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GUEST COLUMNR.I.P. 小杉武久No. 248

追悼「小杉武久逝く。『和而不同』の行為観」(中編)

text by Yoshiaki Onnyk Kinno  金野Onnyk吉晃

 

「音楽のピクニック」読解1

これは小杉武久という流動体を凍結し、切片を切り出し、その断面を仔細に観察してみる試みである。

音楽家の著作や発言について、我々は常に誤解する。
彼の音楽の根源、作品の解釈については彼自身が権威であり、それに関する彼の言葉を歪曲したり積極的誤読をするのは全く不当な行為である、と。
ましてや小杉のような音楽家では、その音楽と文章と存在の間に感じる差異は非常に少ないだろう。

ペンデレッキなどはいかにも民衆の為の音楽を書いたような顔をしているが、今や大豪邸に専用の演奏ホールも持ち、それでいて私は孤独だと嘆いてみせる、最も権力志向の強かった作曲家ではないか。
ノーノやらクセナキスにしても、いつも「ヴ・ナロード」を強調するが結局のところ、作品実現の為にはブルジョワジーとエスタブリッシュメントの支援を必要としている。だからといって彼らの作品の価値が損なわれる訳でもないのだが。

「音楽のピクニック」とは、小杉がよく使った表現でもあり、2017〜18年にかけて開催された最後の回顧展(資料展)のタイトルでもあるが、ここでは1991年、『書肆風の薔薇』から刊行された書籍として取り上げ、読み直してみたい。
この本も、確かに彼の作品のひとつではあるが、それをテクストとして媒介させ、私(読者)と著者の相対的位置を測定してみる試みだ。

確かにこの書には、意外な事実の発見や、彼流の曖昧な概念がすっとまとまって見えてくる瞬間がある。
例えば、何度も独力でチャーリー・パーカーのアドリブを採譜しようとする彼の苦心(『鳥が石を通過する』)、即興に初めて出会ったのはインド音楽でも、ジャズでもなく、西欧音楽の未発達な時期、あるいはバロック、ルネサンス期のそれであったことなど。それらは「音の建築物、凍れる音楽」としての西欧音楽に対する、「羽ばたく音楽、燃える音楽」という概念へと、彼を導く階梯となっていった。
そして彼は遂に「音のオブジェを選択するだけ」の境地へ到達する。その選択の基準については、冒頭と末尾の二つの対談の中で、二通りの説明をしている。
まずオートマティスムによるというもの、これはさらに「意識を変容させて事物の現象を観察するという方法、そして無意識的に偶然性を頼むチャンス・オペレーションを導入する方法の二者を含むという(*)。小杉は、後者は自分の音楽活動自体も其の産物だという。
さらにこの二者を「サイバネティックな自動操縦法が無意識に有るんじゃないか」(『真空の柱—高橋悠治によるインタビュー』)という楽天的な止揚でまとめている。
第二の選択基準。「音のオブジェ」は音響であり物体ではない。しかしサウンドを作る素材として茶碗を選択する時、彼は茶碗の音がする茶碗は選ばないという。楽器というオブジェはそれ自体に空間を持っており、それが独自の「鳴り」を生む。「鳴り」はその楽器を名付ける中心を志向する。小杉は、アノニマスな音が良いのだという。だから求心性を否定して、多面性のある音を選択する。それは名付けようの無い音、ハテナの茶碗の音になる。

