断章『オト・コトバ・ウタ』(3)
text: Yoshiaki Onnyk Kinno 金野Onnyk吉晃
今年(2025年)3月に亡くなった別宮貞徳はおかしな人だ。理学部を出て英文学をやったのだが、日本語のリズムは農耕民族だから四拍子だと主張した。兄は作曲家だが弟の持論をどう思ったのか。
それはどうでもよいが、別宮は19世紀の美術史家ウォルター・ベイターの書『ルネサンス』を訳している。その解題のなかでベイターの思想を紹介している。曰く「あらゆる芸術は音楽の状態を憧れる」と。
少し引用しよう。
「(音楽以外の)他のすべての芸術にあっては。内容と形式を区別することが可能で、悟性はいつでもこの区別をなしうるのであるが、それを消そうとするところに、芸術は不断の努力を注いでいる。」そして「内容と形式の完全な一致が申分なく実現されているのは、音楽だ」というわけである。
これだけだと何だか堅苦しい。棺にぴったりの死体、いや屍に誂えた経帷子みたいなのだが、ベイターはこんな事も書いている。
万物が足もとで融けていくあいだに、精妙な情感や一瞬精神を自由にしてくれる・・・
というのが芸術だという。
全ての芸術が憧れるオンガクならば、つまりベイターは理論派ではなく耽美主義なのだ。
音楽を積極的に鑑賞、受容することは、ある種の表現である。聴取そのものが、能動的行為である。これはケージの態度だ。
いや、聴取は単なる受動的態度であるという批判が起きる。意志が無くても聴取はなされるではないかと。ケージが傾倒した禅、仏教的な意識は、現状容認、肯定でしかないと。しかし誰でも見ている風景をある写真家が切り取ると、途端にそれは作品と成る。
スティーグリッツの雲。中古品の泥靴を油彩で描いたのはゴッホ。モランディは色のさめた造花を静物として描いた。視覚もまた能動的な「見る」という行為によって表現となり、皆さんの大好きな「美」となる。しかしそれは真実か?
芸術は幻想。美でも真実でもない。
世界を変えるか、自己を変えるかというのは60年代的プロブレマティークだが、それは表現として「芸術が自由にする」を見いだす事だった。世界を変えるか、自己を変えるか、がヴィヴィッド、生き生きした精神を活性化する。それを自由と呼ぶか葛藤と呼ぶか。私の真実は都合が良い。
カフカは「世界と自己の闘いでは、世界を支持せよ」といったが。自己とは、世界とは何か。コトバに過ぎない。
世界とは脳に投影された情報の統合であり、結局それは自己の別名なのだが。
生活感情の中から生まれて来る、「生き生きした表現衝動」は、既成の諸形式、様式に嵌め込まれることで死体となるだろう。
その死体〜コーパスを作品と呼ぶ。我々は常に死体を愛する。
いやネクロフィリアの誹りを避けるならば「死体の代理」とか「部分的死体」でもいい。爪、髪、衣装、靴など、フェティシズムの起源。それはご存知の通りコレクター、コスプレ、オタクの起源。
三島由紀夫は、作曲家であると私は書いた。
言及したもう1人の小説家、ルーセルはどんな「作曲」をしたのか。その一部を聴いてみよう。
「時到るや、彼は、その風の吹く場所へ、空飛ぶ突き棒と、反発しあう二つの金属の発見以来、それを使って抜いた歯の入っている大きな鞄を運んだ。彼は、予想通りの天気が近づくのを目前にして、丸一晩、驚異的な光を放つ特殊なライトを使って、素材となる歯をさまざまなこまかい色彩に従って、間違わずにより分けるという大変な仕事に没頭した。このライトは、彼の最近の発明にかかかり、どんな画家もこれを使えば、星が出た後も、真昼間と同じように安心して仕事ができるとあって、アトリエと研究所の世界に革命をもたらしたものであった。・・・彼は一瞬も無駄にしないように留意する一方、さる肖像画家が彼の指示通りに、絵具代わりとなる歯や歯根の数に従い、かなりの色調を使い分けて描いた油絵のお手本に時々目を注ぎながら、芸術作品を誕生させるための仕事に打ちこんだ。・・・歯は、そのさまざまな形によって決まっている画面のなかの場所へ正確に運ばれるように、予め、適切なる方向に向けて置かれた、特別の小さな鋸を使って、即座に歯冠から切断した歯根も同様だった。」
