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特集『ECM: 私の1枚』

早田和音『Chick Corea / Return To Forever』
『チック・コリア/リターン・トゥ・フォーエヴァー』

“ECMこの1枚”というタイトルを聞いて途方に暮れてしまった。あの膨大なカタログの中から1枚だけをピックアップしてそれについて語るというのは僕の手に余る話だ。でもECMとの出会いなら鮮明に覚えている。それは50年近く前の高校3年生の時、地元商店街にあるビルの4階まで続く狭く急な階段の先にある小さなジャズ喫茶だった。テーブルと椅子がすべてスピーカーと対峙するように並べられているその店は、アルテックの大型スピーカーの間に鎮座する仏像にスポットライトが当てられている以外、照明らしい照明が無く、闇に目が慣れるまではメニューの文字さえよく読めないほどの暗さ。そんな暗がりの中で、次から次へと掛けられる矢鱈と威勢のいいハードバップや陰陰滅滅としたモード・ジャズを聴くのが常だった。

その日もそうしたモダン・ジャズの音を聴きながら、闇の中にぼうっと浮かぶ仏像をぼんやりと眺めていたのだけれど、その時、店の中が一気に明るくなったような錯覚に陥った。まるで波が動いていくようにしてゆったりと流れていくエレクトリック・ピアノと、それに絡んでいく粒立ちのよいシンバル・レガートと軽やかなベース。さらに聴こえてくる、これは何という楽器だろうかと訝しがってしまうような澄み切った歌声や、清らかなソプラノ・サックスのフレイズ。今までに聴いたことのないこの音が頭の中に灯を燈したのだということにようやく気付いた僕がカウンター脇の“NOW PLAYING”に目を遣ると、水面ギリギリを滑空する水鳥をソフト・フォーカスで捉えたジャケットが目に飛び込んできた。それが僕とECMの初めての出会いだ。

それ以来、コアなファンではないけれど、ECMというロゴのあるジャケットを見るたび反射的に頭の中に光が宿って、さまざまなアルバムを手にするようになった。流石にあの時のような、ファースト・インプレッションがもたらした強烈な煌めきを感じることはできなくなったけれど、それでもECM作品を聴くたびに僕は何か光のようなものを感じる。その感覚は、ブルーノートやプレスティッジのゴリゴリの名盤を聴いても得ることができないもの。僕はあの時の感動をいまだに忘れることができない。


ECM1022

Chick Corea (Electric Piano)
Joe Farrell (Flutes, Soprano Saxophone)
Flora Purim (Vocals, Percussion)
Stan Clarke (Electric Bass, Double-Bass)
Airto Moreira (Drums, Percussion)

1 Return To Forever (Chick Corea) 12:06
2 Crystal Silence (Chick Corea )06:55
3 What Game Shall We Play Today (Neville Potter, Chick Corea) 04:26
4 Sometime Ago – La Fiesta (Neville Potter, Chick Corea) 23:18

Recorded February 1972, A & R Studios, New York
Produced by Manfred Eicher

早田和音

2000年から音楽ライターとしての執筆を開始。インタビュー、ライブリポート、ライナーノーツなどの執筆やラジオ出演、海外取材など、多方面で活動。米国ジャズ誌『ダウンビート』国際批評家投票メンバー。世界各国のメジャー・レーベルからインディペンデント・レーベルまで数多くのミュージシャンとの交流を重ね、海外メディアからの信頼も厚い。

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