていただくことにしよう。

体を悪くしてからもジャズへの情熱を失わず、ジャズ・クラブ経営にまで乗り出した杉田さん。彼のジャズに対する考え方はとても(彼の好きだった言い方をすれば)オーセンティックなもので、常に厳しい批評眼をもって接していたが、ジャズに向ける眼差しは、とても暖かく、限りない優しさに満ちたものだったように思う。

私よりたった3学年上だっただけの杉田さん。それにしてももう少し生きてほしかったものだ。ほんとうに残念。近々そちらでお会いしましょう。


大村幸則 おおむら ゆきのり
1949年東京生まれ。O型。慶應義塾大学経済学部卒。中学2年のときにジャズと出会い、衝撃を受けてそれまで聴いていたクラシックやポップスのレコードを全部売り払ってしまう(後に後悔)。71年に大学を卒業してポリドール株式会社(現ユニバーサル)へ入社。洋楽宣伝などを経てECM、enjaなどを担当、マイナー・レーベルの輸入も手がける。91年に退社、家業を継ぎつつジャズ・ジャパン、レコード・コレクターズ、HIVIなどに執筆。ジャズ以外の趣味:クラシック音楽、雑多な読書、ゴルフ、美味しいものを食べること、等々。

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