Reflection of Music Vol. 36 カール・ベルガー
カール・ベルガー@ベルリン・ブランデンブルグ放送局小ホール「ソー・ロング、エリック」2014
Karl Berger @Kleiner Sendesaal des RBB “SO LONG, ERIC” 2014
photo & text by Kazue Yokoi 横井一江
まさかこのような公演でカール・ベルガーの姿を、ましてや指揮ではなく演奏している姿を観るとは思わなかった。
今年の6月、ベルリンから帰国後、ジャズ好きの友人に「So Long, Eric」公演(→前回の記事へのリンク)について話をし、出演者を教えたところ、「カール・ベルガーってドルフィーと共演したことあったの?」という反応が返ってきた。確かに…。出演者のなかのもうひとりのドルフィーとの共演者、ハン・ベニンクがアルバム『ラスト・デイト』のドラマーであることは、ドルフィーやICPについての文章、来日する度に書かれるプロフィールにそのことが繰り返し、繰り返し書かれているので、つとに有名である。
しかし、カール・ベルガーについては、シモスコ&テッパーマン著(間章訳)の『エリック・ドルフィー』(晶文社)を過去に読んでいなかったら、友人と同じ質問を誰かにしただろう。その本の最初のページにはこうある。
それは1964年、6月27日のことだった。エリック・ドルフィーは新しく開店するジャズ・クラブ「タンジェント」でドイツのピアニスト、カール・ベルガーの率いるトリオと共演するため、ベルリンに到着した。
(中略)
クラブの開店の夜、彼はかろうじて2ステージの演奏を行うことができた。しかし体のあまりの衰弱のため、ドルフィーはそれ以上演奏を続けることができず、ステージを降りざるを得なかった
ドルフィーが亡くなったのはその翌々日の6月29日、カール・ベルガーはその最後の日々を知る人だったのである。
ドイツのハイデルベルクで生まれたベルガーの最初の楽器はピアノだった。彼がヴィブラフォンに転向したのは、1961年にパリに出てからである。だから、シモスコ&テッパーマンが書いた本には「ピアニスト、カール・ベルガー」と書かれているのだ。そのパリで、スティーヴ・レイシーのグループに入り、そしてドン・チェリーのインターナショナル五重奏団のメンバーになり、アメリカに渡り『即興演奏家のシンフォニー』(Blue Note)の録音に参加するのである。実際に彼がドルフィーとどのようにして知りあったかは聞くことが出来なかったが、当時のパリはそのような出会いが十分にあり得るヨーロッパにおけるジャズの最前線の地だったといっていい。
その後、カール・ベルガーは初リーダー作『From Now On』(ESP)を吹き込み、ニューヨーク・シーンでアヴァンギャルドなヴィブラフォン奏者として活躍する。今一部のファンの間でスピリチュアル・ジャズと呼称されたある種のジャズが盛り上がっているらしく、かつてのロフト・ジャズの録音で再発されるものも出てきており、中にはカール・ベルガーが参加した盤もあるので、その一端を知ることが出来るだろう。あるいは、古くからのジャズ・ファンの中には佐藤允彦や山本邦山との共演盤を記憶に留めている人もいるに違いない。
1971年には、オーネット・コールマンと夫人イングリートで、ウッドストックにクリエィティヴ・ミュージック・スタジオ(CMS)を設立する。CMSは70年代から80年代にかけて、アメリカのクリエィティヴ・ミュージック・シーンにおいて重要な場だった。ここで行われたワークショップ、コンサートの貴重な音源はデジタル化されて、コロンビア大学ジャズ研究センターに寄贈されることになり、そのデジタル化の費用を得るために、アンソニー・ブラクストン、ジョン・ゾーン、スティーヴ・バーンスタインらが参加してベネフィット・コンサートが行われるという記事を読んだのは2008年のことである。カール・ベルガーのCMCでの活動、ワークショップ、インプロヴァイザーズ・オーケストラは現在も続けられており、現在のニューヨークのクリエィティヴ・ミュージック・シーンには欠かせないメンター(優れた指導者)のひとりといっていい。
ベルリンで見たカール・ベルガーは、小柄だが矍鑠(かくしゃく)としていて、その演奏は80歳近い年齢を感じさせないものだった。硬質なヴィブラフォンの響き、楽器にほど近い位置で観ていたからだろうか、深く長く続く残響にこの楽器の不思議な力を感じたのである。と同時に、ドルフィーのアルバムでは最も有名な『アウト・トゥ・ランチ』にヴィブラフォンのボビー・ハッチャーソンが参加している意味、ドルフィーの世界にある独特の音色、レゾナンスについて考えを巡らしていたのだった。
ベルリンでの「So Long, Eric」公演は、そこにカール・ベルガーがいること自体特別だったのだろう。私は、彼の軌跡とこの半世紀のジャズの流れに思いを馳せたのである。
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初出:JazzTokyo #202, 2014年11月 9日更新