(「ロクス・ソルス」R.ルーセル、岡谷公二訳)
この内面の無い、無愛想な、根拠の不明な妄想。フェティッシュの館。それは延々と続く。いかにして彼は一つの小説/音楽を終わらせたのか。
三島のスノッブなほど華麗なる言葉の旋律に比較して、なんと無様なセリーだろうか。
いや、待て。私は原文を読んでいない。ルーセルのパロルを、歌を聴いていない。私はあくまで「翻訳されたテクスト」を聴いている。岡谷公二編曲のそれを。音楽という表現が可能として、翻訳は他のジャンルにはあまり見られぬ現象かもしれない。
旧約を古代ヘブライ語で、新約をギリシャ語で読み通した聖職者はどれだけいるのだろうか。田川健三か井筒俊彦ならやっただろうか。
ゴータマ・シッダールタは、パーリ語でも梵語でも漢語でも語らなかった。花を手に、にんまり笑っただけだった。コトバの無力を、虚偽を知っていた。
音楽に国境は無いというより、音楽に翻訳は無いというべきか。
芸術が、その享受者も作者をも、精神を自由にするものならば(Kunst macht frei!)、ルーセルの作品はとてもそのようなものではない。彼のテクストは厳しく読者を拘束する。
細部にこだわり続ける縄目のような想像力。画面の全ての箇所に焦点があっている写真のように。
それは合成された画面でなければ、アール・ブリュの画家の絵だ。真の画家は、描かない事をもって技術とする。人の眼の視覚には全体はない。見ている部分が在るだけだ。
では音楽は? アール・ブリュの音楽家とは誰か? アドルフ・ヴェルフリかな? 大江光かな?
テクストはそれが黙読であれ朗読であれ、読まれる度にその音声イメージとともにテーマに関連した意味、意志をもって甦る。これは楽譜と同じである。
しかしまた楽譜には歌詞というもうひとつの譜面が付随することがある。それは声で奏される。これをウタと言うようになった。
楽譜は翻訳されない。数学や物理学が翻訳されないように。ウタは翻訳された。ずっと思っているのだが、一体「詩」は翻訳可能なのだろうか。
ここまで、私は古典的な音楽概念、しかも西欧文化に浸り切った形で整理している。
そうではない音楽の方法、いやオンガクという概念成立よりも前の複合〜宗教的儀式がある筈で、それを基盤に考えるべきではないかという論もあろう。
シャーマニズム、アニミズム、あるいはトーテミズム、氏族信仰に沿った形で。
呪詞、儀式音、舞いの一体としての儀礼。総合芸術の淵源にして深淵。
「自由」という考えを知らなかったときは、人は自分が束縛されている事を知らなかった。生まれてからずっと首輪でつながれている犬は、首輪を外されてもその綱の範囲以外どこにも行けない。
おせっかいな人達は、それは封建主義だ、帝国主義だ、独裁体制だ、資本主義だ、強権政治だ、恐怖政治だとふれまわり、革命、体制転換、転覆の必要性を説く。それが真の自由を得る道、幸福な生活であるかのように。
「神に祝福されていなければ、何事も無意味であるばかりか罪悪である。」そのように農奴達は思っていた。神の代わりに評議員会=ソヴィエトが君臨した。
神もソヴィエトも、それだけでは飽き足らず、個人の密かな楽しみや欲望や罪の意識にまで割り込んで来て、その罪禍を暴き、曝し、言葉にさせ、謝罪させ(誰に?)、償わせようとする(誰に、何をもって?)。
もう、死ぬ前に一言だけ○○○○○○と唱えなさい(誰に)、それで<御和讃>にしましょうという(え、字が違う?)。自己批判しましょう。総括しましょう。
ある集団やオンガクカ達はその○○○○○○の声をもって最高の音楽だとする。懺悔、confession、分析。
宗教の普遍の形は神秘主義的無神論である。龍樹の伝言だ。
地球人としての信仰はガイア、地母神や、自然そのものへの崇拝にあると言い出すように。原初の人達、先住民が最も神に近く尊かったと言い出すように。素朴と言うか、愚直というか。
「私は無神論的神秘主義者である」(クセナキス)
4世紀に正典として集成された新約聖書。以降これ以外の聖書は異端、外伝とされた。キリスト教はローマ帝国の国教と定められ、頂点を迎えた。そして下降が始まる。長い長い終わりとしての西欧史。The end of an (y)ear.
