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インプロヴァイザーの立脚地No. 328

インプロヴァイザーの立脚地 vol.34 かみむら泰一

Text and photos by Akira Saito 齊藤聡
Interview:2025年7月2日 サムライ(新宿)にて

かみむら泰一の演奏は内にも外にも開かれている。自分自身のヴォイスをいかに尊重するか、表現のための言語とはなにか。

こんな音を出したい

東京都杉並区の井草で生まれ育った。父親はヴァイオリンを嗜んでおり、勤め人の自分ができなかったことを子どもにやらせたいと考えていたらしい。かみむらが4歳のときから近所のピアノ教室に通いはじめたのはそのようなわけだ。姉はヴァイオリンを習っていた。

まじめな生徒ではなく、横を見ながら弾いたりもした。1曲弾き終わったらスタンプをくれるから続けたのだし、親戚のおじさんになにか弾いてよと言われると「ごほうびに何をくれるんだろう」と思ってしまうような子どもだった。だから、小学校の低学年になってピアノをやめてしまった。そのかわりに熱中したのは、流行のサッカー、野球、卓球。

ところが、高校1年生のときサックスという楽器に取りつかれてしまった。テレビを何気なく見ていると、資生堂ブラバスのCM(1978年)に俳優の草刈正雄とサックスの渡辺貞夫が登場していた。流れるのは渡辺貞夫が吹いて大流行した<カリフォルニア・シャワー>。音色に興味をもち、やってみたくなった。

かみむらは部活というものが苦手だった。ひとりで練習したはいいもののよくわからず、ヤマハの音楽教室に入った。教師は山口真文であり(そのときは有名なジャズミュージシャンだと知らなかった)、音色にびっくりしてしまった。こんな音を出したい―――かみむらは、ひたすらロングトーンを吹き続けた。ちょうど二輪免許を取ったこともあって、朝日の出る前に二子玉川の多摩川河川敷に通っては練習した。学校に出席するのは午後になったが、なんとかなった。山口には3年ほど師事した(その間に宮地楽器の講師になった)。

姉もヴァイオリンを続け、東京藝大に入った。その寮が上石神井にあって、同級生に須川展也(サックス)がいた。現在もクラシックのサックス奏者として活動を続ける第一人者である。かみむらは姉に須川を紹介してもらい、基礎を教わった。かみむら自身は高専に通ったのだが、4年生のとき教師に「就職に集中しなければダメだ。サックスをやめるか続けるか」と詰められてしまった。もちろんやめたのはサックスではなく学校だ。そんなわけで、東京藝大の別科を目指すことにした。1年間がむしゃらに練習したし、須川が自身の師である大室勇一を紹介してくれた。そして頑張った甲斐あって合格した。これで好き放題だ!と浮かれていると大室に見抜かれ、レッスンで怒鳴られてしまったという。

ジョージ大塚

かみむらはクラシックを学びつつ、18歳のときから渋谷のヤマハのドラム教室に通った。アンサンブルコースという上級コースである。ここにジョージ大塚(ドラムス)が教えにきていて、それが縁でジョージのグループに入ることになった。ジョージのマラカイボには山口真文も参加していた。かみむらが加入したころのメンバーは、金澤英明(ベース)、滝本博之(ピアノ)、津上研太(サックス)といった面々。かみむらは20歳だったか21歳だったか、ここからの活動がプロということになる。

ジョージ大塚のグループは、毎月3回大きなライヴを行っていた。新宿ピットイン、六本木ピットイン、横濱エアジンである。ここではどうスイングするのかを学ぶことができた。だが、他のグループで演ろうとすると「それでスイングするのか」とジョージに詰められ、実質的に他での演奏は許されなかった。ジョージが使うドラムセットには口径26インチと最大級のバスドラムにシンバルが4、5枚。つまり、ドラマーひとりで音楽表現でき、ドラマー自身が歌を歌いたいセットである。一方、一緒に演っていると細かい音が聴こえない。これでは埒が明かないと思い、大喧嘩の挙句にジョージのグループを辞めてしまった。

いちからの音、自分の音

さて、どうしたものか。悩んで市川秀男(ピアノ)に相談したところ、「いちから音を良くしたほうがいいんじゃないか」との助言。かみむらは加藤久鎮のもとに通うことにした。佐藤允彦(ピアノ)のグループやシャープス&フラッツで活躍したあとレッスンプロに転じた人である。加藤は口内の音のありようや舌の形など門外不出のコンセプトを教えてくれた。まさに目から鱗とはこのこと。かみむらは演奏活動も止め、28歳くらいまでの2年間通った。そしてしばらくすると、市川が「どうなんだい?」と気にかけてくれた。六本木のハコの仕事を紹介してくれたのも市川だ。

