ニューヨーク:変容する「ジャズ」のいま 第16回 追悼:ジェリ・アレン
A Prayer for Peace
6月の終わりに、ジェリ・アレンが60歳という若さで突然この世を去った。それは私にとっては寝耳に水で、にわかには信じられないことだった。あの若々しく凛とした佇まいでまだまだ何年も先まで現役で演奏し続けてくれるものだとばかり思っていた。最後に彼女の演奏をライブで聞いたのはジャズ・スタンダードで、オリヴァー・レイク、レジー・ワークマン、アンドリュー・シリルとの共演だった。メアリー・ルー・ウィリアムスの曲を演奏していたと思う。確かその年の夏にも、ハーレムのマーカス・ガーヴェイ・パークで彼女自身のグループでの演奏を聞いた。よく晴れたその日の野外ステージでは、スタイリッシュな紳士淑女達が思い思いに着飾り、ジェリのピアノ演奏と紡ぎ出すリズムと色彩に華を添えていた。
ここ数年の間に、ジャズの歴史に深く貢献してきた名手達が次々に人生の幕を閉じていった。チャーリー・ヘイデン、ポール・モチアンにオーネット・コールマン。それぞれの訃報を耳にする度に、私達はひとつの時代の終わりを感じてきた。音楽そのものは時間に抑制されはしないと分かってはいても、偉大なミュージシャン達は過去にも未来にも存在しているという都合の良い錯覚に身を浸していても、実際にその人が死んだと言われると、ひとつのピースが失われたまま完成しないパズルを持て余した様な何ともいえない淋しい気持ちになってしまう。失って初めて気づくというのとは少し違うかもしれないが、ジェリの早すぎる死は日を追うにつれてじわりじわりと私の体の内側にあるものを重く湿らせていった。ステージに居る彼女を見たことは何度とあっても、実際に言葉を交わしたことなどはなかった。ただ単に時空を超えてピアノという同じ楽器を通して音楽的体験を共有していた、それだけのことなのに、いや、その間接的な「それだけの」関わりが、まるで血を分けた家族を失うような感覚にさせるのは、きっと同じ楽器を弾くミュージシャンにとっての血、すなわち体を巡る旋律やリズムを私は彼女から分け与えてもらったからなのだろうと思う。
Obtuse Angles
ジェリ・アレンの素晴らしさについて語る時にまず述べておきたいのは、彼女がいかに越境する音楽家であったかということだ。ビバップの伝統に忠実で非常に技術的な演奏もさることながら、構築されたものを美しく破壊し、フリーの領域に泳いでいくことも物ともしない。いや、彼女の場合には破壊だとか脱構築であるとかいう言葉は似合わない。音楽の中で「構築されたもの」自体はまるで砂の城の様なもので、一見そこに有る様に見えるその形が実は有機的で流動性を持った無数の粒子の集まりにすぎないのだということを私はジェリのピアノから教えられた。そういうエレガントな柔軟さをもったピアニストは、考えてみれば彼女の時代には稀だったのかもしれない。現代のシーンで言えば、例えばトーマス・モーガンやタイショーン・ソーリーの様にあらゆる種類の音楽的背景にいとも簡単に馴染むことのできる変幻自在な奏者は少なからず存在するが、80年代にすでにこういった越境性を体現していたという点でジェリ・アレンは実に先駆的なミュージシャンだった。
ジェリ・アレンを軸にしたジャズの年表というものを頭に描いてみると、80年代は音楽的に充実していた時期だと言えるかもしれない。M-Base派のミュージシャンの一人としてスティーヴ・コールマンやグレッグ・オズビーと共に新しい表現の形を追求する一方で、フリージャズの系譜を直接的に受け継いできたデューイ・レッドマンやフランク・ロウというサックス奏者達のアルバムにも参加した。もちろん、同時期にチャーリー・ヘイデン、ポール・モチアンと共に制作したピアノトリオ作品の素晴らしさについては言うまでもない。
