Tak. TokiwaのJazz Witness No.11 ウェイン・ショーターの想い出
Photo & Text by Tak. Tokiwa 常盤武彦
ウェイン・ショーター(ts,ss)が3月2日に世を去ってから、およそ4ヶ月が過ぎた。ようやく、その長いキャリアの一部をリアル・タイムに共有できた、ジャズ・ヒストリーに輝く金字塔を打ち立てたイノヴェーターの想い出を、冷静に振り返ることができるようになったと思える。ウェインを意識するようになったのは、筆者が高校生ぐらいの頃だっただろうか。ジャコ・パストリアス(el-b,vo)を擁したウェザー・リポートや、マイルス・デイヴィス(tp)の1960年代の黄金のクインテットの諸作品だと思う。大学生になってから、ブルーノート時代の野心的なリーダー作、ジャズ・メッセンジャーズ時代の作品、そして今も愛聴するブラジル音楽とジャズの融合の最高傑作、ミルトン・ナシメント(vo,g)との『Native Dancer』と出逢った。ウェインこそ、若き日にともに練習に励んでいたジョン・コルトレーン(ts,ss)の影響を一番最初に受け、また真っ先にその影響から離脱して自らの強固なスタイルを築いたアーティストであると知った。そして、ウェザー・リポート解散から、1985年の『Atlantis』から11年ぶりに再開したリーダー・アルバムの諸作も、毎回待ち遠しく聴きいた。アメリカに渡ってから、ニューヨーク・エリアでライヴがある時は、必ず聴きに行った。ブルーノート・ニューヨークで至近距離で聴いた、ウェインのサックスのトーンには圧倒された。1991年には、夏のJVCジャズ・フェスティヴァルで、ミルトン・ナシメントとの再共演”Native Dancer Revisited”が企画される。『Native Dancer』の世界を、ライヴで体感できると興奮して、リンカーン・センターのエヴリフィッシャー・ホールを訪れた。コンサートは2部構成で、前半はナシメントのバンドで、ハービー・ハンコック(p,kb)が参加した当時の最新作『Miltons』からのナンバーがプレイされる。アルバム同様、美しいメロディと、大きなグルーヴのうねりが、素晴らしいサウンドだった。そしてセカンド・セット、ウェインがソプラノ・サックスだけを携えてステージに現れ、『Native Dancer』が再現される。ウェインのソプラノ・サックスが鳴った瞬間、緊張感とリラックスが混在した不思議な感覚に陥り、グルーヴのうねりがさらに大きさを増す。リズム楽器でもなく、常に演奏していないホーンが加わっただけで、サウンドが激変した。まさにウェイン・マジックを目の当たりにした瞬間だった。1音を出すだけで、音楽の流れを大きく変えてしまう、往年のマイルス・デイヴィスを思わせる圧倒的存在感だった。余談だが、この年の9月に逝去するマイルスからその最後のパフォーマンスの時、ウェインはジャズの未来を託されたという。モダン・ジャズの進化のトーチ(松明)は、マイルスからウェインの手に移った。
1997年、ついにウェイン・ショーターと対面で写真撮影をするチャンスが巡ってきた。前年の1996年に長年連れ添い、『Native Dancer』のきっかけを作ったブラジル出身の愛妻、アナ・マリアをTWA800便の事故によって失っていた。。発狂して失踪したという兄のアラン・ショーター(tp)、1985年に重度の脳性小児麻痺で世を去った愛娘イスカと、ウェインの家族には不幸の影が忍び寄るが、強い意志によって、悲しみを克服している。インタビュアー、アシスタントと、ミッドタウンのパーカー・メリディアン・ホテルの一室を訪れた。部屋に通していただいたが、約束の時間に少し早かったため、インタビューの前に勤行をしなければならないので、しばし待って欲しいと言われた。もちろん異存はないので、部屋の隅で撮影のセッティングをしながら待機していた。熱心な創価学会の信徒で知られるウェインは、小さな掛け軸の入った携帯用仏壇を開け、一心不乱に南無妙法蓮華経と唱えている。そのお経がウェインにかかると、大きなグルーヴを生み出し、あたかもエキサイティングなラップを聴いているような幻覚を感じた。実際、インタビューが始まって、会話の中で、ウェインが「こう言ったフレーズ」とか「こう言ったメロディ」と話すと、ちょっと普通の人ではできないような舌の回り方で歌ってくれる。最後のリーダー・アルバムとなった『Live at The Detroit Jazz Festival』のLP盤の最後にもボーナスで、ウェインと、バンド・メンバーたちの会話が収録されており、この中にウェインの独特のスキャットが収録されていて確認できる。まさに、ウェイン・マジックの秘密の片鱗を見た思いだった。この時はオカルトめいた話も聞かせてくれた。ジャズ・メッセンジャーズ時代、ジョエルという女性マネージャーから、黒い鞄を渡されたという。そのカバンには、スケールの練習曲がぎっしり書かれたヴァイオリンの教則本と、フランス人サックス奏者マルセル・ミュールのSPレコードや譜面が入っていた。彼女は、この鞄をゆきずりの浮浪者から、「君が、最高だと思えるサックス・プレイヤーに出逢ったら渡すように」と託された。その浮浪者こそ、死期が近づいたチャーリー・パーカー(as)だったという不思議な話だった。
