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私の撮った1枚No. 321

#3 モーリス・ブラウン@Java Jazz 2015

インドネシア・ジャカルタ “第11回ジャカルタ・インターナショナル・ジャワ・ジャズ・フェスティバル2015”

2015年3月6日(金)~8日(日)

2015年にインドネシアの首都ジャカルタで開かれた「Jakarta International JAVA JAZZ FESTIVAL 2015」の取材時に撮った、トランペット奏者、モーリス・ブラウン(Maurice“Mobetta”Brown)のカット。主要な出演アーチストの名前と出演タイムテーブルを調べてから取材に臨むのだが、彼に関しては、ヒップホップ/ジャズ系のトランぺッターという認識しかなかった。ステージやジャム・セッション会場などでの大活躍ぶりにぶっ飛んだアーチストだった(つまり完全に油断していた)。この時はまだ、Tedeschi Trucks Band(テデスキ・トラックス・バンド)のホーン・セクションのメンバーで、アルバムのアレンジも担当していたが、そんな知識もまったくなかった。
ステージでのメイン・プログラムの一つ、ハービー・メイソン(ds)のカメレオン・バンド(ジョン・ビーズリー(key)やカマシ・ワシントン(ts)!がメンバー)には、ものすごい数(数千人いただろうか)のファンが詰めかけていて、スタンディングのホールだったので、その熱気たるやすごかった。

モーリス・ブラウン(右から2番目)カマシ・ワシントン(左端)

ヒップホップ系ジャンルの音楽は、インドネシアではとても人気が高く、若い世代に支持されているトランぺッターなんだな、という印象だったのだが、宿泊しているホテル(ホテル・ボルブドゥール。ジャワジャズ出演者の大半が宿泊している)のクラブ・ラウンジでのジャム・セッションに上がった彼を見て、その引き出しの大きさにさらに驚いた。そのラウンジでは、連日深夜までジャム・セッションが繰り広げられていた(朝4時、5時くらいまで盛り上がっていたとのこと)。インドネシア人のリズム・セクションに、オルガン奏者のトニー・モナコが出演したセッションに、モーリス・ブラウンが飛び入りしたのである。ヒップホップの彼がスタンダードをがんがん吹きまくっていたのは素晴らしい光景だった。

ジャズ・フェス会場には協賛する楽器メーカーのブースも多数出展している一角がある。その中のヤマハのブースではトランペットを持った客が多く集まっていて、日本のエリック・ミヤシロ(tp)によるクリニックが行われていた。そこに通りかかったのがモーリスで、特徴のあるカーブのついたトランペット(もちろんヤマハ製ではない)を吹き始めるやセッションが始まり、さらに多くのお客さんで埋め尽くされてほとんど収拾がつかない状態になっていた。
モーリスはジャワ・ジャズの常連アーチストのようである。ジャズ・フェスの様子をリポートした雑誌『ジャズ・ジャパン』(当時)には彼の写真は掲載されなかったが(ブラッド・メルドー(p)、ブルーノート東京オールスターズ・ジャズオーケストラだけだったと思う)。

この前年にリリースされた『Maurice vs Mobetta』をすぐに聴いた(ゲストにラッパーを呼んだだけでなく、自身もラップを担当している)。この2年後にはさらに『THE MOOD』もリリースしている。ドクター・ロニー・スミス(org)のブルーノート復帰作『エヴォリューション』もモーリス・ブラウン目当てで聴いてみた。

