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Jazz Vagabond 原田和男No. 230

Kaz Harada ジャズ・ヴァガボンド —覚醒への旅—2

text & photo by Kaz Harada 原田和男
旅へ、よしっ行くぞう!

ある日いつものように瓜坂の家、鎌倉材木座の旧獅子文六邸だ。作家だからか玄関上がると即応接間、ここで出版社の担当者が待っていたであろう部屋にポーカーに集まった時のこと。近藤君が ”はいプレゼント” と大きな紙袋を手渡した。ビニール・レザー張りの茶色のケースを取り出し開けてみた。EP盤のレコードがびっしり詰まっている。”何だこれ?” ”お前がイタリアに行くというから、偶然家にあったイタリア語のリンガフォンだ、これで勉強しなけりゃ、未亡人と知り合うのもおぼつかないだろ” ときた。いやはやー、いよいよローマを目指さなければならなくなってきたなー。英語も劣等生なのに、今からイタリア語なんてやりだしたら、年取っちゃうよ、この若さが大事なのだ! 愛に言葉は不要なのだよ、とこっちは動じません。

家族には、会社を辞めてチョット世界を観てこようと思うんだ、と相談したところ、若い時は二度ない、いいのではと、水前寺清子の歌のような事言われてすんなりと、、。

それからしばらくして、ついに出しました辞表。すんなり受け入れらて、帰ってきたらまた入ればとの課長の言葉にはジンときました。

さて、たいした準備も必要としない気儘な一人旅なので、、、鉄は熱いうちに打て、気持ちも変わらぬうちにと、あっという間に準備完了。

荷物は小さなボストンにEurope on 5 dollars a day、イタリア語、ドイツ語、英語の字引、会社の先輩から買った200mmの望遠レンズとアサヒペンタックス。セーター、上着、シャツ2枚、下着類のこれだけなので軽いこと。

ジャズ研鑑賞部の同期の芦田君が有楽町交通会館で旅行代理店の店長をしているというので、初めて乗る飛行機は、彼からエジプトエアー(http://www.egyptair.com/en/Pages/default.aspx)のラウンドトリップで25万。

そのころ多分一番安いチケットだったので購入。初めて知ったのは、ヨーロッパに行くには北回りと南回りがあることでした。旅費として20万円をトラベラーチェックに。締めて総経費45万也、ローマで一ヶ月もすりゃあ燕だもん余裕たっぷりの大名気分です!

トランペッターは猪突猛進、未知の冒険に何のためらいも抱きませぬ。

さあ早いもので今日は旅立ち、目指すはローマ。ちゃんと行くか見張りも兼ねての見送りなのでしょう、瓜坂、近藤君が、吉永君のブルーバード3Sで辻堂の実家まで迎えに来ましたよ。出航地その頃は当然羽田、飛行場に行くのも、飛行機に乗るのも初体験。さあ自分見つけの気侭なヴァガボンドのスタートです。

搭乗してびっくりしたのは、狭いなあこりゃあ大変だ!でした。隣りの席にはイタリア大使館に料理人として勤めているというおじさんと女の子でローマに帰るところ。ローマでおばさんがホテルをやっている、来なさいというではないか、正にラッキー。そのお隣が銀座でインド料理店ナイルをやっているというナイルさん、ほっそりとした紳士でした。初めて面と向かってジンガイとべしゃりしましたが、片言でここまで分かり合えちゃう、ホットしましたね、It’s Cool。
香港、ハノイ(まだヴェトナム戦争の最中だった)と寄港。ボンベイでは航空会社指定の国営テルホに一泊することになり、上述のイタリアの二人とタクシーで市内に。向かう途中車内に入る匂いに女の子が泣き出したのが印象に残っている、正直私もくりびつしました。 食堂で初めて食べたタンドリーチキンが美味しかった。テーブルの周りには数人が取り囲んでいます。水を出す人、大きな団扇で扇ぐ人、料理を出す人と仕事が決まっているようで、これがカーストかと認識した次第(インドは帰りに旅するのでここでは割愛)。

翌日はもうエジプトのカイロ空港です。降りて早々大をしにレイトに走る。ターバン巻いた威風堂々たる髭小父さんが愛想良く迎えてくれました。用をたした後、水栓を探し捻ったら、ナント便器に正面向いた私に勢い良く水が飛び出てきた。胸から腹までビッショリ。何と!水の出口が上を向いているではないか。今思えばウォシュレットの原形がここにはあったのだ!ドアを開けたら、件の小父さんが今にも噴出しそう。