1998年にはジャズ・アット・リンカーン・センターで、ウェイン・ショーターのキャリアを振り返るレトロスペクティヴ(回顧コンサート)があり、クリスチャン・マクブライド(b,el-b)らのサポートを受け、ブルーノート時代から、近年のエレクトリック路線を網羅したラインナップを聴かせてくれた。終演後、楽屋に挨拶に訪れると、まだ演奏後の興奮状態にあるウェインは近寄り難く、その凄まじい集中力に驚かされた記憶がある。この頃、レコーディング・スタジオのアヴァターの壁に、ウェイン・ショーターと、オルガニック・ドラムンベースで知られるザック・ダンジガー(ds)らが、スタジオで共演しているスナップ写真が貼られていた。ドラムンベースをやっているセッションがレコーディングされているらしいが、未だ、その音源は日の目を見ていない。そしてハービー・ハンコックとのデュオ・プロジェクト“1+1”を経て、2000年にはウェインの音楽の最終章を彩った、ダニーロ・ペレス(p)、ジョン・パティトゥッチ(b)、ブライアン・ブレイド(ds)とのラスト・クァルテットが、始動する。
2007年にカーネギー・ホールのバック・ステージで、今度はインタビュアーとして、ウェインに会うチャンスが巡ってきた。この年、ウェイン、ハービー、ロン・カーター(b)、ジャック・ディジョネット(ds)で、“The Quartet”としての日本ツアーがあり、そのプログラム用のインタビューだった。この日のカーネギー・ホールでは、JVCジャズ・フェスティヴァルの一環で、ロン・カーターの70歳を祝うコンサートがあり、ウェイン、ハービーも参加するので、時間をもらえたのだ。主催者から、ウェイン、ハービーを個別にインタビューするか、同時がよろしいか問われた。迷いなく、同時インタビューをチョイス。ウェインの話が、抽象的な方向に行ったときには、ハービーに通訳をお願いしようと思っていた。その思惑はあたり、話が不思議な方向にいきそうになると、ハービーに解説をお願いし2人で、現実に引き戻すという方法で、なんとかしのげた。
ウェインのラスト・クァルテットは、結成10年を超えても不動のメンバーで進化を続けていた。2012年に、デトロイト・ジャズ・フェスティヴァルで久々に聴いたクァルテットのサウンドは、ますます自由奔放に発展していた。不思議なのは、ほとんどフリー・ジャズのような演奏をしながら、メンバーの3人は、常に譜面を追っていること。もしかしたら、ウェインの絵でも書いてあって、それから得たインスピレーションに基づきプレイせよという指示なのかとも思ったが、ダニーロ・ペレス(p)によると、実は、いろいろ細かいキメがあったとのことである。この時のステージの舞台袖から、パット・メセニー(g)が熱い視線を送っていたのも、フェスティヴァルならではの光景だった。翌年、ウェインは43年ぶりにブルーノート・レコードに復帰し、ライヴ・アルバム『Without A Net』をリリースする。また2014年には、ウェインが1980年代にマイルスのために作曲・編曲したが未発表となったラージ・アンサンブル・チューン”Twin Dragon”, “Legend”, “Universe”が、ウォレス・ルーニー(tp)とボブ・ベルデン(conductor)により初演された。
デトロイト・ジャズ・フェスティヴァルは、アーティスト・イン・レジデンスというシステムを敷いている。4日間のフェスティヴァルで、1人のアーティストが、オープニングとエンディング、プラスもう一日、異なる編成のバンドでプレイし、そのアーティストの多彩な側面と魅力を聴かせてくれるのだ。2017年はウェイン・ショーターが、このポジションを務めた。オープニングを飾ったのは結成17年で、コンテンポラリー・ジャズの最強ユニットの一つとなったラスト・クァルテット。そして3日目の夜には、エスペランサ・スポルディング(b,vo)、テリ・リン・キャリントン(ds)、レオ・ジェノヴェーゼ(p,kb)とのスペシャル・クィンテット で登場する。4人なのに、なぜクィンテットなのか?このプロジェクトは、デトロイト近郊出身で、1990年代にウェインのバンドのブレイン的存在だったジュリ・アレン(p,kb)と、テリ・リン・キャリントンのリユニオンに、ジェリとテリ・リンが妹分のように可愛がり、その才能を高く評価しているエスペランサが参加するスペシャル・グループを予定していた。しかし、直前の6月27日にジェリが、ガンで他界した。「ジェリのサブになるプレイヤーはいない」と考えたメンバーは、サポート・キーボードだった、エスペランサの音楽的パートナーのレオが、ジェリのアコースティック・ピアノのパートもプレイすることになり、4人はスペシャル・クィンテットを名乗った。それぞれの譜面台には、ジェリの写真が掲げられていた。この夜の模様は、昨年『Live at The Detroit Jazz Festival』として、2022年にリリースされる。90年代のエレクトリック時代の代表曲が、エスペランサのヴォーカルとともに、アコースティックでフリーキーなパフォーマンスへと、変貌を遂げる。現時点では、ウェイン・ショーター生涯最後のリーダー作である。そしてエスペランサの才能を高く評価したウェインは、共にジャズ・オペラ・プロジェクト”Iphigenia”に着手する。2021年冬に、その全貌が明らかになったこの作品は、ウェイン・ショーターの長いキャリアの最期を飾る大作となった。再演が期待される。デトロイト・ジャズ・フェスティヴァルのクロージング・コンサートには、フル・オーケストラを擁した壮大なプロジェクト”Emanon”のアメリカ・プレミア公演が予定されたが、残念ながら雨天のため中止となってしまった。私にとって、ステージに立ち、唯一無二の旋律を奏でるウェイン・ショーターを体感する機会は、永遠に失われてしまった。
ウェインが去った現在、またジャズは巨大な求心力を失ったと言える。ウェインがマイルスから受け継いだように、ジャズの進化のトーチは、エスペランサ・スポルディングの手に渡ったのだろう。ウェインが遺したミステリアスな魅力を放つ音楽は、永遠に我々とともにある。その中に、ジャズの未来への鍵の一つが隠されている。