そのモーリスは2020年に青山・ブルーノート東京で自己のグループで出演予定だった(3月26日~28日の全6ステージ)が、広がり始めたコロナ禍で公演は中止になってしまった。日本で彼のステージは実現するのだろうか。

https://www.bluenote.co.jp/jp/news/features/10261/

ジャワ・ジャズを簡単に紹介しよう。

Jakarta International JAVA JAZZ FESTIVAL(ジャカルタ ・インターナショナル・ ジャワ・ ジャズ・フェスティバル)」は、あまりなじみがないと思うが、アジア最大のフェスティバルだけあって、出演者も豪華だ。2005年から開催されていて、スティーヴィー・ワンダーやパット・メセニーなども過去には出演してる。2億5千万人もの人口を抱え、2015年当時は年6%もの経済成長を続けていたインドネシアは高度経済成長の真っ最中で、オフィシャル・スポンサーだけでも「ガルーダ・インドネシア航空」「ハイネケン」など21に上っていた。ただ、これだけのスポンサーが集まるのは、経済も順調だが、出演する有名アーチストを目当てに、近隣の国々からも述べ20万人を数える集客力があるから。入場料も1日約5千円(当時)でほとんどのステージを楽しむことができた。現地の物価から考えると高いのかもしれないが。

会場はジャカルタ市内のケマヨランという地区にある、ジャカルタ・インターナショナル・エキスポという、万博の跡地だけあってかなり広い。規模は「東京ジャズ」が開かれる国際フォーラムどころか幕張メッセの広さ以上はある。5千人収容規模のホールがいくつもあり、メインステージとなる「D2」ホールは優に1万人以上は入る大ホール。そのホールがクリスティーナ・ペリーやジェシJなどのポップ系のアーチストで満員で入れないほどだ。

日本からの小野リサは2009年に初出演したが、スタンディング・オベーションでの大歓迎。この時は中国ツアーの直後の出演で、中国での各公演も数千人規模だったと、帯同していたマネージャー氏が教えてくれた。このときも5千人以上入ったのではないか。

11回目の2015年は、海外から55組(うち日本からは5組)、インドネシア87組のアーチストが出演。といっても刻々と出演アーチストが変わっているので、これはほぼ予定数。この広い敷地に17ものホール(野外を含む)と、さまざまなブース以外に、隣接する建物内の大会議場などでほぼ同時にステージが進む。楽しむ側も当然、事前のタイムテーブルの調整が必要だけれど、オフィシャル・ガイドブックに載っているスケジュールは、あってないようなもの。スケジュールがどんどん変わっていくので、HPでチェックするように、との案内が頻繁に紹介される。直前に隣国のシンガポールでのフェスの出演がダブっていたり、入国がずれたり、収容人数の調整などで、場所や時間がしょっちゅう変わるので、慣れていないと(慣れていても?)いろいろと見て回るのは難しいかもしれない。

会場のジャカルタ・インターナショナル・エキスポは都心から北へ車で40分ほどのところ。ただ地図を見るとそんなに遠くない。常態化している大渋滞さえなければ、たぶん10分くらいで着くはずだ(現在は鉄道も敷かれて、市内の交通事情は少し緩和されているそうである)。

今回はオフィシャル・ホテルとなる、ホテル・ボルブドゥールに宿泊した。ほとんどの出演アーチストも宿泊する5つ星のホテルで、都心のとても便利な場所にある。日本でいえば霞ヶ関みたいなところだが、周囲には観光地であるモナスやカテドラルなどがあるものの、道路は歩行者が安全に歩けるようにはなっておらず、近くのミニマート(コンビニのこと)に行くにもタクシーに乗らないとちょっと危ない。試しに列車に乗ってみたが、一番最寄の駅からホテルまで1キロほどなのに、道路をなかなか渡れず、30分近くもかかってしまった。(ジャカルタ在住30年の日本人の知人に話したら、まだ列車に乗ったことがない!とのことだった)

当時のジャカルタは発展著しく、多くのホテルが建築中。新しいホテルはショッピングセンターなどが近接していてとても便利になっている。スナヤンという、ビジネス・センターとショッピングモールの巨大な敷地にオープンしたフェアモントホテルには、ジャズ・クラブのコットンクラブが同年7月にオープンした(日本のブルーノート東京が全面協力している)。こけら落とし公演には上原ひろみ(p)が出演したそうだ。古い5つ星の多くのホテルは、こうした新興ホテルにとって代わると思われる。

