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R.I.P. エルメート・パスコアールAll About JazzNo. 330

エルメート・パスコアールを偲んで:魔法使いの呪文 by イアン・パターソン

Originally published as Ian Patterson: Remembering Hermeto Pascoal: The Sorcerer’s Spell by All About Jazz on September 16, 2025
https://www.allaboutjazz.com/remembering-hermeto-pascoal-the-sorcerers-spell

自然の音を使った超現実的な実験から、ビッグバンド録音における喜びに満ちた全力疾走のジャズ・フュージョン、そしてフルートやピアノの繊細な抒情性に至るまで――パスコアールのディスコグラフィーのどこに針を落としても、そこには魔法が宿っている。

唯一無二のブラジル人マルチ・インストゥルメンタリストで作曲家の エルメート・パスコアール が、天上の大舞台へと旅立った。愛情を込めて「ブルーショ(魔法使い)」と呼ばれたパスコアールは、2025年9月13日に逝去。享年89だった。

ブラジル音楽の数多くのスタイルを横断した音楽家は、パスコアールをおいてほとんどいない。彼の最初の商業録音は1956年、民俗音楽・合唱曲・管弦楽作品で知られる作曲家クローヴィス・ペレイラとの共演であった。パスコアールはそこで2曲にわたり サンフォーナ(ボタン式アコーディオン) を演奏している。その後65年にわたり、ペルナンブーコ・ド・パンデイロ、エドゥ・ロボ、デ・メロ、タイグラ、シヴーカ、エリス・レジーナ、フローラ・プリム、アイアート・モレイラといったアーティストたちのアルバムに参加し、ムジカ・ポプラール・ブラジレイラ(MPB)、フォーク音楽、そしてジャズの広大な領域にその足跡を残した。

1970年代、彼はドナルド・バードと録音を行い、またマイルス・デイヴィスの『 Live-Evil』(コロムビア、1971年)にも参加した。デイヴィスは明らかにパスコアールのファンであり、スタジオ録音においてパスコアールの3曲――<リトル・チャーチ><ネン・ウン・タルヴェス><セリム>――を取り上げている。

パスコアールは1936年6月22日、ブラジル北東部の町 ラゴア・ダ・カノア に生まれた。この町の名は、後に彼の1984年のアルバムのタイトルにもなった。父の手ほどきにより幼い頃からボタン式アコーディオンを学び、さらにフルートにも惹かれていった。10代に入る前にはすでに父や兄とともに家族グループで演奏していた。1950年、一家はヘシーフィに移住し、そこでパスコアールは後に妻となるイルザと出会うことになる。

1960年代、彼は コンフント・ソン4、トリオ・ノーヴォ、サンブラサ・トリオ、クアルテート・ノーヴォ、そして折衷的な ブラジリアン・オクトパス といった、いずれも短命ながらブラジル音楽とジャズを融合させたグループで名を馳せた。1970年にはセルフタイトルのソロ・デビュー作を発表し、その後50年以上にわたりリーダーとして20枚以上のアルバムを世に送り出すこととなる。

パスコアールを「マルチ・インストゥルメンタリスト」と呼ぶだけでは、その真髄を語り尽くせない。フルート、ピアノ、アコーディオンは彼の主要楽器であったが、ティーポット、カトラリー、玩具、小麦粉挽き器など、想像力をかき立てるあらゆるものから音楽を引き出した。アルバム『 Lagoa da Canoa Municipio de Arapiraca』(ソン・ダ・ジェンチ、1984年)では、ブラジルのサッカー実況の熱狂的リズムに触発されて2曲を作曲している。さらに鳥のさえずりや洞窟の鍾乳石から滴り落ちる水音までも、彼は楽譜に書きとめて音楽にしてしまった。

自然の音は常に彼のインスピレーションの源であった。1985年、パスコアールはリカルド・ルア監督の映画 『Sinfonia do Alto Ribeira』 (Bagre Cego) のサウンドトラック演奏に招かれた。このドキュメンタリーは、アルト・ダ・ヒベイラ州立公園が直面する生態学的脅威を浮き彫りにすることを目的としていた。パスコアールは国立公園の熱帯雨林の中で、全編の音楽を作曲・演奏した。YouTubeには、彼と仲間たちが川の中に腰まで浸かり、水を打楽器として用い、調律した瓶を旋律として演奏する圧巻の映像が残されている。

生粋の打楽器実験者であったパスコアールは、アルト・ダ・ヒベイラ州立公園に数々の楽器を持ち込んだ。その中には、2台のミシン、雄羊の角、台所用品、さらには自動車の部品など、極めて風変わりなものも含まれていた。まさに彼は、2018年のアルバムのタイトルを借りれば「音楽そのもの」であった。

そして、その音楽のなんと素晴らしかったことか!自然の音を使った超現実的な実験から、ビッグバンド録音における喜びに満ちた全力疾走のジャズ・フュージョン、さらにはフルートやピアノにおける繊細な抒情性に至るまで――パスコアールのディスコグラフィーのどこに針を落としても、そこには魔法が宿っている。

パスコアールの最後のスタジオ録音となった『Pra você, Ilza』(ロシナンテ・レコード、2024年)は、2000年に亡くなった妻イルザに捧げられた作品であった。アルバムのライナーノーツでパスコアールは妻について次のように記している。
「私たちの愛、私たちの精神、私たちの魂は、今も共にある。すべては絶え間なく展開し続けている。」

エルメート・パスコアルの音楽は今も残り、その華麗な色彩、無数のニュアンス、そして普遍的なリズムのすべてを広げ続けている。2022年、アイルランド・タイムズ紙のコーマック・ラーキンによるインタビューで、アイルランドのコークでのコンサートを控えた週に、パスコアールはその驚異的なキャリアを貫いた音楽哲学をこう総括している。
「音楽はあらゆるところにある。音楽は私たちが呼吸する空気のようなものだ…」

エルメート・パスコアール:1936年6月26日 ― 2025年9月13日

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