# 1231 『ロバート・グラスパー・トリオ/カヴァード』
text by Masahiko Yuh 悠 雅彦
Blue Note/ユニバーサル・ミュージック
UCCQ-1042 定価2,300円(税別)
ロバート・グラスパー(p)
ヴィセンテ・アーチャー(b)
ダミアン・リード(ds)
1. イントロ
2. アイ・ドント・イーヴン・ケア
3. レコナー (レディオヘッド)
4. バラングリル(ジョニ・ミッチェル)
5. イン・ケース・ユー・フォガット
6. ソー・ビューティフル(ミュージック・ソウルチャイルド)
7. ザ・ワースト(ジェネイ・アイコ)
8. グッド・モーニング(ジョン・レジェンド)
9. 星影のステラ(ビクター・ヤング)
※日本盤のみExtended Version収録
10. レヴェルズ(ビラル)
11. ガット・オーヴァー
12. アイム・ダイイング・オブ・サースト(ケンドリック・ラマー)
13. ディラルード
録音:2014年12月2、3日@ハリウッド・キャピタル・スタジオにてライヴ録音
Produced and arranged by Robert Glasper
Co-producer & A&R : Don Was
現代の最も新しい方向性を追求するアーティストのひとりが「トリオによる吹込演奏を多くの人々が理解しやすい形で」制作した1作
すこぶる新鮮だった。グラミー賞で最優秀R&Bアルバム賞に輝いた『Black Radio』の大ヒットで音楽界の”時の人”になった感さえあるロバート・グラスパーが、いつかはやりたいと思っていたに違いないジャズ・ピアニストとしてのトリオ・アルバムをついに実現させた。ブルーノートがまだ東芝EMIにあったころ催されたコンヴェンションで、プロデューサーのドン・ウォズがグラスパーへの期待と確信を熱っぽく語っていた姿を今でも思い出すが、さぞご満悦のことだろう。彼にとってグラスパーの2007年の吹込作品『In My Element』も相当な自信作だったに違いないが、『Black Radio』の爆発的ヒットで言及される機会を逸してしまったに違いないと思うほど『Black Radio』のヒットはいわば”事件”だった。ベース奏者もドラマーも同じヴィンセンテ・アーチャーとダミオン・リードであり、グラスパー自身にとっても思った通りの演奏集であることへの充足感があったに違いない。自分が野心的なピアニストであることを証明しようとした過去の反省に立っていることを認めたことから、グラスパー自身に仕切り直しの気持があったかどうか。同一メンバーでピアノ・トリオ吹込に再度挑戦したこの新作は、グラスパーという音楽家が現在では演奏家としてのスケールも能力もすべて飛び抜けていることをまざまざと示し出した。では、何が具体的に違うのか。最大の焦点とポイントはやはり、『In My Element』の約5年後に始まった『Black Radio』の快進撃の一事に尽きるのではないか。この最新作と『In My Element』の違いはまさにそこにあると私は聴いた。『Black Radio』で頂点に立った経験下で得たといってよい自信は、カテゴリーの壁などに頓着する愚を回避させたばかりでなく、本来のピアニストとしての夢と野心に目覚める感覚を取り戻す機会をもたらしたのだ。先ごろのビルボード・ライヴでサックスとボコーダー役のケーシー・ベンジャミンを加えた「エクスペリメント」の来日公演を成功裏に終えたグラスパーは数日後の6月8日、西本智美指揮の大編成オーケストラと共演した。当初、予定プログラムにモーツァルトの「ピアノ協奏曲第21番ハ長調」の第2楽章とあったので、スウェーデン映画の『短くも美しく燃え』で印象深かったあの名曲をグラスパーが演奏するのは、彼が本格的なジャズのピアノ・トリオに踏み出したのと同一次元の試みだと確信して実はすこぶる興味津々だった。ところが、なぜかグラミー賞受賞曲「Jesus Children」に変更されたとの知らせがあり、期待は残念ながら潰えてしまった。それはさておき……本作の演奏に集中しよう。
タイトル通り、『Black Radio』のヒット曲をカヴァーしたこの新作におけるグラスパーの演奏は、気合いはむろん入っているが、全編にわたって穏やかで楽しげな気分を存分にたたえている。その上、スタジオに集まったR&Bファンにジャズのトリオ演奏の面白さを発見してもらいたいという彼の熱意がある種の心地よいテンションを生んでいることに時おりハッとさせられる、そんな快適なる流れが全編にある。原曲を思い切って変身させる面白さよりも、人々にアピールした原曲のよさをさらにジャズのピアノ・トリオ演奏で洗練されたものに増幅させていくグラスパー・トリオの本領が、実に気持のいい流れを作り出しているのだ。「トリオによる吹込演奏を多くの人々が理解しやすい形でつくることがこの1作のテーマだ」という彼の本心、あるいは狙いが、額面通りに受け取れる演奏集となっているといってよい。(3)「レコナー」から(6)「ソー・ビューティフル」の流れがとりわけ素晴らしい。中でも彼なりの入魂の演奏といって過言ではないジョニ・ミッチェルの「バラングリル」など、ヴィンセンテ・アーチャーとダミオン・リードの卓越したサポートにも支えられた会心の1曲である。そのグラスパーらしさが、多くの名演奏を生んできた(9)「ステラ・バイ・スターライト」にも発揮されており、キース・ジャレットはむろん多くの歴史的ピアニストの演奏とは根底から違う彼の現代的視点に立つコンセプトが身近に実感できる点でも興味深い。こうしたコード・プログレッションにもとづくジャズの歴史的アドリブ法や通常のコーラス構成から自由になるとともに、意識的にそれらと距離をおくグラスパーの奏法が(10)の「Revels」でも活きいきと示されている。
この演奏以降はハリー・ベラフォンテが歌詞を共作したり、グラスパーの子供たちの声を縫ってジョン・コルトレーンやジミー・ヤンシーの名前が聴こえたりする。スタジオ・ライヴの体裁をとったこの新作は、録音の殿堂とでもいうべきフランク・シナトラやペギー・リーやナンシー・ウィルソン、あるいはジャズのジョージ・シアリングやナット・キング・コールなど数多くの名作を生んだキャピトルのスタジオでライヴ録音された。それがグラスパーの気持を高揚させたことは疑いない。といって、本作でグラスパーは手の内を全部さらしたわけではない。むしろ上記文中に掲げたここでの優れて活きのいい演奏の随所にブラッド・メルドーをしのばせるサウンドやフレーズが反響したり、メルドーがかつてよく取り上げたレディオヘッドの作品のメロディック・ラインが聴こえてくるような瞬間に出会ったりすると、現代の最も新しい方向性を追求するアーティストとして、ロバート・グラスパーもブラッド・メルドーやジョシュア・レッドマンらと肩を並べる存在であることを強く認識させられたというのが、この新作を聴いた私の率直な思いだ。(悠 雅彦)
*初出:2015年628Jazz Tokyo #209
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