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特集『私のジャズ事始』

和装の美人目当てのジャズ喫茶通い 寺島靖国

私が高校生の頃、家はまったく貧乏で、オーディオも買えずレコードも買えず、ひたすら家でラジオを聞いていました。
S盤アワーという番組がありまして、これはポップスを専門に流していました。
ポップスを聞いていたんですよ。ペリー・コモの「星を見つめないで」とか、ダイナ・ショアの「青いカナリア」とか。
月に一度か二ヶ月に一度、ジャズの特集の日がありまして、これが嫌で嫌でたまらなかった。チャーリー・ベンチュラとかやっていましたけど。こんな音楽、どこがいいんだよ、と。
知り合いが、面白いところへ連れて行ってやるよ、と。
吉祥寺の南口のビルの2階のMというジャズ喫茶へ。
私の嫌いなジャズが次から次へと流れます、まいったな、これは。
ふと気が付くと、和服姿のすさまじい美人がおります。後でわかったのですが、マスターの妹さんでした。
いつの間にか妹さん目当てにお店に通うようになっていました。
私とジャズのなれそめは、このように純粋なものだったのです。
とにかく妹さんと親しくなりたい。親しくならないまでもとにかくお話がした。お話といってもジャズ喫茶ですから、おおっぴらなものではありません。小声でひそひそとジャズの話をすればそれで満足なのです。
一生懸命、ジャズの勉強をしました。その日かかったレコードをメモにとり、家で復習し、次回の訪問の折り、それをリクエストする。
その頃は今考えると、ウエスト・コースト・ジャズが流行っていました。チェット・ベイカーやビル・パーキンスなんかはうるさくない。強圧的なチャーリー・ベンチュラよりぜんぜん民主的です。そんなこんなで少しづつ、ジャズになついていったような気がします。
妹さんにちょっかいを出したんだろうって? 18才の高校生になにができますか。先方も私の気持がわかっていて、とにかくやさしく接してくれます。
これが、いわゆる初恋というものなのでしょう。
しばらくしてお店が突然閉まりました。初恋はあっけなく終わりましたが、ジャズは根強く残っています。


寺島靖国 てらしま・やすくに
1938年2月11日、東京都中野区生まれ。文筆家。オーディオ・マニア。
早稲田大学文学部独文科卒。サラリーマンを経て70年吉祥寺にジャズ喫茶「meg」開店。後にカフェバー数店を開き、「ファンキー」の慶応OB故野口伊織と吉祥寺ジャズ界の覇を競う。87年処女作「辛口ジャズノート」を発表以来、ジャズ、オーディオに関する著作、連載、DJ、セミナーなどを精力的にこなす。2020年度「日本ジャズ協会長賞」受賞。最新作は「JAZZ健康法入門」(音楽之友社)。

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