Vol.5 寺島靖国氏に反論する
text by Masahiko Yuh 悠 雅彦
本誌(スイングジャーナル 2008年)2月号のコラム「日常生活する」で、私を名指しして批判した寺島靖国氏に一言もの申したい。
寺島氏が槍玉にあげたのは、私が昨年、朝日新聞(2005年12月15日付け夕刊)紙上に「今年(2005年)のジャズ・ベスト・コンサート」。私の見たコンサートが誰にとってもベストであるわけはない。私のあげた3種のコンサートを直にご覧になった上で批判しておられるのなら、違った意見を認めるのもやぶさかではない。だが、氏がウィントン・マルサリスを引き合いに出して批判しているところから察して、「日本で行われたコンサートのべスト・スリー」を無視したらしい。同紙の設定したテーマとは何の関係もないウィントンのライヴ盤を引き合いに出したこと自体が間違い。承知の上での批判なら悪質な確信犯としかいいようがない。何を書くのも自由だが、批評家として活動している以上、少なくとも誤った理解や悪意で安易な批判を得々として述べ連ねる愚は厳に慎んでもらいたい。私が挙げたコンサートの主人公、上原ひろみ、守屋純子、ブラッド・メルドーらの音楽性が自身の好みとは相容れないことを、3者の音楽が「普通のジャズ」ではないという不見識な理由で否定した件(くだり)は、「一般のジャズ・ファンが喜んで聴くジャズ」とか「普通のジャズ」、あるいは「フォービート・ジャズ」を金科玉条として臆面もない、寺島氏の勝手気侭な放言以外の何物でもないだろう。氏の一文には論争を喚起する意図がまったくない。「上原ひろみは心はロックの方の人」、「守屋純子は必要以上に難解」「ブラッド・メルドーのソロにいたっては一部の人の愛好する際物(キワモノ)」という独断と偏見丸出しの繰り言に堕したまま、初心者よ「際物」には手を出すなとおせっかいな注意書きを貼り付けて門を閉ざした。どこがどう「難解」で、「際物」なのかを明らかにすべきだ。上原への中傷は氏がまっとうな批評視座をもっていないことを示す。歴史を無視したまっとうな批評視座などはありえない。反論を乞う。
編集部注:
本稿は、故悠雅彦編集主幹によりスイング・ジャーナル誌読者投稿欄に投稿されたもの。