教祖は経典を書かない。不正確な記憶、聞き書き、断片をかき集めるのは弟子達の習癖で、そこから分派が生じ、対立が起きる。ヒトは対立が好きだ。意見の相違により相手を攻撃するのが大好きだ。
「全体とは真ならざるものである」(アドルノ)
ヒロシマの犠牲者とは関係なく出来た作品に、あたかもそのレクイエムのようなタイトルを冠したペンデレッキ。偽名を使って同じコンクールで複数の作品を受賞したペンデレッキ。広大な土地に壮大な館と専用のコンサートホールを作り、内外の名士を集めて、子供達のクワイアーに自らのレクイエムを歌わせるペンデレッキ。彼は広大な自分の敷地内に森を持っている。その中にぽつんとある四阿で「神よ、神よ」と嘆くのだった。戦後のハイデッガーにも似て。嗚呼ソニック・ユースさえも彼の曲をやった。まあ、作品に罪は無いのだが。
生きてるうちに栄誉と金が得られるなら、こんな有り難い事はない。これも神の思し召しであろうか。
「誰よりも努力し、夢を諦めなかった」からだろうか。これは成功者、勝利者のお決まりの発言。
意識高い音楽家が、抑圧された人民、戦火に逃げ惑う難民に思いを馳せながら、今朝の目玉焼きやトーストの焼き具合に文句をつけ、ブラジルの農園で採れたコーヒーを味わう。
ある音楽の情景。
「十人の女たちは黒っぽい食物がぎっしりとつまっているその容器のまわりに揃って坐りこむと、手を唇へと運んでは、せっせと食べはじめた。
・・・そして満腹した女たちは「リュエンシュッツ」をその場で踊り出した。これは特に厳粛な祝典の際に行われる、この国ではきわめて重んじられている宗教的な踊りなのである。
彼女たちは、最初しなやかで波打つような動きをまじえながら、二、三度ゆるやかに旋回した。
時々彼女たちは、大きくあけた口から、猛烈なげっぷをもらしたが、間もなくその回数が、おそろしい勢いで増えていった。彼女たちは、この不快な音をかくすどころか、力一杯発散させて、そのひびきや音を競い合っているように見えた。・・・
踊りは次第に活気づき、この世ならぬ様相を帯び、一方げっぷは、力強いクレッセンドをなしつつ、たえずその頻度と強度を増して行った。・・・
それから一切は徐々に静まり、長いディミニュエンドの後、バレエは、延音記号がひきのばす最後の和音を伴奏に、全員がこれを最後に一つに集まって終わった。
やがて若い女たちは、おそまきのげっぷに体をゆすられながら、ゆっくりした足どりで、元の位置に戻った。」
半端な観察眼と音楽用語を知る西欧人が、ピグミーの合唱の有り様を記述したのか。いや、そうではなくルーセルの「アフリカの印象」(岡谷公二訳)からの引用である。文法と句読点にうるさかったルーセルは、少なくとも文章の天才ではない。パラノイアックな発想のイメージを凡庸な文章で延々と綴る孤独。
バッハ・コレギウム・ヤパンのメンバーも、「マタイ受難曲」を歌う日の朝に味噌汁と沢庵と梅干しを食べるだろうか。
(続く)