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ColumnColumn ラグランジュ・ポイント 金野Onnyk吉晃No. 329

『オト・コトバ・ウタ』(4)
『三人のマギには、歴史/物語が必要だった』

text by Yoshiaki ONNYK Kinno 金野ONNYK吉晃

『三人のマギには、歴史/物語が必要だった』

“IT’S GONNA RAIN!”これはミニマリズムの巨匠、スティーヴ・ライヒの1965年の作品である。(ライクかライシュと呼びたいのだが通例に従おう。)
この2025年の日本の酷暑、この言葉が現実のものとなれば、まさに慈雨、と言いたいところだが、世界のあちこちで降るのは血の雨である。

“IT’S GONNA RAIN!”は実演される音楽ではない。音楽というよりテープに記録されたデータなのだ。好きなだけ再生可能ということだ。
“IT’S GONNA RAIN!”はテープ音楽、電子音楽、サンプリング音楽、いずれにも比定できる。これは、黒人説教師が街頭でソウルフルにラップし続ける、その録音を元に“IT’S GONNA RAIN!”というフレーズだけを切り取って繰り返したサウンドなのだ。
が、勿論そのフレーズは電子的なディレイをかけられ、位相がずれて重なって行くことで、有意味で分節的なコトバから、無意味な分節不能のオトへ変容して行く。
そしてリスナーは意味を感じ取れなくなって、代わりに純粋な声のモワレを感じる。次第にそれは逆の過程でコトバへと戻って来る。
同様の作品としてヴォ・アンデルス・ペルッソンの”PROTEINIMPERIALISM”(1970年)もタイトルのフレーズの繰り返しだけでできている。
アルヴィン・ルシエの”I’M SITTING IN A ROOM”(1969年)も言葉の繰り返しだけなのだが少し違う。これはタイトルのフレーズを含む文章の朗読が、何度も同じ部屋で録音と再生を繰り返されるうちに、言葉の輪郭、子音が消えてゆくのだ。意味は消え、室内固有の共鳴振動で増幅されたサウンドが残る。

「はじめに言葉ありき」(ヨハネ福音書)なのか? 始原にあったのは「大音」ではないのか。「大音希聲 大象無形 道隱無名」(老子)。ロゴサントリスム対フォノサントリスム。

さて、私は以前から、ジョン・ゾーン、アルノルト・シェーンベルク、スティーヴ・ライヒの三人の軌跡について考えていた。20世紀の三人のスター的音楽家の間に存在する引力、三体問題である。
それはまず彼らがユダヤ系である事を前提とする。
若く、熱意に溢れた彼らは、世界を変革しようとした。まず方法論の純粋化を計った理論を打ち立てた。
ゲーム的即興音楽、12音技法と音色旋律、そしてミニマリズムである。
もっともライヒはその前に民族音楽やポリリズムへの傾倒、そして電子的デバイスを生の音響に生かすことを追求した。
それは同時期のデヴィッド・バーマン、アルヴィン・ルシエ、ゴードン・ムンマ、ロバート・アシュリー、デヴィッド・チュードア、ジェイムズ・テニー、リージャレン・ヒラー、イルハン・ミマロールーら米西海岸中心の多数の若手作曲家も同様で、「作曲とは電子回路を作る事だ」といわんばかりだった。
その態度は欧州の西独ケルン派や、フランスのミュジック・コンクレートとも違っていた。後年彼らはコンピュータ音楽というステージにおいて出会うのだが。

話を戻そう。ゾーン、シェーンベルク、ライヒの三体はそれぞれ、その方法論の拡充で一家を成す。そして転換期が来る。それをあっさりユダヤ回帰と言ってしまおう。

ゾーンは「クリスタル・ナハト」(1993年)で、ユダヤ人ゲットーの惨劇(1933年)をとりあげた。ユダヤ人ゲットーの商店のショウウィンドウはナチス突撃隊により、粉砕され水晶のように煌めいた。
1995年、彼はradical Jewish cultureを標榜するレーベル”Tzadik”を設立した。この意味は「義の人、義の教師」である。ゾーンはここに新たなユダヤの神殿を作った。幸いこの神殿の門は、カフカの書いた門のように常に開いてはいる。入るかどうかは別にして。
アレン・ギンズバーグは、貴方はイスラエルに移住しないのかと聴かれて答えた。「私の居る場所がエルサレムだ」と。
ゾーンは先鋭的大衆音楽に偉大な貢献をした。いや、それは破壊かもしれない。まさにブレイクスルー。
非イディオマティック・フリー・インプロヴィゼーション、つまりフリーミュージックは、フリージャズという幻影に魅せられていたし、それがジャズの鬼子か嫡子か庶子かは別に、ブルース的なるものに臍帯は繋がっていた。それはデレク・ベイリーでもハン・ベニンクでもフレッド・フリスでも、いや、当のゾーンも同様である。
しかしゾーンは臍の緒を断ち切ってしまった。それはいかなるジャンルの、演奏技術の有無にかかわらず、ルールを遵守するというだけの制約で、あらゆるサウンドから物語性、歴史をはぎ取り、同じ卓上に載せてしまうというフリーミュージック、すなわち「ゲーム音楽」を完成した。
その代表曲、もっとも知られた”COBRA”は、モーセが投げた杖のように、突然生まれたのではない。ゾーンの長い探求の精華である。ただ、私はこれがそんなに好きではないのだ。評価はするけれど。
それまで作曲と即興は対立するだの、互いが取り込もうとするだの、指揮者に任せれば良いだの、自由の裁量を拡大するだの言って来た事は、結局演奏者の自主性に首輪を付ける事だった。ならばルールは首輪ではないのか。そうかもしれない。ケージは「作曲とは音の出し方だ」と言った。だから音は出さなくてもいい。
思えばゾーンの周囲には、あらゆる音の出し方を知る即興演奏家が群雄割拠していた。その中で彼らの能力を無視できるような演奏のルールを作るというのは、或る意味サンプリング志向である。
そう、サンプリングというテクノロジーが発達して来た時代だった。ゾーンは演奏者を全て均等な量子にし、サンプリングするという志向性を示した。つまりルールというよりプログラミングである。
生身の人間をプログラミングして計算機にする。このフレーズにピンと来た人は「三体」のファンだろう。来ない人は読んでほしい。始皇帝の作る人間コンピュータを。

