#1340 『生活向上委員会:In NY支部』
text by Takeo Suetomi 末冨健夫
SKI-01/1975
side 1
1. Stravizauls
side 2
1. Kim
2. Not So Long Don
生活向上委員会ニューヨーク支部:
梅津和時(as)
原田依幸(p, b-cl)
アーメッド・アブドラ(tp)
ウィリアム・パーカー(b)
ラシッド・シーナン(ds)
アリ・アブウィ(engineer)
Recorded at STUDIO WE, NYC, August 11, 1975
1974年、梅津和時はニューヨークの奥深くへ単身乗り込んで行った。その翌年には盟友原田依幸も合流し(こっちの酒は旨いぞと言って誘ったとか)、「生活向上委員会」のNY支部結成となった。「生活向上委員会」は、まだ国立音大在学中の梅津和時と原田依幸のデュオに付けられた名前だ。Studio Weを中心に、彼ら二人と当時のロフト・シーンを彩る多くのミュージシャンとの共演、交流が図られた。このアルバムは、そんな交流の中で生み出された自主制作盤だ。500枚プレスだったと聞く。75年8月Studio We にて録音された本作のメンバーは、当時バリバリの若手たちで、まさに「ロフト・ジャズ」と呼ばれていた熱い溶鉱炉の中のマグマのような連中が揃っている。梅津和時(as)、原田依幸(p,b-cl) の他はAhmed Abdullah(tp)、William Parker(b)、Rashid Shinan(ds) そしてエンジニアがAli Abuwiといった面々。後も活躍を続ける強者ぞろい。とは言うものの、当時アブドゥラは75年にサン・ラ・アーケストラに参加したばかりで、まだ初リーダー・アルバムもリリースされていない時期だった。彼の初リーダー作は、78年チコ・フリーマンらと演奏した録音で、この時もドラムは、ここで共演しているラシッド・シナンが演奏している。ウィリアム・パーカーは今でこそニューヨークのジャズ・シーンでも3本指に数えられるベーシストで、バンド・リーダー(オーケストラも)だが、当時の彼もアブドゥラ共々まだ初リーダー作も出せていなかった若い時期だった。
さて、このアルバムは、両面20分を越える長尺の演奏。日本人だの本場のジャズメンだのといった御託が吹っ飛んでしまう熱演だ。「これぞ直球ど真ん中のJAZZ!ってもんだろう」と、今でも思う。だが、アメリカ勢というかNY勢は、これで結構しなやかなスマートと言っても良さそうな演奏だが(多分今の耳で聴いているからそう感じるのかも。当時はもっとホットな演奏に聞えていたはずだ)、日本勢二人はかなり破天荒な演奏をしているように聞える。何という個性、アクの強さだ。アフリカン・アメリカンのルーツを持たないからこそ到達できたとも言える。そんな破天荒さは、彼らの帰国後の演奏に如実に現れて行く。だいたいバンド名が「生活向上委員会」だ。翌年には、八王子アローンを基地に、こんどは「集団疎開」だ。77年にはリハーサル・オーケストラが「生活向上委員会大管弦楽団」と名付けられ、これがテレビに度々登場することとなり、80年にはメジャーで2枚のアルバムが制作されもした。メジャーでのアルバムは梅津、原田個人名義でも制作された。『梅津:Bamboo Village』(80年、富樫雅彦、デヴィッド・フリーゼンという豪華さ)、『原田依幸:MIU』(81年、山内テツらに混ざって、豊住芳三郎や翠川敬基も)。このあたりから、とくに梅津和時の上昇気流は一気に上空まで上りつめていった感がある。80年、RCサクセッションへの参加。81年ドク梅バンド結成等々。同じく81年、富樫雅彦のアルバム『Flame Up』には、梅津、原田両名が参加し富樫とのトリオを組んだ。私個人の記憶では、80年前後の新宿PIT INNでの山下洋輔トリオ+αへのゲスト参加や、坂田明テンテットとかへの参加で聴いた梅津さんの演奏がひときわ印象に残っている。まさに本家を食う勢いがあった。
ここでもう少し、個人的な体験談を。93年頃だっただろうか、隣町の山口市のポルシェという現在でも健在な老舗ジャズ喫茶がある。そこに板橋文夫グループが出るけど、メンバーが多くて(と言っても4人だが)とても一台の車に乗せられないからと、応援を頼まれた。その時私の運転する車に乗ったのが、梅津さん、齋藤徹さん、小山彰太さんだった。私は当時カフェ・アモレスという喫茶店をやっていて、毎月フリージャズを中心にライヴを行っていた。だから、梅津さんたちには、「あれ、てっきりカフェ・アモレスできょうは演奏するものとばかり思ってた」と言われた。近年は、防府の「印度洋」にKIKI Bandで来られて久しぶりに再会できた。去年、ユニバーサル・ミュージックからリリースしたCD/LP『崔善培:The Sound of Nature』では、梅津さん、小山さんにも参加していただいている。もうひとりベースは、井野信義さん。
ところで、75年2月にワシントン・スクエア・メゾジスト教会で行われた総勢30名に及ぶミュージシャン(2名のポエトリー・リーディングを含む)で、アール・フリーマンの曲が彼の指揮で演奏されている。その中に、Kappo Umegaの名前がある。梅津さん本人に聞くと、「それ、僕。これが初レコーディングだった。こんなもん持ってる人がいるんだあー!」と言われてしまった。『The Universal Jazz Symphonette Presents SOUND CRAFT ’75』(ANIMA A.N.1001)です。ウィリアム・パーカーも参加しています。原田依幸さんとは、これまで一度もお会いしたことはありませんが、崔善培さんや故金大煥さんが原田さんと共演をされ、CDも残されています。
ともあれ、祝CDリリース! 待ち望んでいました。おまけに、ドン・モイエまでが来日し、生活向上委員会と共演するとは! 一体どんな演奏が繰り広げられるのか。ぜひともライヴ録音をリリース願います。
末冨健夫
1959年生まれ。山口県防府市在住。1989年、市内で喫茶店「カフェ・アモレス」をオープン。翌年から店内及び市内外のホール等で、内外のインプロヴァイザーを中心にライヴを企画。94年ちゃぷちゃぷレコードを立ち上げ、現在までに第1弾CD『姜泰煥』を含む7作を制作。95年に閉店し、以前の仕事(貨物船の船長)に戻る。2013年に廃業。現在「ちゃぷちゃぷミュージック」でライヴの企画、子供の合唱団の運営等を、「ちゃぷちゃぷレコード」でCD/LP等の制作をしている。今年、『Free Music 1960~80』(On Demand) を上梓。