では、なぜアノニマスでなければならないのか。

例えば民俗楽器の多くは、素朴な物で、しかしそれ故にこそ、まっとうな音を出すには修練が要る。そしていざ音が出ても、それは実に不安定で、ちょっとした指の位置、息の吹き込み方の違いで、全く表情を変えてしまう。構造が合理的であったり、環境に対して安定性があり、大量に同じ物が生産できるような規格化などはなから無い。一個一個が独自な楽器である。
民俗音楽に限らず、そうしたゆらめき、はばたき、燃え上がる「音のうごき」による音楽をつくることは、すなわち意識の揺らぎを認める事になる。
不安定というのは、見方を変えれば、環境や条件の変化に対して敏感という事だ。意識の安定性を表現するに、明鏡止水という言葉が有るが、この状態の意識であればこそ、周囲の生気、かすかな気配の変化を感じ取れる。静かな水面にこそ、落ち葉の波紋は広がりうる。
インド音楽にはラーガと呼ばれる旋法のような、あるいはフレーズのセットというべきものがある。その数は非常に多く、それを数多く知り、かつそれを即興的に展開できる事こそ音楽家の条件である。ラーガが多い理由は、季節、天候、時間、自然現象、感情など、演奏の場に即したものを選ばなければならないからだという。これは演奏者の意志と環境による選択肢の限定の狭間で決まるという事になる。演奏者は自由でもあり義務もある。環境と演奏が不即不離ということだ。
こういう自然観と即した音楽のあり方を、小杉は「キネティック・エンバイラメント」という。これはラ・モンテ・ヤングの唱えたコンセプトである。小杉はさらにこれを「肉体の状態を越えた時間・空間・知覚の出会い」と説明する。これは、いわゆる「気」の捉え方に極めて近いのではないだろうか。
そして彼自身のキネティック・エンバイラメントの具体化の具体化として提示されるのが、ヘテロダインという物理現象を用いた『キャッチ・ウェーブ』(1967)である。
可聴範囲外の波動を可聴現象に変換するというのは、この当時の小杉が盛んに集中していた作業である。彼にとって光も風も水面の波も、全て音楽なのである。これはホーリスティック、オーガニックな世界観の近代的翻訳である。このナイーヴさは、鈴木大拙経由のケージ流(ソロー流?)自然観よりも親しみを覚えるところがある。
さらにいえば「自己という回路」が、楽器やエレクトロニクスという、また「別の回路」とカッップリング(カップリング)して、自我の解体へ向かい、其の過程こそが即興演奏として生成するということになろうか(小杉はカップリングという語を用いていない。私がこれを選んだのはバレラ=マトゥラーナのいう「構造的カップリング」に近いと思えたからだ)。
当然、そのような即興演奏は所有を否定し、無産性を達するというのであるが、確かに集団即興演奏は誰の物でもないだろう。しかし、それは果たして無産なのだろうか。無産、何物も生み出さないというのは何事かがなされる以前の状態である。既に起こってしまった即興演奏は無産ではいられない。敢えていえばアナーキーではあるかもしれないが。
小杉の考えを肯定するとして、その世界観が個、自我の解体を迫ってくる事は間違いない。其の受け止め方は、その場に有る者にまかされるとしてだが。そして「神的領域との即融」(『神の領域の存続のために—ドン・チェリーのオーガニック・ミュージック』)、「梵我一如」(『我が内なるインド音楽』)となる。

くどくなったが、以上が小杉の選ぶ音がアノニマスでなくてはならない理由なのだ。

しかし、そうしたヒッピイズム、オカルティックなとも思える観念が真っ向から攻撃に曝されたらどうであろうか。
1972年に交わされた故コーネリアス・カーデューとの対談(雑誌『トランソニック』第9号、1976年)であり、カーデューを追求してきた私としては最も刺激を受けたページである。
カーデューは、アカデミックな音楽教育を受けた後、シュトックハウゼンのアシスタントを勤めた。英国に戻りBBCの放送で彼を批判する論説を発表した。「シュトックハウゼンは帝国主義に奉仕する」という有名なテクストである。その後、カーデューはAMMに参加する。それまでフリージャズを志向するだけのカルテットだった彼らは、カーデューの参加で急速に変貌する。その後、AMMをも神秘主義だと非難して離れ、非音楽家を含む「学習と行動の集団」スクラッチ・オーケストラを結成、そこで、集団即興の新しい形を追求した。彼は自らをマオイストと任じ、共産党の地区書記長にまでなった。その後スクラッチ・オーケストラも離れ、極めて政治性の強い背景を持つピアノ曲をいくつか残している。1981年、その最後は突然に訪れ、自宅近所でひき逃げされている。
カーデューは先ず、ケージの業績を称える小杉に対して、それは些細なことであり、なんら前世紀と変化していないブルジョワ的なものだと批判する。さらに「社会革命無しに音楽革命はできません」と断言する。
では専門的教育を受けた作曲家、訓練された演奏家は、誰の為に何を成すべきか。
カーデューは答えるだろう。抑圧、搾取された民衆の解放のために活動する音楽集団は、あたかも革命を指導する前衛党の役割を担うべきだと。彼の音楽には指揮者ではなく指導者が、プロフェッショナルではなくプロレタリアートが必要なのだ。彼の音楽、演奏は階級闘争そのものなのである。
ヴィクトル・ハラ、キラパジュン、ロバート・ワイアット。ポール・ラザフォード、ジョン・テイルバリー、フレデリック・ジェフスキー、そして竹田賢一といった音楽家達は自らの旗色を鮮明にしている。このリストをさらに続ける事はどこまでも可能だ。
現状の批判、これこそが彼らの重要な役割だ。しかし其の現状を、いかにとらえうるか。把握すること自体が既に批判となるだろう。そこでイデオロギーはバイアスをかけるだろう。かといってそれを恐れてはいけない。階級闘争の戦線は経済的であるより、常に根本的に文化的なのだ。
我々は、上記の面々の音楽に魅了される。其の主義主張ではなく、感性的に。その音楽的魅力は小杉のそれに勝るとも劣らない。
時代を考慮しておく必要は有るが、カーデューは当時の北朝鮮の政治と文化を手放しで賞賛する。おそらく彼は極端に過ぎるだろう。しかしその異様さは小杉の対極にありつつ同等であろう。
我々は小杉とカーデューの間のどこかにいるのかもしれない。

