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Monthly EditorialEinen Moment bitte! 横井一江No. 263

#17 日々雑感

text and photo by Kazue Yokoi  横井一江

 

このところ、ざわざわと気持ちが落ち着かない。

新型コロナウイルスにまつわるニュースが毎日次から次へと流れてくる。数日前、住んでいるマンションのすぐ近くの商業施設のテナントの従業員に感染者が出たことを知った。便利なので、普段はそこを通り抜けて駅まで行っていた。このあたりに通勤する人も皆朝夕そこを通り抜けていた。どうやらそのニュースが流れる何日か前に感染者がわかったようで、ビル内の消毒は既に終わっている。だが、症状が出る/出ないはともかく、新型ウイルスにいつ罹患してもおかしくない、そういう環境にいるのだなということをヒシヒシと感じたのだ。

ウイルスは目に見えない、それだけに怖いというよりも不安になる。SNSでは、医者や科学者が各々の知見からさまざまな発信をしているが、時にそれぞれの意見が異なっていたりするので疑心暗鬼になりかねない。だが、未知のウイルス、未知の経験である以上、正解が最初からあるわけではないのである。対策は研究が進んだり、状況が変わるにつれ変化すべきものだ。だから我々も最初から正解を求めてはいけないのだ。それ以上にやっかいなのはデマや陰謀論である。消毒液やマスクが店から消え、ハンドソープも品薄になった。そしてまた、今度はトイレットペーパーの買いだめが起こり、日本家庭紙工業会が「トイレットペーパー、ティシューペーパーの供給力、在庫は十分にあります」とプレスリリースを出すに至っている(→リンク)。落ち着け、冷静になれと言っても買いだめに走る。そんなところから混乱が起きる。SNSの悪しき面もあるが、これもまた不安心理の現れだろう。そしてまた、小中学校休校のニュースには様々な意見が喧しい。ウイルスへの不安に加えて、日常生活が壊れる不安がそれを助長する。人間とはやっかいなものである。ウイルスに蝕まれているのは実は心かもしれない。科学知だけでは解決できないこともあるのではないか。来日を取りやめる知らせが来るのも当然だろう。知人が戻れなくなるからと一時帰国を止めたという話も耳にした。政府の後手後手ぶり、そのくせに拙速な施策については改めて言うまでもない。

以前にもそういうことがあった。そう、311の時だ。あの時は夜の街が暗くなった。それがヨーロッパのどこかの都市のようで割と好きだった。とはいえ、自分がブッキングしたライヴで、主役が一時帰国をキャンセルしたこともあってお客が一人(ゼロでなくてよかった)ということがあったのを思い出す。だから、新宿界隈に人が戻ったのを見た時にほっとしたのである。

街を歩きながら飲食店を覗いてみるがどこも閑散としている。では、ジャズクラブやライヴハウスはどうなのか。最近行ったライヴはどこもいつもよりは来客が少ない感じだ。直近で行ったのは、早坂紗知が山下洋輔を迎えて毎年行っている「226バーステイ・ライヴ」だったが、会場の江古田Buddyはいっぱいではあったものの、外出を控える傾向の中でキャンセルもあったようで、ぎゅうぎゅう詰めだったこれまでと比べると人は少ない。還暦という節目のせっかくのお誕生日、パワフルで充実したライヴだっただけに残念だった。もし長期間に亘って外出自粛が続き、お客さんが減れば、お店やヴェニューの経営に関わる問題となるだろう。自治体は相談窓口を設けたり、低金利の制度融資あっ旋を開始し、日本政策金融公庫も対応を始めた。しかし、借りたお金は返さねばならないのだ。売上が戻らなければ返済は滞る。今のところ、新型コロナウイルス騒ぎがいつ終息するか全くわからない。制度融資を受けられれば一時的な資金繰りの助けにはなるが、先が見えないのはつらいところだ。

イベント自粛ということから、中止されるコンサートやツアーも出てきた。美術館・博物館も暫く休館になるが、これを受けてドワンゴが展示をネットで番組配信する「ニコニコ美術館」のサービスをはじめたり(→リンク)、またTwitterで「オンライン卒展」のハッシュタグが登場しているらしい(→リンク)。だが、日々の創造活動が日常的なライヴにあるミュージシャンにもなにか方法があるのだろうか。中止にならないにせよライヴでの集客が減ることは、短期間ならまだしも長期に亘れば、それで糧を得ているミュージシャンの生活に影響する。バイトするにせよ、景気自体が停滞すれば割の良い仕事は当然減るだろう。厳しい時期になった。でも、知恵を使って生き延びないといけないのだ。かつて「ミュージシャンを続けていること自体、才能なのだ」と言った人がいたが、本当にそうなのかもしれない。

今、私たちに出来ることは何だろう。粛々と可能な限り、日常生活を続けること以外にない。いや、日常生活を続けることが何にも優るのである。もっとも、手洗いはマメにし、高齢者に接する時はより気をつけることは言わずもがなだ。ライヴやコンサートに行く/行かないは個人の判断だが、出かける場合は普段以上に気をつけてほしい。引きこもるのなら、CDを聴いたり、本を読むいい機会かもしれない。ふたたびカミュやカフカ、アルトー、セリーヌなどを読み返すというのは月並みか。それは何でもいいのだ。もしかすると違った「読み」が生まれるかもしれない。個人的な経験だが、311の時は聴きたいと思うCDがいつもと違い、限られてしまった。それもありだと今は思う。このような体験から新たな/改めての発見があってもいい。人間には感性があるのだから。

不穏な時代だ。気持ちとしてはシンドイ。だが、音楽は音楽であり、音楽なしの世界はやはり想像できないのである。

横井一江

横井一江 Kazue Yokoi 北海道帯広市生まれ。音楽専門誌等に執筆、 雑誌・CD等に写真を提供。ドイツ年協賛企画『伯林大都会-交響楽 都市は漂う~東京-ベルリン2005』、横浜開港150周年企画『横浜発-鏡像』(2009年)、A.v.シュリッペンバッハ・トリオ2018年日本ツアー招聘などにも携わる。フェリス女子学院大学音楽学部非常勤講師「音楽情報論」(2002年~2004年)。著書に『アヴァンギャルド・ジャズ―ヨーロッパ・フリーの軌跡』(未知谷)、共著に『音と耳から考える』(アルテスパブリッシング)他。メールス ・フェスティヴァル第50回記。本『(Re) Visiting Moers Festival』(Moers Kultur GmbH, 2021)にも寄稿。The Jazz Journalist Association会員。趣味は料理。当誌「副編集長」。 http://kazueyokoi.exblog.jp/

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