或る意味、20世紀の音楽は、アフロアメリカンとユダヤ人の押し付けられた境遇によって出来たとも言えよう。
シェーンベルクはまさしく「水晶の夜」の時代に生きた。ヒトラーが首相に就任した1933年カソリックからユダヤ教に改宗、アメリカに亡命。オペラ「モーセとアロン」は、1932年に完成していた。勿論ユダヤ教経典である旧約聖書から題材をとっている。
対立する兄弟、雄弁なるアロンと訥弁故に神に選ばれた指導者モーセ。民衆は「山から戻らないモーセ、見えない神」よりも現実的な信仰の対象が欲しかった。モーセが十戒を得て民のもとに戻ると、民衆は自ら供出した黄金で作った子牛を崇めていた。アロンもそれを認めていた。モーセは怒り、子牛を破壊した(その破片は何処にいったのだろう)。アロンは死ぬ。
シェーンベルクは12音技法による一つのセリー(繰り返さない音列)でもオペラが出来る事を証明し満足した。作曲家は交響曲かオペラを完成させなければ成らない。12音技法は革新であると同時に西欧楽理、音楽史の中に確固たる地位を得たのだ。

そしてライヒは「テヒリーム」(1981年)で、声楽のミニマリズムを完成させた。テヒリームは旧約聖書に含まれる「詩編」である。この曲はヘブライ語で歌われる。そしてライヒは「ディファレント・トレインズ」(1988年)で、強制収容所へ向かう列車の線路の響きを音楽にした。強制的ディアスポラーと捕囚、ショアー、ポグロム、ジェノサイド。
歴史は繰り返す。何千年も。加害者と被害者は常に入れ替わる。
そこでライヒの初期代表作を思い起こすと、また気づく。
「雨が降って来るぞ!」と叫ぶ説教師の声は、もしかして神の裁きを知ったノアの声ではないのか。これもまた旧約聖書の最も有名なエピソードである。
神が罪ある者を滅ぼすために四十日降らせた豪雨、これはジェノサイドとは言えないだろうか。
ライヒは何故に「雨が降る」というフレーズを選んだのだろうか。

世界を変革すべく理論武装して蜂起した若者たちは、暴力も辞さず、しかし後にその虚しさを知る。
「私は間違っていたのか。いや、違う。私の方法論は十分に有効だった。しかしまだそれでは不足なのだ。」

例えば、世界を変えようと闘いを選ぶ選良は、論理と技術をイデオロギーに従属させる(約束の土地、第三帝国、大東亜共栄圏…)。それは共感を得、当初一定の成果を得るだろう。しかし、戦術は作戦で失敗し、戦略は戦術で破綻する。方法論の不足を補うのは精神論のみ。人は外界で負けて内面に逃げる。
精神論とは何か。自らの血と土を見直せ。雨が降る前に。我々は最後に勝利する(「撃ちてし止まむ」。”EL PUEBLO UNIDO JAMAS SERA VENCIDO!”…)
あるいは「森の生活」を。積極的な隠遁をすべきか。闘争から逃走へ。

「世界を改変する事ができない訳ではない。足りないのは自己変革だった。」
そこにはドラッグカルチャーではなく、マインドミラーとしてのパソコンが生まれた。LSDの伝道師ティモシー・リアリーの言である。
東洋の叡智や古代文明への憧憬ではなく、プログラミングとデジタル志向が生まれた。スティーブ・ジョブスはグルとなった。
世界は変わったか? そう変わった。善し悪しは別として。世界はネットにくるまれた。人はみな自分のマインドミラーに見入っている。
「世界で一番賢いのは私だ」
「いや、君は陰謀が蔓延っているのを知らない」

現代音楽のスター三体のラグランジュ・ポイントは、シナイ山なのか、エルサレムなのか。それを心情的シオニズムといっても良いだろうか。
しかしそれは彼ら自身のリネージを見直した結果であり、特殊解なのだ。
もはや12音技法とゲーム的即興とミニマリズムは一人歩きしている思想である。思想のラグランジュ・ポイントはまだ見つからない。
オト・コトバ・ウタのラグランジュ・ポイントは?
私はあり得ないかもしれない一般解を探している。不可能と秘密と謎は人を惹き付けて止まない。


金野 "onnyk" 吉晃

Yoshiaki "onnyk" Kinno 1957年、盛岡生まれ、現在も同地に居住。即興演奏家、自主レーベルAllelopathy 主宰。盛岡でのライブ録音をCD化して発表。 1976年頃から、演奏を開始。「第五列」の名称で国内外に散在するアマチュア演奏家たちと郵便を通じてネットワークを形成する。 1982年、エヴァン・パーカーとの共演を皮切りに国内外の多数の演奏家と、盛岡でライブ企画を続ける。Allelopathyの他、Bishop records(東京)、Public Eyesore (USA) 等、英国、欧州の自主レーベルからもアルバム(vinyl, CD, CDR, cassetteで)をリリース。 共演者に、エヴァン・パーカー、バリー・ガイ、竹田賢一、ジョン・ゾーン、フレッド・フリス、豊住芳三郎他。

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