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Concerts/Live ShowsNo. 243

#1017 正戸里佳ヴァイオリン・リサイタル

text by Masahiko Yuh 悠 雅彦

 

2018年5月17日木曜日19:00 東京文化会館小ホール

正戸里佳(まさとりか)/ヴァイオリン
菅野潤(かんのじゅん)/ピアノ

1.星の夜(ドビュッシー)
2.ヴァイオリン・ソナタ(ドビュッシー)
3.春  Op. 18 (ダリウス・ミヨー)
4.フォーレの名による子守歌(ラヴェル)
5.ヴァイオリン・ソナタ(ラヴェル)

………………………………………………休憩…………………………………………………

6.ノクターン(リリ・ブーランジェ)
7.コルテージュ(リリ・ブーランジェ)
8.平和のためにお祈り下さい(プーランク)
9.ヴァイオリン・ソナタ(プーランク)

 

プログラムを一瞥してまず気がつくのは、フランス近代の音楽史を飾ったドビュッシー、ラヴェル、そしてオネゲルやミヨーやタイユフェールらとともにフランス6人組の1人として活躍したプーランクという、3人の作曲家のヴァイオリン・ソナタを軸にした興味深い選曲で構成していること。もう1つは、24歳という若さで病没したリリ・ブーランジェの美しい小品を2曲採りあげていることだ。ちなみにリリの姉は世界的なスケールの音楽教師としてフランスと米国で活躍した人で、ガーシュウィンやコープランドなどの米国の音楽家とも交流した才人。彼女ナディアは妹リリとは正反対に長生き(93歳)し、妹と同じ墓地に埋葬されている。知名度では姉のナディアの足下にも及ばない妹のリリだが、彼女が残した小品の幾つかは典雅な愛らしさをたたえている。正戸がこの夜、リリの小品を2曲採りあげたことで、彼女の近代フランス音楽への造詣の深さが尋常な類いのものではないことがはっきりした。とはいうものの、前半の最後を飾ったラヴェルの熱演ともし出会うことがなかったら、すんでのところで休憩後の後半を聴くことなく帰ってしまうところだった。フランス音楽に全情熱を傾注した正戸の才気がこのラヴェルで一気に開花した感じだった。とりわけ各楽章ごとに性格の違いを特徴づける奏法の違い、それが音となって開花し、ときに爆発するスリルを満喫した。中でも第2楽章のユーモラスな表情づけが秀逸で、2000年代に入って数々の入賞歴を誇る正戸里佳の本領の一端に触れたような気がした。

率直にいって後半を聴かずに帰らなくてよかった、とつくづく思ったのは、後半の最後を飾ったプーランクのソナタがさらに素晴らしい出来映えで、プーランクならではの諧謔とユーモアが楽想をジャンプアップさせた開放感と面白さを賞味することが出来たからだ。これこそ正戸ならではの情熱ほとばしる演奏というべきものだろう。あたかも桜が開花した華やかさを想起させるプーランクのソナタではあった。このソナタには<ガルシア・ロルカの思い出に>という副題がついている。ガルシア・ロルカはスペインの生んだ独創的な詩人で劇作家。「ジプシー歌集」で知られる彼はその開放的で自由な精神を横溢させた表現でフランスを中心としたヨーロッパ各国で熱い支持を得たが、フランコ政権の怒りをかってスペイン内戦の最中に銃殺され、38歳の生涯を終えてしまった。プーランクはこのソナタで人間味豊かなロルカの死を痛切な思いで表現し、この異才の死を悼んだ。それをどう表現するか。まさにヴァイオリン奏者の真価が問われる1曲であり、ヴァイオリニストの力量が問われるソナタといっていい作品だ。スペイン内戦の悲劇を告発し、その悲劇の中で銃殺されたロルカを悼んで、プーランクは最後の第3楽章でそのロルカが落命した瞬間の銃殺の音をピアノで表現した。もっとリアルな音で表現してもよかったのではないかとぼくなどは思うが、事情に疎い人のことや現時点での世界の動静を考えるとオーソドックスなこんな表現でむしろよかったのかもしれない。それはそれとして、正戸里佳とパリでの活動歴が長いピアニスト、菅野潤の呼吸のあった熱いこのソナタに私は時代を超えて訴える何か強いインスピレーションを感じたせいか、心も身体も熱くなった。プログラムには正戸がパリで初めてこのソナタを演奏した思い出が綴られているが、そのときのピアニスト、ガブリエル・タッキーノがプーランクの最後の弟子だったことを思えば、このソナタの再演にはひとしお強い思いが正戸にはあったに違いない。正戸里佳と菅野潤による感銘深い演奏ではあった。繰り返すが、前半の途中までを辛抱してよかった。

正戸はこのリサイタルで小品に類する作品を第1部で3曲、後半の第2部でも3曲弾いた。

前半のラヴェルのソナタの前に、彼女はドビュッシーのソナタを演奏しているのだが、このソナタをはさんで演奏したドビュッシーの小品「星の夜」とミヨーの「春」がドビュッシーのソナタを埋没させてしまったのかもしれない。一方、後半の小品は当方も気を入れて集中したせいか、気持よく聴けた。どりわけリリ・ブーランジェの「夜想曲」と愛らしさが活きいきと表現されている「コルテージュ 行列」。オネゲルに影響を与えたとはにわかには信じられないこんな愛らしい作品を聴くと、フランスからシャンソンが生まれた背景すら感じさせて興味深い。機転のきいたこの選曲で、最後のプーランクのソナタがいっそうドラマティックに聴衆の心にアピールしたことは間違いない。

アンコール曲としてドビュッシーの「亜麻色の髪の乙女」に次いで、プーランクのよく知られた小品「愛の小径」が演奏された。後半を締めくくったソナタの前にもプーランクの「平和のためにお祈りください」(駒沢女子大学教授・米金孝雄訳)を選んで演奏した正戸里佳は、よほどプーランクが大好きな作曲家との表明でもあるだろう。最後になってしまったが、肉厚にして情感豊かな音と開放的な呼吸で正戸の演奏を支えた菅野潤のピアノに拍手を贈りたい。

(2018年6月1日記)

悠雅彦

悠 雅彦:1937年、神奈川県生まれ。早大文学部卒。ジャズ・シンガーを経てジャズ評論家に。現在、洗足学園音大講師。朝日新聞などに寄稿する他、「トーキン・ナップ・ジャズ」(ミュージックバード)のDJを務める。共著「ジャズCDの名鑑」(文春新書)、「モダン・ジャズの群像」「ぼくのジャズ・アメリカ」(共に音楽の友社)他。

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