#21 RIP エンニオ・モリコーネ 映画『海の上のピアニスト』
text by Kenny Inaoka 稲岡邦彌
去る 7月6日(2020年)エンニオ・モリコーネが亡くなた。享年91。ローマで生まれ、ローマを中心に活躍し、亡くなったのもローマだった。トランペット奏者の息子として生まれ、幼い頃からトランペットやピアノに馴染み、天命のように音楽家になった。ローマのサンタ・チェチーリア音楽院で作曲技法を学んだ後、作曲家としてテレビ・ラジオ等の音楽を担当したが、1961年、ルチアーノ・サルチェ監督『ファシスト』で映画音楽作家としてデビュー、以降、担当した映画は500本を超えるといわれている。70年代にはトランペッターとして即興演奏グループに参加したり、晩年は自作曲に壮大なオーケストレーションを施し自ら指揮棒をとったりもしたが、やはり本領は映画音楽だったといえよう。
数多い映画音楽の中でとくに多くのファンに愛好され続けているのは、『夕陽のガンマン』、『ニュー・シネマ・パラダイス』と『海の上のピアニスト』ではないだろうか。ラジオDJのピーター・バラカンはNHK-FMの番組で『続・夕陽のガンマン』(1966) のテーマを流してモリコーネを追悼し、この曲のアレンジの大胆さ、斬新さをいちばんに挙げていた。いわゆる「マカロニ・ウエスタン」のシリーズはセルジオ・レオーネ監督とのコンビ作だったが、『ニュー・シネマ・パラダイス』(1988) と『海の上のピアニスト』(1988) はジュゼッペ・トルナトーレ監督とのコンビ作である。「争い」をテーマにした映画が多い中にあって、パラダイスとピアニストはヒューマン・ストーリーであることが共通していて、愛好され続けている音楽も共に「愛」をテーマにしている。「愛のテーマ」と「愛を奏でて」。モリコーネ音楽のロマンチックな側面を象徴するメロディが琴線を揺する。
『海の上のピアニスト』は、アメリカとヨーロッパを結ぶ大西洋航路の客船で生みおとされ、ついに船を降りることなく半生を終える男 ”1900” の物語である。エピソードと音楽がふんだんに盛り込まれ映画らしい映画といえようか。『ニュー・シネマ・パラダイス』で成功したジュゼッペ・トルナトーレ監督とモリコーネが、パラダイスから10年後、ふたたび肝胆相照らしながら嬉々として製作に励む姿が目に浮かぶ。主役 “1900” はピアニストだが準主役はトランペッターなのだから。この準主役にからむトランペットがアメリカのCONN社製で古楽器商からこの男が「コーン」と呼ばれるあたりジャズ・ファンなら口元がゆるむはず。逆にジャズ・ファンが柳眉を逆立てかねないのが、主役 “1900” とジェリー・ロール・モートンとのピアノによる決闘。ジェリー・ロール・モートンは実在した(1890~1941) ジャズ・ピアニストで、自称「ジャズを発明した男」として知られる。モートンの難曲、その名も <Finger Breaker>を “1900” は1度の耳コピでたやすく弾きこなし、さらにはそれをはるかに超える早弾きを聞かせモートンの鼻っぱしらをへし折る。”1900″ のバンド仲間が発した言葉が 「Fuck jazz! (ジャズなんかくそくらえ!)」だ。
この “1900” がひと目惚れした船客の若い女性を前に即興でつむぎ出すのが <Playing Love (愛を奏でて)> だ。ロマンチック、かつドラマチック極まりない。映画のストーリーに没入しながらこのメロディが流れてくると男性でも涙腺が緩むのではないだろうか?女性のピアノ弾きが競ってマスターしたがるのも容易にうなづける美しい曲だ。
この映画には音楽ファンの目を引くもうひとつの小道具が登場する。ネタバレになるので詳細は避けるが、おそらくエミール・ベルリナーが 1987年に発明したPhonograph(蓄音機)とシェラックと思われるレコード盤(SP盤に使用されていた)。このふたつが劇中重要な役割を演じるのだ。
最後に蛇足としてトリヴィアをひとつ。この女性が下船の際、”1900″ に向かって投げかける言葉。「NYに来たら遊びに来て。パパがモット・ストリート 27番地で魚屋をやってるから!」。
モット・ストリートという言葉を聞いて思わず頬が緩んだ。Mott Street というのは NYチャイナ・タウンにある小さなストリート。ほとんどの店が8時頃にクローズしてしまうチャイナ・タウンにあって、このMott Streetにある中華屋は夜明けまでオープンしている知る人ぞ知る小さなレストラン。何でも旨いが、とくにソフトシェル・クラブが最高!この映画の脚本家はこの店を知ってるのではないかと思えるほど、Mott Streetはマニアックな脇道なのだ...。
なお。この映画で、モリコーネは、ゴールデングローブ賞他いくつかの賞を授与されている。