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風巻隆「風を歩く」からNo. 320

風巻 隆 「風を歩く」から #32「BUTOH ツアー」シュトゥットガルト~エルランゲン

text by Takashi Kazamaki 風巻 隆

夜中の4時にふと目が覚めて気がつくと、窓の向こうに見える通りに雪が降っている。まだ11月の初めだというのに、淡いオレンジ色の光の街灯の前を、雪が激しく通りすぎていく。ミュンヘンの中心部からイザール川を渡った東側、オストバンホフの駅に近いヴァイセンブルガー通りの商店街、そこに住む友人のギタリスト、カーレ・ラールのアパートの一室で、その年初めての雪を見た。次の日の朝には雪もやんで、道に積もることはなく屋根にうっすらと積もるぐらいの雪なのだけれど、疲れているのか、体調が悪いのか、ここのところ決まってまだ暗い4時に目が覚めてしまうことが続いている。

いくつもの眠れない夜を過ごしながら、ボクは「天皇制」のことを考えていた。1990年の11月に日本では、その前年に天皇の代替わりがあって元号が平成となり、喪が明けたということなのだろう「即位の礼」がまるで平安時代かのように古式ゆかりの形で執り行われ、その様子はドイツのニュースでも特集で伝えられていた。その前年、ベルリンの壁の崩壊に「新しい時代」のはじまりを感じたのとは逆に、古いものに権威を感じ、権威に依りかかるこの国の姿がそこにはあった。「ほら見て!あれが私達の国の旗よ」とハンガリーで誇らしげに語るイルディコのことを、ボクはうらやましく思ったのだ。

第二次世界大戦で敗戦し、アメリカの占領を経て新しい「日本国憲法」が制定されて、戦後の日本はそれまでの天皇主権の国から国民主権の国に生まれ変わった。ただ、天皇が象徴という地位で憲法に明記されたことで、天皇制は存続し、戦後日本は新しい国になったと考える人と、戦前から戦後にかけて日本という国は変わらず続いているという考えを持つ人が奇妙に同居するようになったのが、この日本という国だ。平和憲法を守れと自衛隊に反対する人も、象徴となった天皇制には反対しない。時代が変わって、その形を変えていく天皇制をどういうふうにとらえていくのか考えを深めた。

天皇制というのは、この国の古代の祭祀政治と、近代にヨーロッパから移入された君主制のハイブリッドだろう。戦後、テレビの普及とともにロイヤルファミリーという新しい役割を発信しながら、その和洋折衷のシステムで日本国民を統合する装置として機能してきた。憲法で天皇の地位が規定されている以上、好むと好まざるに関わらず、日本人は天皇制とともにあることを義務づけられている。我々にとっての自由は、生まれながらにして持つ権利ではなく、天皇制の枠のなかで恩恵的に与えられるものなのだ。天皇制は自由や人権を「あいまい」にし、民主主義をもある種の建前にしてしまう。

11月に入ってカーレ・ラールとのツアーが一段落して、ボクは、ミュンヘンのカーレのアパートにしばらく滞在し、彼の豊富なレコードコレクションから、世界の民族音楽や伝統音楽をカセットにダビングしたりしていた。モンゴルの馬頭琴やベトナムの宮廷音楽、ウズベキスタンのドゥタールやナイ、アルメニアのドゥドゥックをはじめ、東ヨーロッパ、アジア、アフリカ、カリブ海などの音楽をよく聴いていた。グルジアのコーラスやハンガリーのダンス音楽など、その後も長年定番として聴き続けるものもあり、近くの中古レコード屋でハンガリーの歌姫、マルタ・セバスチャンのLPを見つけて買ったりした。

アジアフードの店で見つけたタイのインスタントラーメンを一人で作って食べたあと、何もすることのない午後は、イザールの川べりの雑木林を散歩したりしながら、ゆったりとした時間を過ごしていた。遠くアルプスを源とするイザールは川幅も広く、その水量に圧倒される。夕方、西の空が茜色に染まると、川面もまた晩秋の光を受けて、うす紫色に輝いていた。夜、寝室として使わせてもらっているカーレの部屋にいて、アルメニアのドゥドゥックというダブルリードの笛の、遠い山にこだましていくような音楽を何度も聴いていると、何故か、自分がどうしようもなく一人になっていくように感じていた。

アートの伝統が生きているヨーロッパでは、ボクのようなミュージシャンもアーティストとして認めてくれ、その分、誰のものでもない独創性といったものが音楽に求められてくる。「あなたはいったい何者なのか」という問いかけに、音で応えていくことは難しい。それぞれがとても個性的な民族音楽を聴くことは、音楽というものへの想像力を広げてくれるけれど、自分が生まれ育った国のあり方にずっと疑問を持っていたこともあって、自分の音楽が、民族性といったもので理解されるようなものにはしたくはなかったし、国や、民族といったものに依りかからない表現を作らなくてはと思い始めていた。

11月18日、東京から舞踏家の徳田ガンさんがミュンヘンにやってきて、その「死者の谺(こだま)」という作品のドイツツアーに合流する。木訥とした人柄が顔に滲み出ているような徳田さんも初めての海外ツアーとあって緊張気味。ガンさんとはその年の春に、明大前の「キッド・アイラック・アート・ホール」で、「PASS」というパフォーマンスをダンスのノムラヒハル、歌の火取ゆきと行い、9月には「死者の谺」という公演を二人で行っていた。ただこの時、ガンさん一人で渡欧したわけではなく、通訳と制作のマーティン・ウォーラーをはじめ、舞台監督や記録といったスタッフも一緒に行動していた。