お前馬~鹿じゃないかと言わんばかりに突っ立ている。そして身振り手振りで、レイトを使う者チップを払って、例のノズルを下に回し流してもら運ですと仰ってるよう。そんな事知るかい、冗談じゃあないってんで、穴のあいた五円を掌に押し付けて早々に退散しました。タクシー拾ってその頃は灯火管制で暗闇の中をさあ目指すはカイロ市内へホテルを探しに。泊まれるなら多少高くてもが正直な気持ちです。
さあてどんな処に投宿したか、46年前の事、今となっては忘却の彼方、記憶の片鱗すらありませぬ。通りの木々の緑に面したレストランで食事を摂ったことが微かに思い出されます。ローマの前にストップしたのは、子供の頃からスフィンクスとピラミッドがただただ見たかったということなんです。
翌日、バス停をどうにかこうにか探し当て、ギゼに行きました。想っていたほど大きくはないなあというのが感想です。ガイドがいて警備兵のいない隙を見て頂上付近までサイドから登ったんですよ!内部も行って見ましたが、さすがに測量技術とか土木技術には圧倒されました。未だもって私の頭の中では謎です。写真のスフィンクスの後ろのピラミッドですが、丁度裏手を登りました。26歳のだらは、どう?精悍でしょ!

知り合ったカイロ大学のソフィア・ローレンみたいな女学生に写してもらいました。当時は日本人は私だけでしたね。
もう1枚の写真大きなピラミッドが三つ重なっているのは、警備兵に見つかるのを恐れつつ走って行っての記念写真。こんなふうに撮れているのはその当時は珍しいものだと言われました。今はどうなんでしょうか?

さて2日のカイロ滞在で、いよいよロマンスの待つ筈のローマへひとっ飛びです。
乞う次回。

原田 和男

原田和男 Kaz Harada 昭和21年東京生まれ。早大商学部卒。在学中はモダンジャズ研究会に所属。鈴木良雄(b)と同期、1年後輩に増尾好秋(g)がいる。サラリーマン生活を経て、トリオレコード入社、ジャズ担当となり、渋谷毅、田村翼、峰純子、酒井俊などを手がける。製薬会社勤務を経て、現在、Power Designを主宰。

Kaz Harada ジャズ・ヴァガボンド —覚醒への旅—2」への3件のフィードバック

  • 今回は楽隊用語はひとつしか出てこないし、分かりやすいので解説の必要もないと思います。
    レイト→文字通り、「トイレ」です。
    似たものに、ホテル→テルホ、タクシー→シータク、メシ→シーメ、ビール→ルービ、サケ→ケーサなどがあります。
    「飲みに行くこと」はミーノ(飲むから派生しています)。「ミーノ行く?」などと使います。
    トイレですが、登山用語では「キジ」を使います。
    「ちょっとキジ打ちに行ってくる」。小さなシャベルを持っていれば大便で「本キジ」、「小便」は「水キジ」、オナラは「からキジ」。本キジの場合は、シャベルで穴を掘って用を足し埋め戻すのがエチケット。穴を掘らずにずぼらをすると本人も悲劇的なケツ末を迎えることになります...。

  • 当たり前のように読み下していましたが、もうひとつありました。
    「初めて面と向かってジンガイとべしゃりしましたが、」 ジンガイ→外人
    類語としては、
    日本人→ポンニチ(ニッポンから来ています)
    これに関する類語はいろいろありますが、差別用語と取られる可能性もあり割愛します。
    年齢を重ねた女性→チャンバア(婆ちゃんから)
    同じく男性→チャンジイ
    奥さん→チャンカア(母ちゃんから)
    子供→ドモコ
    女性→ナオン(これはすでに一般化していますね。「ナオンのヤオン」という恒例のフェスがありますが、これは日比谷野外音楽堂(通称「野音」)で開かれる女性ロッカーたちのフェスティバル。韻を踏んだ素晴らしいネーミングですね。
    佐藤さん→トーサ
    美佐さん→サーミ
    吾郎さん→チャンゴロ(吾郎ちゃんから)
    ドン・チェリー(チェリドン。これは富樫雅彦さんが大好きだったドン・チェリーに愛情を込めて使ってました。ちなみに富樫さんはエスプレッソ用のフレンチローストが大好きで、スタジオではいつも奥さんに「チャンかあ、ヒーコー」とねだってました...。そうそう、コーヒーは当然、ヒーコーです。

  • なんだなんだもうひとつ隠れてた、
    「初めて面と向かってジンガイとべしゃりしましたが、」
    べしゃり→会話、おしゃべり。司会やトークのことも「べしゃり」と言います。
    レイト(トイレ)のところで抜けていたのが「ソーク」、うんち(糞)のことです。
    先日電車に乗ったら周りの広告が派手なピンクで「うんこ」「うんこ」の連発で驚きました!
    小学生の国語のドリルの例文にすべて「うんこ」が使われていてベストセラーになっているとか...。
    例文に「友だちとうんこでドッジボールしました」などがあり、これは「友」という漢字の学習でした。

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