ホテルの宴会場で5日(木)の夜に開かれる「前夜祭」をぜひ取材するように、と言われて、前乗り(1日早く到着すること)した。正式名称はGALA
DINNERという、スポンサー企業やインドネシアのセレブを招待するためのディナー・コンサート。パンフレットを見るとドリンク・サービスやビュッフェが並ぶ程度で大して期待はしていなかったが、ボールルーム(大宴会場)に入ってびっくり。スタジアムみたいな巨大宴会場で(帝国ホテルの孔雀の間を想像してほしい)、その長い辺の方に巨大なステージが設置されている。インビテーション・カードがないと入れない、と言われていたが(正式なインビテーションなどもらっていない)、取材だというとちゃんとテーブルにも案内してくれた。
そのボールルームに入る前の小さな宴会場(と言っても日本でいう挙式会場の倍以上の広さがある)で、トランペットのアンソニー・スタンコ(ミシガン州)のクインテットなどがウエルカム演奏を行っている。アンソニーはトランペットのクリニックも行っていて、これも多くの生徒(お客さんだが)を集めていたが、彼らのような生粋のバップ・バンドはそんなに多くはないようだ。

インドネシアのビッグバンド、ロン・キング・バンドに続いてトランペット奏者のクリス・ボッティも出演。美人バイオリニストのキャロライン・キャンベルとの〈アランフェス(”En Aranjuez Con Tu Amor”)が聴かせた。出演アーチスト名(リーダー名のみ)はプログラムにはあるが、共演のメンバーはプレスセンターで尋ねても誰も分からない。JJF初日の敦賀明子(org)のステージも、共演メンバーはステージを覗かないと分からなかった。メンバーの井上智(g)は前日にホテルのロビーで会ったので、敦賀のバンドに入ることは知っていたが、そもそも敦賀も事務局(プレス担当)にメンバーのパーソネルを伝えていないので、観客が分かるわけがないと教えてくれた。

で、クリスのステージを見ていたら、前年に青山・ボディ&ソウルで見たテイラー・アイグスティ(p)がいたので、急遽ネット検索してメンバーが分かった次第(Chris Botti(tp) Taylor Eigsti(p) Lee Pearson(ds) Richie Goods(b) Ben Butler(g) Andy Ezrin(key) Caroline Campbell(vln) Sy Smith, George Komsky(vo)。なかなかのメンバーである)。

主な出演メンバーを紹介しているオフィシャル・ガイドブックにはもちろん、HPにも詳細な出演メンバーが載っていないのは、かなり困った。プレス・センターの若いスタッフ(もちろんボランティア)に聞いても誰も知らない。メンバー・リストというのは一応はあるのだが、それぞれのマネージャーなどのスタッフもごちゃまぜになっており、それはスタッフのマネジメント用(個人情報)なので当然、外には出せないわけだ。日本からかなり前に申請したプレスパス(取材許可証)も、当日の朝にやっと用意がされたくらい。

バンケットを出ると、ホテルのフロントの奥からジャズ・ライブの音が聞こえる。フロントの奥にはクラブ・ラウンジがあって、フェスの出演アーチストもたくさんいる。先ほどのクリス・ボッティも見える。ロビーにクリスが出てきたので写真を撮らせてもらった。20年ほど前に渋谷のライブハウスに出演した時には、オフショットはまったく撮らせてもらえなかったが、本人は至ってフレンドリーな人だった。

