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ある音楽プロデューサーの軌跡 稲岡邦弥No. 252

ある音楽プロデューサーの軌跡 # 48 「ジョルジュ・グルンツ・コンサート・ジャズ・バンドの来日」

text & photos by Kenny Inaoka  稲岡邦彌

平成を継ぐ元号、「令和」の発表セレモニーは無事終了、5月1日を以って元号が「令和」に変わる。今回は初めて天皇の退位に伴う改元で、従来は天皇の崩御を以って改元となった。僕は昭和天皇の崩御による昭和から平成への改元を経験しているが、それには苦い思い出が伴っている。それが今回のテーマ、ジョルジュ・グルンツ・コンサート・ジャズ・バンドの来日である。

♫ 22年間務めたベルリン・ジャズ・フェスの音楽監督

ジョルジュ・グルンツ (1932~2013) は、スイス・バーゼルの生まれで、フィル・ウッズの「ヨーロッパ・リズム・マシーン」(1968~1972) のピアニストとして記憶に留めているファンもいれば、今回のテーマである「ジョルジュ・グルンツ・コンサート・ジャズ・バンド」(GG-CJB:1972~2001) のコンポーザー、アレンジャー、ピアニスト、バンドリーダーとして印象に残しているファンもいるだろう。また、ミュージシャンや関係者の中には、JazzFest Berlin (ベルリン・ジャズ・ファスティバル) の音楽監督としてのグルンツの手腕を高く評価しているものも多いだろう。なにしろ 1972年から 1994年まで 22年間にわたって音楽監督を務め、ヨーロッパ・ジャズ界を中心に隠然たる影響力を示し、事実、世界各地から多くのバンドやミュージシャンを招聘しデビューさせた実績には自他共に認めるものがあったのだから。なかでも1982年にECMから『Kultrum』(ECM1251) でデビューしたアルゼンチンのバンドネオン奏者ディノ・サルーシは、グルンツがローカル・ミュージシャンから世界的なアーチストに飛躍するチャンスを与えた最高の音楽家のひとりである。

そんなグルンツからマネジメントを通して来日ツアーの打診があったのは、GG-CJBがECMから『Theatre』(ECM1265) をリリースしてまもない 1987年のことだった。GG-CJBはスイス銀行が全面的にバックアップする今でいうグローバルなビッグバンドだった。結成はグルンツのベルリン・ジャズ・フェス(BJF)の音楽監督への就任と軌を一にする1972年。GG-CJBは世界各国から選抜されたミュージシャンで構成され、グルンツのオリジナル作品を中心に演奏する一種のリハーサル・バンド。BJFのディレクターとして世界各国の音楽シーンを視察したグルンツは各地から才能あるミュージシャンを掘り出し、GG-CJBで鍛え、BJFでデビューさせる手法をとった。上記『Theatre』ではディノ・サルーシがフィーチャーされているほか欧米の強者が多士済々、まさにインターナショナルなコンテンポラリー・ジャズ・ビッグバンドの魅力が横溢している。

♫ 昭和天皇の崩御で「歌舞音曲は自粛」。2箇所で公演がキャンセル...

