連載第21回 ニューヨーク・シーン最新ライヴ・レポート&リリース情報
text by クリフォード・アレン (Clifford Allen) and ジョン・モリソン (John Morrison)
translated by 齊藤聡 (Akira Saito)
I. 「The New York Review of Cocksucking」の2作
クリエイティヴな即興音楽は、長いこと、マッチョな世界だった。しかし幸いにも、アート・フォームの殻をひっ掻くように、他の声があがってきている。フリー・ジャズにおいて、ペーター・ブロッツマン Peter Brötzmannやマッツ・グスタフソン Mats Gustafssonのようなタフで精力的な男性らしさが、ポスト・アイラーのエネルギー音楽、魅力的な美しさの頂点にあるものとして賞賛されたことは、さほど昔のことではない。だが今、少なくともニューヨークや他の地域では、環境はもう少し流動的だ。フリー・ミュージックは、もはやストレート男性だけの場ではなくなり、シーンもそのように変貌してきている。
サックス奏者のマイケル・フォスター Michel Fosterは、現代アヴァンギャルドの中においてクイア的な声のひとりだ。フォスターは、イケイケのテナーとソプラノによって、ドラマー・作曲家のウィーゼル・ウォルター Weasel Walterや、アンドリュー・バーカー Andrew Barkerと共演している。それに加え、ソロも演るし、「The New York Review of Cocksucking」(!)という名前で、多楽器奏者のリチャード・カマーマン Richard Kamermanとのデュオも展開する。そのデュオでは、テープ、ペダル、プリペアド・サックス、その他のオブジェによって、音響と政治の世界を拡張している。
『Such Sweet Shame』は、フォスターとカマーマンによるカセットテープ第2弾だ。ブルックリン・65 Fenでの22分間のライヴ録音であり、まるで何か卑猥なペーパーバックのように、茶色の封筒に収められている。ちょっとしたゲイポルノ(あからさまではない)や精神分析を収録した古い録音が、メトロノームの音、ソプラノサックスの呻き声や湿った撥音と混淆しており、このふたりは、擦音による喧しいフィードバック、ハーモニカを吹く音、弾力的なくんずほぐれつといったものを提示する。この音楽は即興だ。テキストやもろもろのサウンド(耳障りで排除されたはずのものを含む)を使い、アクティヴで、起伏の激しい音風景を創出している。カセットの後半では、カマーマンが、ディズニーランドをクルーズする波乱の物語を朗読し、簡潔にして目配りが効き、豊かでもあるマルチフォニックス、パーカッシヴなサイクル、幽玄なフィードバックとともにフィーチャーされている。
『Erectoacoustic Daycream』は、28分の間、同様の層が積み重ねられた強靭なサウンドである。音だけによる「枕営業」のゲイポルノのかすかな録音の上に、柔軟でメタリックな循環、フィードバック、ファズが重ね合わされる。シナリオが何だか変わっていき、どこかからのうなり、繊細で反復的にシンバルを擦る音が現れ、そして見え消しのような映画的対話が浮上してくる。カセットをB面に入れ替えると、頭が空っぽになってしまうような叫びが何度かあり、そして、パーカッションとアナログノイズによる激烈なビュッフェとでも言うべきデュオが続き、サックスのひどいゴボゴボ音、プリンス Princeの「Let’s Go Crazy」の断片が提示され、演奏が終わる。
「The New York Review of Cocksucking」は、ジョン・ダンカン John Duncanやアルフレート・23・ハルト Alfred 23 Harthの伝統の系譜上に位置付けられるものだ。それは、魅力と影響力を持ち続けるだろう。この暗い過酷な時代にあって、間違いなく必要なものとして。
text by クリフォード・アレン Clifford Allen
ブルックリン在住のアーキビスト/ライター。現在は、The New York City Jazz Record、Point of Departure、Jazz Right Now に寄稿している。カンザスとテキサス出身だが、そんなことで彼を嫌わないでほしい。
II. パク・ハンアルの「Sirene 1009」
「Sirene 1009」は、キャロライン・ピュー Caroline Pugh(ヴォーカル)、ドミニク・ラッシュ Dominic Lash(ベース)、マーク・サンダース Mark Sanders(ドラムス)、パク・ハンアル Han-Earl Park(ギター)によるカルテットである。グループ名を冠したデビュー作は、カラフルで、ときに暴力的で啓示的でもあり、古くからのスピリットにモダンの美学を吹き込んでいる。
冒頭の「Psychohistory III」から、脈打つようなぎざぎざのギター、打ち鳴らされるパーカッション、ピューのヴォイスによって、カルテットは惜しみなくすべてを放出する。ラッシュがゴージャスにテーマを開陳する3分間にはじまり、ピューが息吹、言葉にならないノイズ、絶望の叫びを発する。パクが、震え、支離滅裂なギターで入ってきて、アンサンブルはドラマチックな盛り上がりをみせる。「Cliodynamics I」「II」「III」は、社会的・歴史的な出来事や過程を分析する手段として数学的モデルを構築せんとする、曖昧な社会学的領域から名付けられた。サンダースのパーカッションが突然の雷のような音風景を描く一方で、ラッシュは明晰に弓弾きと指弾きとを使い分ける。パクが微妙な色合いを提供する一方で、ピューがサウンドを先導し、狂乱の叫びと揺らめきが、やがて、甘く歌うメロディという策謀へとつながっていく。10分40秒が経つころ、「Cliodynamics I」は聴く者を獣の腹の中へと引きずりこむ。それは暗く不吉な海のようなサウンドであり、強度がどんどん増していく。「Cliodynamics II」と「III」は、ロンドンのCafe OTOにおけるライヴ録音だ。これらも劣らずダイナミックで独創的なのだが、「I」は特に際立っている。
「Hopeful Monsters」においては、叫び、擦音、ドローンが、騒々しいノイズで充満した野生のジャングルと無理矢理に合体しようとして介入してくる。ピューのヴォイスがふたたび前面に出てきて、甘く鎮めるような感じから、やがて、暗く驚異的な底流を露わにしはじめる。ピューの「Hopeful Monsters」におけるヴォーカルの変貌ぶりはドラマチックであり、深いインパクトを残す。まるで純真なリンダ・ブレア Linda Blairがおぞましいリーガン・マクニール Regan MacNeilに変身するように(※訳注:映画『エクソシスト』に言及)。他のメンバーが自由でドラマチックな熱気をもって即興を繰り広げる間、ピューは、深遠なヴォーカル表現によって深く原初的な源から何かを引きだしているようだ。古代の原始、夜空のように開かれたアイデアをもって、人類の最初の音楽がこんなふうに響いたのではないかと想像することは難くない。
text by ジョン・モリソン John Morrison
フィラデルフィア在住のライター、DJ、プロデューサー。ソロ・アーティストとしても、デビュー作となるヒップホップのアルバム『SWP: Southwest Psychedelphia』(Deadverse Recordings)をリリースした。ツイッターとインスタグラムは@John_Liberatorをフォローされたい。
>> #1365 『Han-earl Park, Dominic Lash, Mark Sanders and Caroline Pugh / Sirene 1009』
以上が、最新のニューヨーク・シーンである。
Edited by シスコ・ブラッドリー
(Jazz Right Now http://jazzrightnow.com/)
【翻訳】齊藤聡 Akira Saito
環境・エネルギー問題と海外事業のコンサルタント。著書に『新しい排出権』など。ブログ http://blog.goo.ne.jp/sightsong