JazzTokyo

Jazz and Far Beyond

閲覧回数 10,921 回

特集『ECM: 私の1枚』

寺島靖国 『Tord Gustafsen Trio / The Ground』
『トルド・グスタフセン・トリオ /ザ・グラウンド』

もう50年くらい前の話です。ジャズ喫茶「メグ」を吉祥寺で開店してしばらくして「ファンキー」の野口さんと知り合いになりました。野口さんは残念ながらだいぶ前に亡くなりましたが、初期的には仲がよくなかったです。やはり吉祥寺といえば「ファンキー」で、後発店の私をうとましく思ったのでしょう。
それが、なぜ、仲よく慣れたか。
当時レコード会社のジャズ担当の方がよく「ファンキー」や「メグ」に遊びにこられていたのです。お客に交じってジャズを聴いておられました。中には良からぬ考えを持った方がおられてウエイトレスと親密になりたいと。当時はジャズ喫茶のウエイトレスは飛行機のスチュワーデスと並び賞されるくらいの美人が揃っておりまして、それに目がくらんだのでしょう。実際私の店から一人、社員の人と仲よくなりました。ウエイトレスも相手がレコード会社の社員。あこがれていたふしがあります。レコード会社のジャズ担当。彼らにとって最高の時代です。
それはともかく、ジャズ担当者と親しくしているうちに自然に「ファンキー」の野口さんとも打ちとけていったのです。
当時のトリオレコードの稲岡さんが吉祥寺に住んでおられて、吉祥寺ジャズ・サークルの中心人物でした。どちらかというと口の重い方です。しかしいったん口を開くと一言ひとことに重みがありました。それで野口さんも私もいっぺんで敬意を払ってしまったのです。しかし、そうは言ってもジャズ観の違いはいたし方ありません。
当時の私はものの見事にハードバップの旗手でした。ハードバップの他に神は無し。そんな標語を掲げて、店でかけるレコードも50~60年代の名盤ばかり。
気の毒なのは来店する稲岡さんです。私は稲岡さんの顔を見るとつい嬉しくなり、「へぇ、ECMねえ、どこがいいんですかねえ、第一ヨーロッパ人にジャズ出来るんですかねえ。ジャズは黒人の音楽でしょう。私はとてもじゃないが、ECMのジャズなんて聴く気になれませんねぇ」。
こんなことをホザいていたのです。その時の稲岡さんのほんのりと笑顔を浮かべた困ったような顔付き。今でもはっきりと思い出されます。
そんな私が、なんとECMにはまってしまったのでした。きっかけはキース・ジャレットではありません。音、なのです。
オーディオが大好きで、音の好みは当然ブルーノート風のルディ・ヴァン・ゲルダー録音でしたが、いつの間にかそれに食傷してしまったのです。かわって魅力的な音として私を襲ったのがECMサウンドです。
きっかけは一台のアンプでした。デザインに惚れ込んで購入したアメリカのオーディオ・リサーチSE-75というパワー・アンプ。これが何んとも透明な、湖の上を吹き抜ける涼風のような音を出したのです。
私は驚がくいたしました。世の中にはこんな音もあるのか。ジャズの音はドスン・バシンのブルーノート・サウンドだけかと思っていた私は目の前に新しい美形世界を突きつけられ、一拠にそこへのめり込んでいったのです。
あれほど揶揄の対象にしていたECMが宝物になりました。といってもECM全部ではありません。いまのところピアノ・トリオだけ。
ボボ・ステンソン・トリオ、マルチン・ワシレフスキー・トリオ、ステファノ・バッタグリア・トリオ、ユリア・ヒュルスマン・トリオ、コリン・ヴァロン・トリオなどなど。どんどん聴きまくります。いずれも音を第一に音楽を第二に。オーディオ・マニアにECMファンが多いのもこういう聴き方をするからでしょう。
トルド・グスタフセン・トリオを知っていっそうECMが好きになりました。ECMに美旋律なし。以前からのECMに対する見方でしたが、トルド・グスタフセンによって見事にくつがえされました。美曲の創造者。
トルド・グスタフセンを知ってノルウェーが好きになったのです。その伝で言えばECMが気に入ってからオスロが好きになり、レインボー・スタジオ、エンジニアのヤン・エリック・コングスハウクなどすべて以前とは違った尊敬の眼で見つめるようになりました。


ECM 1892

Tord Gustavsen Trio:
Tord Gustavsen (Piano)
Harald Johnsen (Double-Bass)
Jarle Vespestad (Drums)

1 Tears Transforming (Tord Gustavsen) 05:38
2 Being There (Tord Gustavsen) 04:13
3 Twins (Tord Gustavsen) 05:01
4 Curtains Aside (Tord Gustavsen) 05:13
5 Colours of Mercy (Tord Gustavsen) 06:09
6 Sentiment (Tord Gustavsen) 05:34
7 Kneeling Down (Tord Gustavsen) 05:47
8 Reach Out and Touch It (Tord Gustavsen) 05:48
9 Edges of Happiness (Tord Gustavsen) 03:09
10 Interlude (Tord Gustavsen) 02:07
11 Token of Tango (Tord Gustavsen) 04:07
12 The Ground (Tord Gustavsen) 07:21

Recorded January 2004, Rainbow Studio, Oslo
Engineer: Jan Erik Kongshaug
Produced by Manfred Eicher


寺島靖国 てらしま やすくに
1938年、東京都中野区出身。早稲田大学文学部独文科卒。1970年、吉祥寺にジャズ喫茶「Meg」を開店(2018年閉店)。2007年、レーベル「寺島レコード」を設立、自らジャズ・アルバムの制作にも乗り出す。ジャズとオーディオに関する著書多数。ミュージックバードのジャズ番組で永年DJを務める。2020年度「日本ジャズ協会長賞」受賞。

コメントを残す

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください