JazzTokyo

Jazz and Far Beyond

閲覧回数 78,201 回

悠々自適 悠雅彦Monthly EditorialNo. 245

悠々自適 #82 「コンサートあれこれ〜バッハを巡って」

text by Masahiko Yuh 悠 雅彦

 

J. S. バッハ生誕333周年記念特別演奏会

2018年8月2日(木曜日)19:00
東京オペラシティ コンサートホール:タケミツメモリアル

クラフィーア練習曲集  第3巻(ヨハン・セバスティアン・バッハ)

鈴木雅明(オルガン)
鈴木優人(指揮)&バッハ・コレギウム・ジャパン
清水梢、藤崎美苗、松井亜希(ソプラノ)
青木洋也、中村裕美、布施奈緒子(アルト)
鏡 貴之、谷口洋介、藤井雄介(テノール)
浦野智行、藤井大輔、渡辺祐介(バス)

オーケストラ・アンサンブル金沢

2018年8月1日(水曜日)19:00
東京オペラシティ コンサートホール:タケミツメモリアル

歌劇「ペレアスとメリザンド」(クロード・ドビュッシー/モーリス・メーテルリンク)
マルク・ミンコフスキー(指揮)
スタニスラス・ドゥ・バルべラック(テノール)
キアラ・スケラート(ソプラノ)
アレクサンドル・ドゥハメル(バリトン)
ジェローム・ヴァルニエ(バス)
シルヴィ・ブルネ=グルッポーソ(メゾ・ソプラノ)
マエリ・ケレ(アキテーヌ声楽ユース・アカデミー)
ジャン=ヴァンサン・ブロ(バス)

高田泰治~チェンバロ・リサイタル
2018年7月27日(金曜日)18:30     東京文化会館小ホール

1.トッカータニ長調 BWV 912(J.S.バッハ)
2.ウラニー組曲二短調 “「音楽のパルナッスス」より “(J.C.F.フィッシャー)
3.ソナタ第1番 ダヴィデとゴリアテ ”「聖書の物語の音楽的描写」より”(ヨハン・クーナウ)
4.フランス組曲第5番ト長調 BWV 816 (J.ß.バッハ)

◯ 『ブラッド・メルドー/アフター・バッハ』
ノンサッチ WPCR – 18004

 さる8月2日、東京オペラシティのコンサートホールに備えられたオルガンを聴く機会があった。初体験だったが、壮麗な響きに酔いながら、まるで教会で聴くかのごとく、幾分神妙な気分でバッハの音楽をたっぷり楽しんだ。東京の名だたるコンサート会場にはふつう大、小の二つのホールがあり、8、90年代に建てられたコンサートホールのいくつかはオルガンを備えているのは周知の通りだ。当夜のオルガン奏者は鈴木雅明。90年にバッハ・コレギウム・ジャパンを結成以来、日本はもとより世界各国の高い評価を得ている方である。この「クラフィーア練習曲集第3巻」はむしろ「オルガン・ミサ」(正確にはドイツ・オルガン・ミサ)の名で知られる作品である。各コラール・プレリュードの前には合唱によるコラールがあり、こちらはヨーロッパと日本を足繁く往来して活動する子息の鈴木優人がバッハ・コレギウム・ジャパンを指揮し、荘厳なコラール・プレリュードの間を縫って一般に「オルガン・ミサ」と呼ばれるもともとのコラール旋律を美しく響かせることに寄与した。かくしてバッハならではのオルガン曲として最大のスケールを持つミサ全27曲が、鈴木親子の真摯なアプローチによって生き生きと蘇った。まさに2時間を超えるバッハならではの世界に人々は陶酔し、私はといえば壮麗なオルガンの響きに圧倒されて終わった後もしばし席を立てなかった。

 ところで、この「オルガン・ミサ」の前日、すなわち8月1日、この同じオペラシティの大舞台でドビュッシーの歌劇「ペレアスとメリザンド」が上演されたことに触れないわけにはいかない。というのも、冒頭のバッハの「プレリュード変ホ長調」が壮麗な音を響かせる直前まで、どうかすると昨夜の舞台の余韻が唐突に甦ってきては感激を新たにさせられる始末だったからだ。通常のオペラのように有名な序曲があるわけでもなく、ましてやオペラの醍醐味といってもいいアリアらしいアリアもないこのオペラに熱心なオペラ・ファン、ないしはドビュッシー愛好家が詰めかけた理由は、ドビュッシーらしさがふんだんにこのオペラで聴けることに加え、指揮者マルク・ミンコフスキへの期待の大きさを示すものだっただろうと想像する。が、同時にオーケストラ・アンサンブル金沢(OEK)への熱心なファンがたくさんいることもコンサートにおけるこの熱気を生む大きな要因になったことは間違いない。

 パリ生まれだがロシア系のこの卓越した指揮者は、帯同した秀逸な歌手陣(スタニスラス・ドゥ・バルべラック/テノール、キアラ・スケラート/ソプラノ、ジェローム・ヴァルニエ/バス、シルヴィ・ブルネ=グルッポーソ/メゾ・ソプラノ)の熱唱と舞台上での所作を巧みに引き出してまとめ上げた。ドラマの迫力と音楽のデリケートな色彩的変幻が彼のタクトで見事に一つになった。歌手陣の情熱的な歌唱で耳が遮られながらも、ドビュッシーならではの独特の音色を決して損なわないミンコフスキのタクトさばきがOEKの優れたアンサンブル性を見事に引き出した味わい深いコンサート・オペラであった。ドビュッシーのこのオペラを私はこの夜初めて再認識した。

