#987 カーリ・イコネン・ピアノ・ソロ
reported by Takashi Tannaka 淡中隆史
photo by Yutaka Shiomi
2017年11月11日 横浜エアジン
カーリ・イコネン(Kari Ikonen) ピアノ・ソロ
横浜エアジンのドアを開ける。ライブハウスというより誰かの部屋を訪ねたような不思議な空間にカーリ・イコネンはすでに知人と談笑中。間もなく窓が閉じられ外界から聴こえていた馬車道の街の音が消えると演奏が始まった。20人にも満たない観客(というか訪問客)達と共に「室内」に満たされていくソロピアノの音楽を共有することになった。こんなインティメートなサロンでは負の反応はありえない。まるで(妄想ですが)シューベルティアンの集いに参加したような暖かい雰囲気の音楽に始まり引き込まれていく。
「ピノキオ」(W.Shorter)、「ジャイアント・ステップス」(J.Coltrane)の他オリジナルの7曲、70分あまりを聴いてアルバムやヨーロッパのジャズ・フェスティバルでのライブ映像(youtube です)で抱いていたイメージは一変した。「ピアニスティックで清冽な構築美」といった印象とはあまりにも対極にあるものだった。一体どちらがイコネンの音楽なのかと戸惑ってしまう。内部奏法のグリッサンド一撃のあとに自ら応える(ひとりだからあたりまえですが)美しい和声が構成されて響き合いっていく。ノルディックな明るい情景が見えてくるような音響の呼び交しにも聴こえ率直にロマンティックな青春性を表現する清々しさがあった。「ジャズ」のライヴに共通する醍醐味 —演奏者の熱狂や恍惚が観客を巻き込んでいくー とでもいうパターンを脱してパーソナルな楽しさ、美を共有する体験というものはなかなか無いものです。
イコネン(1973~)の少し下の世代では、同じく大沢知之氏(Office Ohsawa)がフィンランドから招聘したアキ・リッサネン(Aki Rissanen)達のようにミニマル的で「非ジャズ的」な対立軸を設定してパーカー的なバップと対峙させ、逆手に取ることで新しいジャズの表現を獲得するケースもあるがイコネンにはこういった手の込んだ文脈や戦略が微塵もない。けれん味のないロマンティックな精神は70年代のECMのジャズ・ピアニスト達にも通じる「青春性」を率直に表しているようで清々しかった。
見た事のない不思議な風景が登場して聴き手をあらぬ方向に誘うようなことがある。シベリウスの音楽に特徴的な「残響の呼び交し」だけで音楽が成立してしまう純音響的な構造は自然や空気感の影響が大きいようでそれに通じるものがあるのかもしれない。
オリジナルを中心にラップランドを主題にした”Kuru”、ヴォイスを伴った小さなトッカータ”Toccatina”、“Sanctum”、Sinephony”前述ウェイン・ショーターのアレグレッシヴな”Pinocchio”、再びオリジナルの”Paxific”、重厚だが清潔な構造体のリズムパターンを持つコルトレーンの”Giant Steps”、ロシア国民楽派を思わせる「民族的」な主題と変奏で東洋から母国への音楽の伝播と出自を重ね合わせた”Transoriental”、純粋な音響的な交差から当日できた(ような)アンコールまでの9曲。
最後まで大きな多幸感に引きずりこまれる楽しいライヴだった。
当日の夜は柏ナルディスでライヴに移動という忙しいスケジュールにもかかわらず楽しい内容で続くツアーで多くのファンが増えていくことを願いたい。