21日にはシュトゥットガルトのカフェ「Das Unbekannte Tier」で、トロンボーンのギュンター・クリストマン、アクション・ペインティングのK・H・R・ゾンダーベルク、ギターのカーレ・ラール、ベースのアレクサンダー・フランゲンハイムとボクが、ダンスの徳田ガンとともにパフォーマンスを繰り広げた。その翌日、22日には同じ場所で徳田ガンの「死者の谺」の公演が行われ、終演後、一人の金髪の女の子が近寄って来て、「お話をさせていただいてもよろしいでしょうか?」と丁寧な日本語で話しかけてくる。彼女は大学で「ヤパノロギー(日本学)」を勉強していて日本の文化にとても興味があるようだった。

23日にもシュトゥットガルト近郊の大学都市・テュービンゲンの、アーティストランセンターといったスペースで、舞踏の公演が行われた。ちょっと広い学校の教室といったフラットなスペースに、多くの人が集まり、当然、観客にはアーティストが多く、公演が終わってイタリア料理の店に繰り出した後、スペースに戻って、ワインを片手に芸術談義がはじまる。主催者のビルギットという女性は日本語を少し話しいつか日本に行ってみたいといい、ボクらはもちろんいつでもウェルカムだよと彼女に伝える。美術家・音楽家のウーリケも日本語を話し、家族でバンドをやっているといった話で盛り上がる。

30日と12月1日は北ドイツのハンブルク「Theater Monsun」。ここでも公演をサポートしてくれたのは、片言の日本語を話すアンニャさんやフローケさん。ハンブルク近郊ニーンドルフに住んでいてボクはそこに寝泊まりすることになったのだけれど、公演自体が夜11時からなので終演後にはバスもなく、夜の街を1時間ほど歩く。そんな過酷な時を経て、家へ帰ってからもすぐ寝られるわけではなく、疲れたからだを休めながらワインで乾杯し、彼女たちと楽しい時間を過ごす。英語の中にときどき日本語が混入して、そのニュアンスを共有できることを、かけがえのないものだとそこで感じていた。

12月ともなると、街はクリスマス一色になり、小さな広場の木々にイルミネーションが輝きはじめ、クリスマスの雑貨や、食料品を売る屋台が店をだす。「BUTOH」ツアーの最終地エルランゲンでの公演は「Experimentiertheater der Uni」という大学内の「実験劇場」だ。これまで、ただのフラットなスペースや、照明の転換もできないパフォーマンスレベルの公演しかできてこなかったこのツアーのなかで、唯一、設備の整った劇場で公演できるとあって、徳田さんやスタッフ達はリハーサルに余念がない。その熱量とはちょっと離れたところにいたボクは、一人夜の町へ繰り出して屋台の店を見てまわる。

赤ワインを温めて砂糖とシナモンなどの香辛料を入れた「グルーワイン」を売る店に人だかりができていて、飲むと冷えたからだが芯から温まる。「BUTOH」のツアーを支えてくれたのは、ドイツで「ヤパノロギー(日本学)」という日本文化を研究する大学の教師や生徒さんたちで、エルランゲンではマリオンという細身の髪の長い生徒さんがボクの担当になってくれて、彼女の自転車の籠にボクの荷物を載せてくれたり、彼女の部屋に宿泊させてもらったりしたのだけれど、もちろん彼女は、どこか他の友人宅にいき、ボクは大学生の部屋に一人いて、そのベッドで寝かさせてもらうということになった。

徳田ガンという舞踏家は、偉そうなところがまったくない朴訥とした性格そのものの踊りを踊る。ゆっくりとした動きの中で自分の中で緊張感を高めながら、その緊張感がMAXになると動きが大きくなり、自らの殻を破るような動きを見せてくる。音楽は毎回即興で、構成など何もないのだけれど、ガンさんの動きを見て音を出すのではなく、動こうとする瞬間を感じ取って音を出すことを心掛けていた。ガンさんも、「カザマキ君はさー、こっちがパーンて動くときに音がスーッと入ってくるんだよね。」などと、ボクと一緒にパフォーマンスする際の驚きといったものを、よく周りの人達に伝えてくれていた。

海外で音楽の公演をして、オーガナイザーではなく、その観客と交流を深めることはそうそうないことだ。この年の「BUTOH」のツアーでは、多くのステキな女性達と夜遅くまで語り合うことができ、そんな日々を過ごすことができたのは、今考えるととても得難い体験だった。ドイツの冬はまきストーブの木の香りが町をつつみ、屋台の薄明かりが、冷たい空気をなごませている。長い冬、暗い夜だけど、こんな風にして人のぬくもりを感じながら過ごしていくのだろう。広場のほのかな明かりに祈りにも似た気持ちを抱えながら、今にも雪が降り出しそうな空をさっきから一人で、じっと眺めている。

風巻隆

Kazamaki Takashi Percussion 80~90年代にかけて、ニューヨーク・ダウンタウンの実験的な音楽シーンとリンクして、ヨーロッパ、エストニアのミュージシャン達と幅広い音楽活動を行ってきた即興のパカッショニスト。革の音がする肩掛けのタイコ、胴長のブリキのバケツなどを駆使し、独創的、革新的な演奏スタイルを模索している。東京の即興シーンでも独自の立ち位置を持ち、長年文章で音楽や即興への考察を深めてきた異色のミュージシャン。2022年オフノートから、新作ソロCD「ただ音を叩いている/PERCUSSIO」をリリースする。

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