#1341 『生活向上委員会ニューヨーク支部 / SEIKATSU KOJO IINKAI』
text by 剛田武 Takeshi Goda
off note / non-25 2000円+税
2016年9月11日発売予定
生活向上委員会ニューヨーク支部:
梅津和時 Kazutoki ‘Kappo’ Umezu (as)
原田依幸 Yoriyuki Harada (p, b-cl)
アーメッド・アブドラ Ahmed Abudullah (tp)
ウィリアム・パーカー William Parker (b)
ラシッド・シナン Rashid Shinan (ds)
アリ・アブウィ Ali Abuwi (eng)
1.ストラビザウルス Stravizauls (Yori Harada) 21:54
2.キム Kim (Kappo) 23:05
3.ノット・ソー・ロング・ダン Not So Long Don (Kappo) 1:59
Recordrd at Studio We August 11th,1975
ニューヨークの屋根裏に飛び込んだ音楽革命戦士の戦利品。
1980年、高校のブラスバンドでバリトンサックスを吹いていた筆者は、ラジオで聴いた渡辺貞夫に憧れてジャズに興味を持った。しかしながら、ブラバンではチューバとユニゾンの低音パートを吹くバリサクでナベサダのような華麗なフレーズを吹くのは難しそうに思えた。そこで近所のレコード店のジャズコーナーで購入したのがジェリー・マリガンのLPだった。丁寧で分かり易いマリガンのプレイはコピーするには悪くなかったが、感情の起伏に欠け、インテリぶった演奏スタイルは物足りず、南国で日焼けしたナベサダの躍動感には到底敵わなかった。もっと激しいバリサク奏者はいないか、と探して出会ったのがハミエット・ブルーイットだった。バリサクが張り裂けんばかりに豪快に吹きまくる黒い巨体は、筆者のジャズ体験に大きな影響を与えた。
ブルーイットが参加するレコードや雑誌記事を探すとき、必ずついて回る言葉があった。それが「ロフト・ジャズ」。大衆に迎合するメインストリーム・ジャズから距離を置き、創造的な演奏の場を求めて、ニューヨークの屋根裏のクラブで夜な夜な自由なセッションが繰り広げられるというストーリーに、当時心酔していたパンク・ロックと同じ香りがして、これこそ自分が求めるジャズだと確信した。ブルーイット、アーサー・ブライス、オリヴァー・レイク、ジュリアス・ヘンフィル、デヴィッド・マレイ、チャールズ・ボボ・ショウ、そしてアート・アンサンブル・オブ・シカゴ。35年経った今でも自分の好きなジャズはニューヨークやシカゴの屋根裏(ロフト)から聴こえてくると信じている。だから3年前にYouTubeでブルックリンの小さなクラブで演奏するクリス・ピッツィオコスを発見したことは、自説の正しさを証明する出来事だった。
オリジナル・リリースから40年経って、やっと再び世の中に登場した貴重な作品を紹介するのに、いきなり個人的な感傷に浸ってしまって恐縮極まりない。しかしジャズのイロハも知らない少年の心を無性にときめかせた謎に満ちた音楽シーンに、日本のミュージシャンが単身乗り込み、現地のアーティストと交歓してこれほど見事な結晶(作品)を生んだ、という事実を前にして、10代の頃のナイーヴな感性が呼び覚まされる気持ちを抑えることはできない。
脱線ついでに言うならば、ロック界でも同じ出来事があった。商業的なヒット曲や巨大に成り過ぎた従来のロック(Old Wave)に反旗を翻し、ロック本来の衝動を取り戻そうとするパンク・ムーヴメント(New Wave)も、ニューヨークの裏通りの小さなライヴハウスから始まった。77年にニューヨークへ渡ったレックとチコ・ヒゲは、No Waveと呼ばれる前衛的なパンク・バンド群のメンバーとして活動したあと帰国。ニューヨークとあまりに異なる東京のロック・シーンを変えようと、フリクションというバンドを結成し、日本で最初のパンク・ムーヴメントを起こした。
一方、生活向上委員会に話を戻すと、75年にニューヨークから帰国した梅津和時と原田依幸は、八王子のアローンに拠点を移して、ニューヨークに対するシカゴのように、中央に対するアンチ精神で独自の音楽活動を行う。やがてここで生活向上員会大管弦楽団が生まれて、日本の音楽シーンに衝撃を与えることになった。
パンクとフリージャズ、どちらも革命の本拠地のニューヨークに赴き直に体験したミュージシャンが持ち帰り、自ら革命戦士となって日本の音楽シーンに変革をもたらしたという事実は興味深い。後に梅津がロック・バンド、RCサクセションと共演したり、フリクションのアルバムにジョン・ゾーンがゲスト参加したり、レックが近藤等則IMAのメンバーになったりといった両者の交歓を思うと、新しい波(New Wave)は必ずどこかで繋がっている気がする。
アルバムの内容にも触れねばなるまい。
(1)ストラビザウルス
原田作のユーモラスなテーマの破天荒な即興曲。生活向上委員会大管弦楽団はもちろん、梅津と原田の演奏の中心にはユーモアがある(ギャグとは違うので注意のこと)。同時代の日本のフリージャズを見ると、ほとんどがシリアス一辺倒で、「難解」「わけが分からない」「五月蝿い」といったフリージャズへの先入観を助長するものだった。唯一ナウ・ミュージック・アンサンブルがダダイスティックな笑いを表現していたが、音だけでは面白さが伝わらない。そんな時代に発せされた「ストラビザウルス」のずっこけ感のあるフレーズは、恐らくニューヨークの音楽家や聴衆にとっても新鮮だったのではないだろうか?けたたましいテーマに続いて展開されるソロ・パートは疾走感に満ちたハードコアジャズ。言いたいことを吐き出そうとする表現欲求は人種や国籍に関係ない。
(2) キム
冒頭のホンキートンクのようにパーカッシヴなピアノは原田の独壇場。梅津が加わりカウンターメロディをロングトーンで吹き上げる。真面目に吹いているようで、徐々に放屁や馬の嘶きに変幻していく脱線プレイは、子供がじゃれ合うのに似ている。ベースとドラムが加わり集団即興に発展するとさらにエスカレートする梅津と原田。諌めようと介入した筈のトランペットもすぐにミイラ取りがミイラになり、トムとジェリーさながらの追いかけっこが繰り広げられる。主人公のキムさんは子供好きの好々爺に違いない。
(3)ノット・ソー・ロング・ダン
二人のユーモアが凝縮された2分足らずの小品。優雅な舞踏会に似合いそうなメロディーだが、ヤンチャ者の5人が真面目ぶって演奏する様子を想像するだけで笑ってしまう。1980年10月18日のドナウエッシンゲン音楽祭でのライヴ盤『梅津和時+原田依幸/ダンケ』に収録されたライヴ・ヴァージョンでは、観客の笑いと手拍子が巻き起こり、ステージ上でどんなハチャメチャが行われていたのか興味は尽きない。そういえば「サックスの掛け合い」と称して、サックスのベルの中に水を入れて掛け合うパフォーマンスをしたという伝説は、彼らのことではなかっただろうか。
(2016年8月29日記)
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