そのころ、かみむらはデューイ・レッドマン(サックス)の音に惚れ込んでいた。デューイがメンバーとして参加するキース・ジャレット『Treasure Island』(1978年)をよく聴いていたし、根本の音づくりやベースとなるヴォイスが目指すべきものだと思えた。リードの振動をとらえて鳴らす感覚である。

1995年からバークリー音楽大学に通ったあと、アーティストの妻が文化庁派遣の「芸術家在外研修」研修者と「日米芸術家交換プログラム」の日本側派遣芸術家に指定されたこともあり、99年から2年ほどニューヨークに一緒に滞在した。ライヴを観て強く動かされたのは、トニー・マラビー、ビル・マッケンリー、クリス・スピード、クリス・チークといったサックス奏者たちの演奏だ。自分自身のヴォイス、メロディ、サウンドをもとにアドリブを作っており、それまでのジャズには見当たらない人たちだった。あるいはリー・コニッツにも近い感覚である。それは、マーク・ターナー、ジョシュア・レッドマン、クリス・ポッターらが、伝統的なジャズの世界に音を適用するありようとは対照的に思えた。

かれらは、カラーの強い自分自身の音を活かして、自分のやるべきことに集中する。そして、周囲にはそのサウンドをサポートすることに長けた人たちがいる。東京とは大きな違いがあるように思えた。

ニューヨーク滞在中に、かみむらはオーソドックスなジャズに焦点を当てたデモCDを制作した。メンバーは井上智(ギター)、井上陽介(ベース)、奥平真吾(ドラムス)。増尾好秋(ギター)が契約していたダウンタウンのスタジオを借りて録音した。マンハッタンで仕事を探すときにはそのCDを持ち歩く。好きな音を出す現地の人たちとリハーサルをしたりもして、帰国前には私家版のCDも作った。

帰国と模索

帰国してからいろいろな人とセッションをしてみたが、自分の音色によってサウンドに説得力をもたせることが、なかなかできない。「ジャズのアドリブ」から脱却するためもあって、2000年の終わりころから荻窪のグッドマン(現在は高円寺に移転)で即興のシリーズを始めた。バークリーの同級生たちのライヴに顔を出す中で出会ったのがカイドーユタカ(ベース)で、かれもまたグッドマンで即興のシリーズを展開していた。グッドマンには千野秀一(ピアノ)、森重靖宗(チェロ)といった人たちも出入りしていたし、臼井康浩(ギター)などは名古屋から演奏のために出てきていた。自分自身の音楽をやりくりする場所だった。

ソロや市野元彦(ギター)とのデュオなどで模索しているうちに、自分のサウンドをつかまえたような気がしてきた。橋爪亮督(サックス)や嶌田憲二(ベース)といった、フィーリングを音楽に変えている人にも出会うことができた。そんな経緯があって、2003年から3年続けて「New Jazz Concert」という催しを開き、橋爪、嶌田、かみむらがそれぞれのバンドでオリジナルを演奏した。

鳥山タケと知り合ったのはニューヨークだ。バークリーに学び、ベン・モンダー(ギター)とも共演していた。鳥山が一時帰国したときに録音したアルバムが『A Girl From Mexico』(2004年)だ。音楽は土地に根差すものだという印象が強く残った。

ジョージのバンドでも弾いていた大給桜子(ピアノ)と共演したとき、メンバーの是安則克(ベース)の音に共感するものがあった。自分のサウンドをセルフプロデュースすることを、日本のメンバーとともにできるようになったのだと実感した。それどころか、是安は演奏中に「で、なんなんだよ」と言わんばかりの会話を始めてきた。ニューヨークで出会ったものとは異なる、人と向き合う音楽である。鳥山、モンダー、市野、ドリュー・グレス(ベース)と『のどの奥からうまれそうなかんじ』(2007年)を吹き込んだあとは、自分の方向性についての答えが出たような気がした。それは、自分の地で生まれる音楽である。是安、橋本学(ドラムス)との「オチコチ」ではコード楽器のない音楽を追求したが、根本にはマラビーによる空間に響かせる音があった。