私はこの対談を読むたびに、小杉への共感以上にカーデューへの思いが募る。この対談自体が私のジレンマを代弁しているのだ。どちらに軍配を上げるというのでもない。世界の改革が先か、自己変革が先かという問いは、その両者が有る事に依って機能するカップリングである。どちらに依り過ぎても異様に見えてしまうかもしれない。
しかし其の異様さは美しい。どちらにも拘束されないというのもまた無為に見える。そのジレンマをこそ、現状の諸問題のレベル、状況変化に応じて有効に機能させうるだろうか。
俺の軸はぶれる事が無いという自信家ならばそんな問いは発しない。しかし私は自信家を信じないのだ。音楽家はいずれにせよ己の存在をこの世に問い、試すだろう。
カーデューの、ほぼ一周忌にあたる82年12月15日、法政大学学館において、鈴木健雄氏の呼びかけによって開催された追悼コンサートには小杉も参加している。
この正反対の立場の音楽家との対談、対照的な観念の衝突は貴重なドキュメントであり、それを自らの著書に収録した小杉の真摯な姿勢には敬服せざるを得ない。
対談を結論づけるのではなく、対立した存在の声をありのままに伝える、その二つの声は読む者の裡において止揚されるだろう。(続く)

* 偶然性、チャンス・オペレーションが出てくると、もうひとつの重要な概念「不確定性=indeterminacy」との関係を明確にしておかなければならない。これら三つは全て異なるものだ。端的に言えば偶然性は作曲技法のひとつであり、其の中にチャンス・オペレーションは含まれる。不確定性は演奏における多様な可能性の選択である。極めて周到に用意しておきながら、結果的にいかなる音響が生じるか不明という場合もある。
さらに「前衛音楽」と「実験音楽」の差異もある程度明瞭にしておくべきだろう。前者は例えばある種のイデオロギーや思想の体現を目指し、後者は「科学実験」のそれとは違い、実験的な音楽の生成が、いかなる結果を齎すかを観察すると考えれば良い。
そうなれば、前衛音楽において作曲に偶然性を、演奏に不確定性を持ち込むのにはかなりの配慮をしなければならない。安易に即興に依存する事も出来ないはずだし、技法ではなく思想に裏付けられた即興が狭隘にならないのも困難ではある。

金野 "onnyk" 吉晃

Yoshiaki "onnyk" Kinno 1957年、盛岡生まれ、現在も同地に居住。即興演奏家、自主レーベルAllelopathy 主宰。盛岡でのライブ録音をCD化して発表。 1976年頃から、演奏を開始。「第五列」の名称で国内外に散在するアマチュア演奏家たちと郵便を通じてネットワークを形成する。 1982年、エヴァン・パーカーとの共演を皮切りに国内外の多数の演奏家と、盛岡でライブ企画を続ける。Allelopathyの他、Bishop records(東京)、Public Eyesore (USA) 等、英国、欧州の自主レーベルからもアルバム(vinyl, CD, CDR, cassetteで)をリリース。 共演者に、エヴァン・パーカー、バリー・ガイ、竹田賢一、ジョン・ゾーン、フレッド・フリス、豊住芳三郎他。

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