オフィシャル・ホテルのホテル・ボルブドゥールは先に書いたように、古いがさすが5つ星のホテルだけあって、かなり大きい。出演者の大半が宿泊しており、前述のクラブ・ラウンジでは、出演アーチストにはホテル側から1ドリンクがサービスされていて(アーチストパスのバーコードで管理している)、多くのアーチストがたむろしていた。その多くがジャム・セッションに参加する。音楽評論家の佐藤英輔氏が2012年に取材した際には、フランク・マッコムがステージに上がり、ジョージ・デュークとスティーヴィー・ワンダーが飛び入り参加したそうだ。事前にその話を聞いていたので、宿泊先はぜひオフィシャル・ホテルにしようと決めていたのだ。5日の夜は、前乗りしたアーチストだけなので、そんなに混んではいなかったが、毎晩、覗かせてもらった。
日本人では井上智(g)、ブルーノート東京オールスター・ジャズオーケストラの佐野聡(tb)が上がっていた。

僕は宿泊ホテルでは起きたらまず泳ぐことにしているが、朝8時にプールに行っても人はまばらだ。ジャグジーには、何年か前に来ていたフォー・プレイのメンバーの写真とサインが飾ってあった。ミュージシャンはもともと朝が弱そうだから仕方ないのだろう。2日目の朝にギターの井上さんとアキラ・タナさん(ds)に外でお会いした。タナさんはジムで汗を流していたようで、ミュージシャンにしてはちょっと珍しい。なので9時前に朝食レストランのカフェ・ボゴールに行っても、アーチストよりボランティアスタッフなどの方が多いくらいだ。クローズの10時近くなるとお客さんの半分近くがアーチストになるため、ジャズファンにとっては夢のような空間かもしれない。アーチストは特別にチケットをもらっていて、ビュッフェ・スタイルの通常の朝食だけでなく、景色のいい上階のバー・ラウンジでも朝食が取れるようで、午前中からホテルのエレベーターはよく回転していた。

プレスセンター(ホテル・ボロブドゥールとコンサート会場の2か所にある)のスタッフは、事務的には正直ダメダメな感じだけど、とてもフレンドリーで、そのホスピタリティがうれしい。早朝から深夜までよく動いている。最終日、ホテルをチェックアウトするときには顔なじみになった若いスタッフ(男女)が、ホテルの名物だといってブルーベリーのチーズケーキをプレゼントしてくれた。みなボランティアで、朝食の時にも声をかけてくれて、一人で旅行をしている寂しさを和らげてくれた。

ジャワ・ジャズでもアーチストによるクリニックがちゃんとある(すべて無料)。講師も豪華で、コートニー・パイン(sax)、グレゴア・マレ(harmonica)、ウェイン・クランツ(g)、といった一流ばかり。生徒はもちろん楽器をやっている若い人が多いが、一流アーチストの講義を見るだけの人も。楽器のクリニックだけではなく、KOMPASなどの現地メディアのクリニックもある。

ちょっと(かなり?)びっくりなのが、ステージが始まる前に流れるアナウンス。アナウンスは「プロ用の機材での撮影はやめてください」とは言っているものの、新聞社のカメラマンが持っているような高倍率レンズや大きなビデオカメラ(ほとんどプロ用)を担いでいる人も多い。取材スタッフでない一般の観客がかなり立派なカメラ機材を持っているのだが、多くがステージの前に陣取って撮影を始めるのだ。聞いたところだとビデオはYoutubeにアップし、小遣い稼ぎをしている人も多いそうだ。アーチストももはやプロモーションの一環、と割り切っているのかもしれない。客席からもスマホやデジタルカメラでの撮影は当たり前。日本からわざわざ事前にプレスパスを申請(執筆してきたアーカイブ等も提出していた)してきた意味はあったのだろうか。

今年2025年にジャワジャズは20周年を迎える(「Jakarta International JAVA JAZZ FESTIVAL 2025」)。これまでは3月に行われていたが、5月30日(金)~6月1日(日)の3日間を予定している(出演メンバーの発表はまだない)。


常見登志夫 

常見登志夫 Toshio Tsunemi 東京生まれ。法政大学卒業後、時事通信社、スイングジャーナル編集部を経てフリー。音楽誌・CD等に寄稿、写真を提供している。当誌にフォト・エッセイ「私の撮った1枚」を寄稿。

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