Jazz and Far Beyond
ヴィジェイ・アイヤー、ルドレッシュ・マハンザッパ、レズ・アバシ、フリー系ではジョン・イラバゴンなどアジア系アメリカ人の名前をジャズ・メディアで目にすることが近年多くなった。
ターレはこのようにトロンボーン、ほら貝の演奏者としての活動にとどまらずトランペットやテナーの魅力を引き出すなど発想も豊かでプロデュース力にもたけている。
ジーン・リーとの共演でよく知られるピアニスト、ラン・ブレイクの独創的な演奏とその軌跡を追う。バイロン・コーリーによるインタビュー。
15年近くも新作発表がなかったエルメート、昨年2017年に急に2作発表。その2作目『Natureza Universal』はビッグバンドもの。鬼才エルメートの凄さ満載。その一曲<Pirâmide>はエルメートのちからのショーケースとなっているばかりでなく、参加ミュージシャンの脅威的に高い水準も容易に理解できる作品。このアルバムに深く感銘をうけた筆者が楽曲解説。
「鯉沼さん、プロモーターとしてやり残したことはないでしょう?」「プロモーター? 俺は興行師だよ!」。大興行師・鯉沼利成と音楽人としてのキャリアの一部を共有できたことは光栄かつ名誉なことである。
ちなみに、「I ❤ Vinyl 」のVinylは「ヴァイナル」と発音し、アナログレコードのこと。欧米では一般にアナログレコードの原料がビニール樹脂であることからVinyl ヴァイナルと呼ぶ。
レスター・ヤングのポークパイ・ハットはあまりに有名で、彼のトレードマークとなっている。ポークパイ・ハットを被った姿多くの写真が残されており、アルバムカバーにもなっている。
この小説は、実在した「吾妻婦人音楽連中」(邦楽をやるときには東婦人音楽連中と表記)という芸妓のブラスバンドをモデルにして書かれました。
『For 2 Akis』は、ECMと日本を巡るさまざまなストーリーの広がりと収束を秘めた特別なアルバム
“In memory of John & Kenny”—−このアルバムは、ジョン・テイラー(1942年9月25〜2015年7月17日)とケニー・ホイーラー(1930年1月14日〜2014年9月18日)の思い出に捧げられている
地獄から復活したクラリネット奏者ピーター・キューンの活動の核を成すトリオの新作にあふれる無為自然の意図は、レント・ロムスと共振する西海岸即興シーンの奇跡的な超越的集合体を産み出した。
姜泰煥ほどポリフォニックな奏法を駆使するサックス奏者はいない。独特な音の上下動で表出されるダイナミズム、そして繊細な表現から導き出される叙情性といい、本盤は姜泰煥の持ち味を見事に捉えている。
新作『Invisible Threads』8曲目以降の、孤独で切ないサーマンという被り物を脱ぎつつあるような美意識でもって、そうさなあ、2CDライブ盤を制作してみてはどうだろう
まあ即物的と言えば言えますが、ここまでのアナログ・サウンドを今、どれだけの人がやれるでしょうか。
石田幹雄の「真骨頂」をとらえた、待望のソロピアノアルバム
教会オルガンの音色が必然的に持ってしまう文化的な文脈、その抑圧といったちからとの相克、サン・チョンとダウンズが創ったこのサウンドを聴くわたしたちリスナーは試されているようだ、
復活したピーター・キューンによる、「因縁生起」という名のスペクタクルなフリージャズ。
ベルリン在住の奥田梨恵子によるピアノソロは、フィードバックの偶発性を意図的に利用し、トーナルなものを執拗に追及した、驚くべき作品である。
「天音」は、実はお酒の名前でして、この音楽を聴かせながら発酵したという代物。
根底にある二人の心根の優しさが時を越えてありのままのエモーションを語りかけてくる。
少なくともこの瞬間に立ち会えた私自身の喜びがないまぜになった感動で、胸が異常なまでに高まるのをしばし抑えられないほどだった。
1970年代初頭、伝説の新宿ピットイン・ニュージャズ・ホールで若き日を過ごした阿部辰也。2018年、吉田野乃子らとともに「札幌 Free Jazz 最前線」と題したイベントに出演した彼の現在の演奏と、フリージャズへの思いをきいた。
終盤で演奏された、多分、<Senhorinha>の頃には、もう身も心も溶けていくような、本当に素晴らしいライブだった。
ニューヨークの変容するジャズの世界を生き抜くピアニスト蓮見令麻の歌を中心にしたトリオ演奏は、高潔な美意識の内側に漲る母性と慈しみに触れる心温まる一夜だった。
録音テクニックの優れた表情が、表現を盛り立てる。
ピアノの美しさには、とどめを刺された。
音楽の表現を見事に捉えた音場に引き込まれ、不思議な空間感に誘われる。
録音技術が音楽表現を一層強めたと言えよう。エンジニアの感性が濃厚に現れる。
電子楽器からは得られない開放感と重量感は、贅沢としか言い様がない。
オンマイク手法と遮断が、このディスクの聴きどころなのだ。
ピアノが、巧く浮かびあがるバランスもあって、響きの柔らかさと強さが、音像として耳に残る。