 翌2日のバッハに戻る。同じ舞台が打って変わって、この日は荘厳な大聖堂のようだった。この厳粛な雰囲気に包まれながら披露されるバッハの「オルガン・ミサ」は、しかし私にはバッハ最大のオルガン曲であることを忘れさせるほどしなやかで、時に愛らしくさえ感じられて、愛おしさが身を包みこむような充足感に身をひたす幸せを思わずにはいられなかった。鈴木雅明が奏する変ホ長調のプレリュードで始まり、鈴木優人が指揮する合唱によるコラールとオルガン曲として新たな息吹を与えられた鈴木雅明奏するコーラル・プレリュードが、タケミツ・メモリアルと命名されたオペラシティの大ホールに壮麗な音のアーチを飾り立てるように鳴り響いたとき、改めてヨハン・セバスチャン・バッハの音楽の素晴らしさに新たな感激を覚え、思わず落涙した。

 バッハと言えばこの偉大な作曲家の作品と真摯に向かい合い、大阪を拠点に東京でも定期的にコンサートを続けているピアニスト、高田泰治がいる。彼が演奏するバッハの温かな音と世界に心惹かれ、折り合いさえつけばコンサートへ出かけるようになった。お会いしたことは一度もないのだが、昔からの知り合いと錯覚しがちなほど、私自身は奇妙な親近感を持っている。そう言えるだけのバッハをはじめとする作曲家への献身的な愛情の発露の在り方や取り組む態度が、私にはすこぶる好ましい。その高田泰治が今回はバッハ以前の作曲家に焦点を当てたプログラムで登場した。といってもオープニングはバッハの「トッカータ」で、クロージングもバッハの「フランス組曲」だが、当夜の目玉はバッハの一世代先輩にあたる作曲家で、バッハ自身も密かに多くを学んだといわれるヨハン・フィッシャーとヨハン・クーナウの作品だった。私は二人の作曲家の作品をこの夜初めて聴いた。というわけで、私にはこの2人の作曲家について語る資格も知識もない。高田が弾いたのはクレジットにあるようにチェンバロであるというのも私の興味を刺激した。もっとも、2002年に彼が神戸でデビューを飾ったときに演奏した楽器がフォルテ・ピアノとともにチェンバロであった(テレマン室内オーケストラとの競演)と聞けば、恐らくは決して珍しいことではないといってよいだろう。まして2009年にドイツのレーゲマンでチェンバロのコンサートを催して好評を博したと聞けば、彼が注目すべきチェンバロ奏者であることだけは間違いない。

 フィッシャーとクーナウは両者ともバッハの先達者。両者ともバッハとは20歳くらいの年齢差があるらしいが、バッハは両者の鍵盤作品を研究し解読するとともに自己の数々の作品を構想するに当たって両作曲家の作品を参照したと言われている。「トッカータ」で始まるフィッシャーの『ウラニー組曲』では、フランス舞曲風なタッチの軽い作品から、バッハの『平均律』を忍ばせる「パッサカリア」にいたる9曲が、高田の颯爽としたチェンバロ演奏で活きいきとよみがえった。爽やかな1曲に続くクーナウの『ダヴィデとゴリアテ』ではリズミックな跳躍を通して、旧約聖書を彩る戦いの場面が描かれる。この曲は1700年代の初めの作品だそうだが、高田泰治が冒頭で演奏したバッハの「トッカータ」がクーナウの影響を受けていたと思われる1709年の作品と聞くと、大バッハでさえドイツ音楽の歴史と無縁の存在ではなかったと何やらホッとした思いで、高田が最後に演奏したバッハの「フランス組曲第5番」を聴いた。実に柔和な、清々しいチェンバロ演奏だった。高田の誠実な演奏のおかげで18世紀初期のドイツ音楽を肩肘張らずに聴けたことが何よりの至福だった。

 そんな折りもおり、高田泰治が何とショパンとシューマンのピアノ協奏曲を演奏するという宣伝パンフレットを手にした。ちょうど鈴木雅明の「オルガン・ミサ」の蓋が開いた8月2日。ところは大阪の中央公会堂。パンフレットには<本邦初!ショパンが愛した「エラール」とライプツィヒの「イルムラー」のオリジナル楽器が登場。蘇る19世紀ロマン派の響き!>とある。シューマンのイ短調とショパンの1番か2番を、彼が延原武春指揮テレマン室内オーケストラとどんな共演をしただろうか。バッハしか聴いたことがない私には、彼がシューマンとショパンをどんな風に演奏したか。反響ぶりをぜひ知りたいものだ。

 そして、ふと本紙のCD評で取り上げたブラッド・メルドーのバッハが忽然と脳裏によみがえった。あの作品(上記クレジット参照)から匂ってくるバッハの香しさ。もはや時代の違いでも、音楽表現の違いでも、テクノロジーの差でもない。ハービー・ハンコック、チック・コリア、キース・ジャレットがピアノ界を支配した時代にピリオドが打たれ、とりわけ21世紀はゴンサロ・ルバルカバ、小曽根真、そしてブラッド・メルドーの時代となった。

 帰宅してすぐブラッド・メルドーのバッハを聴いた。CDそのものは前々回に本紙上で紹介した。彼が演奏するバッハの心地よさが再び帰ってきた。(2018年8月22日記)

悠雅彦

悠 雅彦:1937年、神奈川県生まれ。早大文学部卒。ジャズ・シンガーを経てジャズ評論家に。現在、洗足学園音大講師。朝日新聞などに寄稿する他、「トーキン・ナップ・ジャズ」(ミュージックバード)のDJを務める。共著「ジャズCDの名鑑」(文春新書)、「モダン・ジャズの群像」「ぼくのジャズ・アメリカ」(共に音楽の友社)他。

コメントを残す

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください