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Jazz Meets 杉田誠一ColumnNo. 236

#102 林ライガ

林ライガ with 金剛督+不破大輔@Bitches Brew 10周年記念コンサート
2017.9.20 大倉山記念館
text & photo by Seiichi Sugita 杉田誠一

2017年の日本のジャズ・シーンを鳥瞰するとき、まず浮上するのが18際の林ライガ(ds)の自由闊達にしてしなやかな活躍であり、その才能を見出した日野皓正の厳しい指導方法である。そう、あの「日野皓正presents “Jazz for Kids” @世田谷@アブリックシアター」の件である。

“Jazz for Kids”は、「世田谷 Dream Jazz Band Workshop」の成果の発表会として位置付けられている。林ライガも出身者のひとりである。「新・才能の芽を育てる体験学習」の主催は、世田谷区教育委員会。その主旨は、「楽しさだけではなく、時に厳しさも体験する」とある。その「厳しさ」がマスコミに叩かれたのである。

事件は、8月20日、”Jazz for Kids”@世田谷パブリックシアターに遡る。いわゆるモダン・ジャズの典型的な形式として、全員でテーマ→各々のソロパート(アドリブ)→全員でテーマに戻る、というのがある。問題は、そのソロパート(ds)で起きた。よっぽど当人は嬉しかったようで、他のメンバーのことは一切無視してドラムを叩き続ける。音楽は決して全体のハーモニーを無視してはならないという原理原則を指導すべく、日野皓正が制止する。彼は、スティックを取り上げられても、素手で叩き続ける。その制止の仕方が問題となった。「手を挙げた」ことが。

ぼくが、TVの映像で見る限りにおいては、「手を挙げた」かどうかは、微妙なところだが。

日野皓正のインタビューが、ぼくが主宰していた”jazz”誌1972年1-2月号にある。題して「石もて石を自らの偶像へ」。

日野「親父というのが戦前は日劇のタップダンサーをやっていて、戦後になってからトランペットをやり始めたのです。

それで家にサッチモとかJATPかマイルス・デイビスの『イスラエル』なんかのレコ〜ドガンガン鳴りっぱなし、親父のラッパも鳴っている。僕は昭和十七年生まれですから、生まれながらに環境がジャズ一辺倒だったんです。ぶら下がったラッパをいじって遊んでいるうちにラッパ吹きになっちゃったっていうのが本当のところですね。

吹き始めたのは9歳ぐらい。中学に入ると1年、2年、3年とだんだん仕事をするようになっていって、2年のときには仕事してた新宿「リド」というキャバレ^で佐藤勉というトランペットの技術的な師匠に出会いました。この人がものすごく厳しい人で...。

中学を卒業してからはずっと米軍キャンプで働いていました」

___中学時代の厳しい想い出は?

「仲間はみんな野球やっているのに、ぼくはやりたくてもできない。学校終わったらすぐラッパの練習しなきゃあ怒られてベルトでひっぱたかれる。だから仕方なくやったんだけレド、やっぱり、どうしてもそれだけやってくれたのが判って、もうそれからは親父が驚くほど自分でレコード買い漁ってやりだしたのね。その時はもう、この仕事で一生って決めていたんだろうね」

ちなみに、日野皓正の学歴は中卒。日野が「世田谷 Dream Jazz Band」にかける情熱は、ハンパないものがある。

さて、林ライガは、自由ヶ丘生まれの自由ヶ丘育ち。父がギタリストを目指していたため、生れながらにして音楽環境に恵まれていた。中学時代に「世田谷Dream Jazz band」で、日野皓正に見出される。とりわけ厳しい特訓を受け、プロ・ミュージシャンに。音楽学校のパーカッション科に通い始めるも、中退。今は、親元を離れ、ひとり自立。

初めて林ライガと出会ったのは、数年雨ジャム・セッション@Bitches Brewである。その匠さ、そのしなやかさは、14歳にして帝王マイルス・デイビスに見出されたトビー・ウィリアムスと通底する才能の持ち主である。

___今の課題は?
「できる限りたくさんの本を読むことです」

林ライガは、1999年生まれ。8歳からソラムを始め、中1よりライヴ活動を展開。
中3より、林栄一(as)コンボのレギュラー・メンバー。現在、日野皓正コンボにも時々起用される。
わがBitches Brewにおいて、突出しているのは、 vs 渡邊雅祥(as)及び vs 大由鬼山(都山流大師範 尺八)、それから vs 蜂谷真紀 (vo,voice, p)。

Bitches Brew10周年記念コンサートでは、金剛督(ts,ss)、蜂谷真紀(vo,voice,p)、不破大輔(b)との共演が実現した。

林ライガは、オーソドックスな基本をしっかり押さえているため、フリー〜インプロ、はたまた邦楽とすら、めくるめく交感しうる鬼才である。いま、日本のジャズ・シーンでもっとも華のある18歳ではある。そのフレキシビリティは、他に類を見ない。

その後、“Jazz for Kids”の顛末は、どうなったのであろうか?「せたがや STTAGAYA CITY」を検索してみる。
『新・才能の芽を育てる体験学習「ドリーム・ジャズバンド・ワークショップ」について』

  • 日野皓正氏から皆様へのメッセージ

「ぼくも手をあげたことはよくない、あやまります」

「生涯学習・地域学校連携課」に直接問い合わせてみる。

__今後も、ワークショップは、継続すると理解してよいのでしょうか?
「いえ、調整中です」

とのことでした。「厳しさ」がなくなることを憂うのは、ぼくだけでしょうか?

杉田誠一

杉田誠一 Seiichi Sugita 1945年4月新潟県新発田市生まれ。獨協大学卒。1965年5月月刊『ジャズ』、1999年11月『Out there』をそれぞれ創刊。2006年12月横浜市白楽にカフェ・バー「Bitches Brew for hipsters only」を開く。著書に、『ジャズ幻視行』『ジャズ&ジャズ』『ぼくのジャズ感情旅行』他。

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