当時の僕はすでにトリオ・ケンウッドを退社し、マ—ケティング会社ユニコムの音楽事業部を率いていた。GG-CJBの来日ツアーの引き受け手は、やむなく自社で招聘する決断を迫られることになった。意義に賛同し主催を引き受けてくれたプロモーターは東京、名古屋、大阪で一社ずつ、都内のコンサートは自社で主催することにし、九段会館を予約した。メンバーの生国が多岐にわたっているため就労ビザの取得は複雑を極めた。とくに、キューバのアルトゥール・サンドヴァル (tp)と東独のエルンスト・ルードヴィッヒ・ペトロウスキー (reeds) の二人は共産圏のため難航を極め、日本の後の公演地、香港への入国ビザはおりず、東京で待機となった。アジア・ツアーとぶつかった日野元彦の代わりに急遽ポール・モチアンが来日することになった。キース・ジャレット・カルテットでの来日に次ぐ来日がビッグバンドとは..。そんな折りも折り、昭和天皇の崩御のニュース。「歌舞音曲は自粛」の通達を忖度した都下と名古屋の主催者が中止を決定。ツアー自体の中止をスイスのマネジメントに申し出たものの、香港からヨーロッパへのリレーが理由で却下。大阪への新幹線移動を高速バスに切り替えるなど経費削減を条件に東京、大阪2箇所のみで強行することとなった。メンバーは文字どおり多士済々。前述のサンドヴァル、ペトロウスキー、モチアンに旧知のレイ・アンダーソン(tb)、シーラ・ジョーダン(vo)、ケニー・ホイーラー(tp)、クリス・ハンター(reeds)、ベテランのマーヴィン・スタム(tp)、デイヴ・バージェロン (euphonium)、ハワード・ジョンソン(tuba)....経費削減の一環として成田から千葉の長生トレーニング・センターに直行。二泊してリハーサルに励んだことも今となっては懐かしい思い出だ。最初のリハを終えディナーで盛り上がったのだがモチアンの姿が見えない。部屋を訪ねてみるとベッドにぶっ倒れているモチアンがいた。オープン・リズムの達人にビッグバンドのドラミングは応えたようだ。
この稿を執筆するに当たってネットを検索していたところ、スイス政府観光局のサイトの音楽・ジャズの項がジョルジュ・グルンツから書き起こされているのを確認して驚いた。グルンツが逝ってすでに6年が経つが、たしかにグルンツ以上にジャズの世界で名を馳せたスイス人は存在しない。続くのはモントルー・ジャズ・フェスティバルの創設者クロード・ノブス (1936~2013) だ。この人物もニューポート・ジャズ・フェスの創設者ジョージ・ウィーン(ウェイン)と並ぶ国際的なジャズ・プロデューサーで、1967年から46年間にわたってモントルー・ジャズ・フェスを主催していたことになる。モントルーはマイルス・デイヴィスが選んだ最後のステージとしても名高い。今頃気がついてお恥ずかしい次第だがスイスは2013年二人の世界的なジャズ・フェス音楽監督とプロデューサーを相次いで失っていたことになる。しかし、スイス好きのECMのプロデューサー、マンフレート・アイヒャー(スイス某所にセカンドハウスを所有している)の努力でスイスからは、ローニンを主宰するニック・ベルチュやコリン・ヴァロンなど多くの有力新人がECMからデビューしている。グルンツがECMに蒔いた種ともいえるが、グルンツ自身がECMに録音したコンサート・ジャズ・バンドの第2作はおクラになったままである。多忙なアイヒャーと各国から参集したメンバーの集合体であるGG-CJBのスケジュールが合わずセルフ・プロデュースになったのが原因のようだ。後日、ヴァカンスで日本を再訪したグルンツは訴訟をしても陽の目を見させると息巻いていたが...。

♫ 1988年度の最優秀コンサートに選ばれた東京・九段会館コンサート

さて、東京のコンサートは九段会館(3.11で天井が崩落し使用不能になった)で行われた。日野元彦のトラはポール・モチアンが務めたことは先述した通りであるが、アルトゥール・サンドヴァルはランディ・ブレッカーのトラであった。サンドヴァルの演奏を聴くと、そしてサンドヴァルのその後の活躍を知ると、この時点で初来日のサンドヴァルを聴いていたことはわれわれにとって貴重な体験だったといえる。もうひとり、日本から唯一参加したトロンボーンの岡田澄男、彼はデイヴ・テイラーのトラと言われているが、決してそうではなく、現地のミュージシャンを採用しフィーチャーするのはグルンツの手法、礼儀なのだ。2曲目でソロをとる彼の演奏を聴けば単なるトラではないことに納得するはずである。GG-CJBの素晴らしさは、グルンツがソロイストを特定してから曲を書き、編曲を施すことが多いからである。あるいは曲に合わせてソロイストを抜擢するからである。
難渋を極めたGG-CJBの来日コンサートだが、月を経て朗報が届いた。何とこの年から始まった音楽執筆者協議会の「音楽執筆者協議会賞」ポピュラー部門の「最優秀賞」に選出されたのだ!その理由は添付のリンクからyoutubeを観ていただければ誰もが納得するだろう。オープナーのケニー・ホイーラーのフリューゲルホーン・ソロ、耳は釘付けだ。シーラ・ジョーダンとサンドヴァルのスリリングなチェイス。ペトロウスキーのクラリネット・ソロ。ハワード・ジョンソンのチューバ・ソロ。シーラのスキャット。モチアンのドラム・ソロ。どのプレイにも手に汗握る。高度に訓練された技術と卓越した音楽性。どれほど美辞麗句を並べても彼らの至芸を正確に伝えることは不可能だ。一度ボタンを押すと最後までスイッチを切ることができない。長い間ジャズを聴いてきたが、これほど充実したビッグバンド演奏は五指に満たない。記録を残してくれたNHKと、公開の英断に踏み切った岡田澄男氏に大きな拍手だ。
この朗報を受けて、ジョルジュ・グルンツは帰国直後に録音した新作のタイトルを『First Prize』(ENJA)としてリリースした。

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Interview: https://jazztokyo.org/interviews/post-39345/

稲岡邦彌

稲岡邦彌 Kenny Inaoka 兵庫県伊丹市生まれ。1967年早大政経卒。2004年創刊以来Jazz Tokyo編集長。音楽プロデューサーとして「Nadja 21」レーベル主宰。著書に『新版 ECMの真実』(カンパニー社)、編著に『増補改訂版 ECM catalog』(東京キララ社)『及川公生のサウンド・レシピ』(ユニコム)、共著に『ジャズCDの名盤』(文春新書)。2021年度「日本ジャズ音楽協会」会長賞受賞。

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