#2338 『Agencement / Binomial Cascades』
『アジャンスマン / バイノミアル・カスケイド』
text by 剛田武 Takeshi Goda
LP/DL Pico-08
All instruments played by Hideaki Shimada
violins, viola, cello, contrabass, piano, electronics, and magnetic tape.
1. Nyx and Thanatos III 17:30
2. Sorrow II 17:12
Recorded at Kubo Studio, Kanazawa in Autumn 2022 – August 2023,
except piano recorded at Space Taki, Hakui in October 2022.
金沢の孤高の即興音楽家が40年間描き続けた異形の世界。
Agencement(アジャンスマン)とはフランス語で「配置、組み合わせ、アレンジメント」を意味し、哲学者ジル・ドゥルーズと精神科医フェリックス・ガタリの著書『千のプラトー』に登場する概念だという。正直に告白すると、筆者はドゥルーズ&ガタリやポスト構造主義といった現代思想の基礎知識が限りなくゼロに近いためこれ以上の説明はできない。朧げな印象では80年代半ばに新人類と呼ばれたニューアカデミズムの知識人がこれらの思想用語を繁用していた記憶がある。当時大学生で、入学時には哲学科を志望し、実際には心理学を専攻した筆者であったが、学業よりも音楽・バンドに現(うつつ)を抜かす生活を送っていたため、そうした思想潮流に触れる機会はなかった。思い返してみれば大学の文学系ゼミ/サークルや、吉祥寺周辺の地下音楽シーンの扉をほんの少し開けてみれば、ディープな芸術論・哲学論を語り合う仲間に出会う可能性は十二分にあったはずだが、それをしなかったのは、音楽を聴いたり奏でたりする浮世の快楽に浸っていて、形而上学的な思索・思考に興味が向かわなかったからかもしれない。それを残念に思うわけではなく、個人的体験としての事実がそうだったに過ぎない。
石川県金沢市生まれ、1978年に京都で観たデレク・ベイリーに触発され、1980年頃からヴァイオリンの即興演奏を始め、1985年よりAgencement(アジャンスマン)の名義で音楽活動をする島田英明は、筆者とは違って思考する音楽に向かった表現者だといえる。1978年、高校入学と同時に「金沢アンダーグラウンダーズ・クラブ(KUC)」という有志音楽団体に参加し、プログレや前衛ロック、フリージャズ等マイナーな音楽を紹介する機関紙『Avant-garde』に寄稿したり、副島輝人によるメールス・ジャズ・フェスティバルのフィルム上映会の開催に関わったりした。KUCには100人を超えるメンバーがいたというから、島田の周りには音楽・哲学・芸術について思考し論じあえる仲間が多くいたに違いない。情報が少ない地方都市で、アンダーグラウンド・カルチャーを語り合う場があったことは、東京や大阪といった大都市とは異なる先鋭的なシーンを生む可能性があった。しかしながら1979年に主要メンバーが就活のため活動から離れ、KUCは1980年頭に解散してしまった。島田によると、それ以降、このような活動主体は金沢には存在していないという。実際に演奏する仲間や場所が失われた環境の中で、島田は孤独に自身の音楽表現を育んでいった。そして生みだされたのが、ヴァイオリンのソロ演奏を素材として電子変調させる、いわば音の“Agencement”=配列、組合せにより音楽作品を生み出す手法だった。
82年にヴァイオリンによる即興演奏のソロカセット作品を本名でリリースし、80年代前半にはメルツバウと共演したり、ノイズ系コンピレーションに参加したりと精力的に活動。盛岡をベースに活動する金野”Onnyk”吉晃が関わる第五列とのつながりもあったようだ。その頃はノイズ/インダストリアル的なサウンドを志向していたようだが、Agencementを名乗ってからは、よりコンテンポラリー/インプロヴィゼーション寄りの作風に移行し、サウンド・アートにも通じる独特の世界を作り上げてきた。Agencement名義では、1986年に1st、1989年に2ndアルバムをアナログLPで発表。その後3作のアルバムはCDでのリリースだったが、今回35年ぶりにアナログLPとして制作されたのが6作目となる本作である。ヴァイオリンをはじめとする弦楽器とピアノ、エレクトロニクス、磁気テープを使って2022年秋~2023年夏にかけて金沢でレコーディングされた2曲の長尺ナンバーがレコードの片面ずつに収録されている。
ギリシャ神話の二人の神、ニュクス(夜の神)とタナトス(死の神)をタイトルにしたA面は、アブストラクトなヴァイオリンを中心にリリカルなピアノとダークな弦楽ドローンが絡む幻想曲。フロイトが死へ向かおうとする欲動を意味するデストルドー(Death Drive)と同義でタナトスを用いたことを思い出す。音の流れは蛇行しながらも、ひたすらモノクロームの靄が立ち込めるミニマルな演奏に終始する。シンプルに「哀しみ」と名付けられたB面は、力強いチェロをメインにした散文的な弦楽多重奏に、時折エレクトロニクスの囀りが聴こえる空間的な演奏。弦楽器のピッツィカートやトリルがリズミカルな要素を加え、哀しみの表情が時間と共に変化していく様を描く映像的な音像である。
プレイボタンを押せば連続再生されるCDではなく、片面が終わったら裏返すためにいったんストップしなければならないレコードというメディアにより、聴き手は2曲を分断された時間軸・経験軸で聴取することになる。島田自身はタイトルについての説明は避けたいとのことだが、筆者の勝手な解釈では、アルバム・タイトル『Binomial Cascades=二項の滝の流れ』とは、特異な表現作品の立ち位置を表しているように思える。Binomialとは「二項式」=数学で項が二つある計算式、もしくは「二名式」=属名(generic name)と種名(specific name)の組み合わせで表した生物種の表記法を意味する。つまりA面とB面は独立した楽曲ではなく、2つの命題であり、組み合わせれば一つの生命体となる。そして2曲はCascade(カスケード)つまり階段状に連続する滝となって聴覚から感性に流れ込む。聴き手が音の滝の向こうに幻視するのは、島田自身が手掛けたリトグラフによるジャケット・アートの如き異世界であろうか。アナザー・ミュージックからアナザー・ワールドへのシフト。思考する音楽ユニットAgencementが導く音楽体験の醍醐味であろう。
Agencementとしてヴァイオリンを中心に活動してきた島田だが、今後は作品の構成を考えて、素材を広げ、本名名義でも作品をリリースしていくという。現在電子音楽作品を制作中とのことなので新たな活動にも期待したい。
実は筆者は島田と同い年で、70年代の半ば小4~中2時代を金沢で過ごした。楽器(フルートやギター)を始めたり、洋楽ロックを聴き始めたのは金沢時代である。もし1977年春に東京へ転居しないで金沢に住み続けていたら、果たしてアンダーグラウンドな音楽に興味を持ったり、KUCや『Avant-garde』に関わったりする事になっていただろうか?それはわからないが、このアルバムを聴きながら様々な学究的思索を巡らせることで、若いころに出会えなかった思考する音楽の世界へ少しだけ近づけた気がする。(2024年7月30日記)
島田英明、現代音楽、電子音楽、electronics music、electronics、contemporary music、即興音楽 improvisation、コントラバス、Agencement、アジャンスマン、ヴァイオリン、金沢、チェロ、弦楽アンサンブル