ところで、2000年代からニューヨークのレーベル、Pi Recordingsによってリリースされてきたアルバムの数々には、スティーブ・コールマンを始めとするM-Base派から少なからず直接的な影響を受けてきた若い世代のアーティストの作品、AACMなどシカゴ一派の作品、そしてダウンタウン・シーン界隈のアーティストの作品が名前を連ねている。ブルックリン派とも言われる現代のニューヨーク・シーンの最もラディカルな層の音楽を担う若手のアーティスト達がこれまでにどのような音楽に注目し、影響を受け、そして現在進行形でどのような音楽を作り出しているのか、その縮図をこのレーベルのコレクションに見ることが出来ると私は思っている。Pi Recordingsリリース作品に参加しているピアニストにはジェイソン・モラン、ヴィジェイ・アイヤー、マット・ミッチェルなどがいて、彼らはまさに2000年以降の新しいピアノ演奏の形を提示してきた面々だと言える。その野心的な音楽へのアプローチの仕方にはM-Base的な姿勢が受け継がれているのではないだろうか。そういったピアニスト達が少なからず影響を受けてきたのが、80年代にスティーヴ・コールマンのバンドでピアノを弾いたジェリ・アレンだったり、AACMを通して堅実な活動をしてきたムハル・リチャード・エイブラムスなのではないかと私は個人的に思っている。例えこれらM-BaseやAACMが生み出してきた実験的な内容のアルバムが商業的な成功を収めなかったということが真実だとしても、その音楽的痕跡は確実に次世代のアーティストに受け継がれていると、そう思うのだ。
The Printmakers
ジェリ・アレン参加作品の中で、うちの棚からいくつか掘り出して聞き直してみたアルバムをいくつか挙げてみたいと思う。まずは、フランク・ロウの『Decision In Paradise』(1984, Soul Note)。この作品は、ジェリ・アレンが参加したレコーディングの中でも最も初期のものになると思う。6人編成のこのバンドにはジェリ以外にドン・チェリー、グレイシャン・モンカー、チャーネット・モフェット、チャールス・モフェットが参加しており、オーネット・コールマンのバンドを想起させる。フランク・ロウのどこかユーモラスでブルージーなサウンドとコンポジションに、ジェリのピアノが水の様に滑らかに絡んでいく。アルバム最後の曲「Dues and Don’ts」ではいかにもフランク・ロウらしいテーマとジェリ・アレンの洗練されたソロを聞くことができる。オーネット・コールマンのアルバム『Sound Museum: Hidden Man』(1996, Harmolodic/Verve)では、ジェリ・アレン、チャーネット・モフェット、デナード・コールマンのリズムセクションがオーネットの紡ぎ出す世界観に彩りを添えている。コード進行を軸にした構造がほとんどない状態で、あくまでもテーマに忠実に即興を展開していく。自由自在にフリーの演奏をするジェリを思う存分聞ける貴重なアルバムである。『Etudes』(1988, Soul Note)は、ジェリ・アレン、ポール・モチアン、チャーリー・ヘイデンのトリオ録音の名盤である。このアルバムは内容も素晴らしい上に音響の仕上がりが非常に整っている印象がある。全体の音の印象はとてもクリーンでいて、ベースとピアノの低音がエレガントな存在感を持って重心を落とし、音のイメージに素晴らしい奥行きを持たせている。この盤で、トリオはオーネット・コールマンの名曲「Lonely Woman」のカバーをアルバムの最初に持ってきているが、この曲がアルバムに強い印象を与えているのは間違いない。ポール・モチアン作曲の「Fiasco」でのジェリのソロは特に名演だし、ハービー・ニコルス作曲の「Shuffle Montgomery」でスイングするベースとドラムを悠々と乗りこなし、枠組みの外側と内側を自由に行き来するジェリのピアノは実に痛快だ。彼女のこういう演奏からはセシル・テイラーの『World of Cecil Taylor』(1960, Candid Records) なんかを思い起こすのだが、ジェリ・アレンはテイラーからの影響も受けていたのだろうか?私は『Etudes』を通してジェリ・アレンのピアノをよく知るようになったのだが、やはりこの盤の素晴らしさは、彼女の持つ無数の引き出しを一枚のアルバムから知れることだと思う。ジェリ・アレンの処女作は『The Printmakers』というタイトルだが、この言葉に彼女はどんな意味を込めたのだろうか?もしそれが、「足跡を残す者達」という意味合いであったなら、ジェリは見事にそれを実現したのだ。