音を出すとはどういうことなのか

2011年3月11日、東日本大震災が起きた。原発という存在も含め、これまで自分自身が手放しで日本社会の上に乗っかっていたことに気づいた―――もう、そんな自分に戻ることはできない。そんなときに出会ったのが齋藤徹(コントラバス)の音楽だった。即興は人それぞれのものであり、答えを見出すことは難しい。齋藤が答えのきっかけとなるものをくれた。音そのもので人と真剣になにかを生むことができるということだ。

姜泰煥(サックス)と齋藤とのデュオを観にJazz Spot Candy(千葉)に足を運んだときのこと。オーナーの林美葉子が、「この人、徹さんと演りたがっているのよ」と齋藤にいきなり紹介してくれた。後日かみむらが齋藤に自分のCDを送ったところ、しばらくしてから、齋藤より「ショーロに興味があれば一緒に演らないか」との連絡があった。そして、ショーロのことを何も知らないかみむらのもとに、齋藤から山のような資料と音源が送られてきた。はじめはピンとこなかったが、おもしろさも感じた。それは、アンサンブルで自己表現をするジャズとは異なり、メンバーが向き合ってグループの中で会話をするありようだ。かみむらは「ぜひ演ってみたい」と返し、齋藤が当時住んでいた幡ヶ谷の家に出かけて2回ほどリハーサルをした。

メロディはショーロであっても独自の解釈で演奏する。とても難しいものだった。だが齋藤はその場の空間を共有し、同時進行的に音の世界を作り上げていく。かみむらは驚いた。音色だけではとても太刀打ちができない。

だから、またいちから試行錯誤して自分のサウンドを見つめ、作りなおさざるを得なかった。鳴るか鳴らないかの独特な音色はその答えでもある。そして、成果として齋藤とのアルバム『Choros & Improvisations Live』(2016年)を吹き込んだ。

言語

現在、かみむらはオーネット・コールマン(サックス等)の音楽に取り組んでいる。それはオーネットの曲を演るという意味ではない。どう空間と対峙するのか、たとえばリズムがずれていてもポリトーナルな音をどう出していくのか。共演者がそれぞれ積み上げてきた音をどう尊重し、自分もまたどう提示するのか。仮にスタンダードを演ったとしても限定的な表現にはならない普遍性やおもしろみがある。ジャズではいきおい器用にメロディ・リズム・ハーモニーを駆使してしまうが、そんなことよりも「状況」のなかでシンプルに演奏し、即興によって音楽と向き合いたい。おもしろいものを見ようとすれば、結局は自分自身の語り、自分自身の答えにたどりつく。それは多様性というものへの回答でもあるはずだ。すなわち、いまなにかを語ろうとするときに使いたい言語(のひとつ)がオーネットだというわけである。

では即興を演るときはどうなのか―――それはジャズの枠を外すということであり、言語を変えるということではない。音を出すことの意味は枠のエッジにあるのかもしれない。齋藤徹がいずるば(大田区)で主催した即興のワークショップ「寄港」では、「自己表現ではなく自己実現」がテーマのひとつとなった。そこには身体で反応すること(身体性)が関与してくる。自分が解っている範囲だけが自分なのではなく、別のものが出てくるということがおもしろさだ。あるいは、分断される社会に対峙するうえでなにか可能性があるのかもしれない。即興にあたっては、身体がどう考えているかを率直に出す。

かみむらが落合康介(ベース)らとともに「縄文」をテーマとした表現を追求したことがある。かつて岡本太郎が紹介した井戸尻遺跡(長野県)の出土品を目にして、本当に素晴らしいと感じたという。そこには、目の前のサイズを超えるエネルギーがあった。はるか昔に作られた土器ではあっても、同じ人間が作ったものだ。かみむらは触発された。感性を想像し、音で記憶をたどってみようと考えた―――記憶に直結する音ではなく、その記憶がどのように形成されて他とどのような関係をもつのか。そして、これもまた身体性であり、音楽とは進化の具体論なのだととらえた。音の会話はプロセスのひとつであり、それによってフラットな関係性以上のものが出てくる。

現代アート作家の妻の影響もある。現代社会の抱える問題に直面して、生きてなにかをやるということ。直接こちらから向かっていくのは難しいが、考える材料をもとに自分なりの答えを出したい。「向こう」は考えさせないようにしているからだ。だから、オーネットとはあくまで言語の選択肢のひとつであって、「いま、ここ、わたし」という問いかけに答えられるならどんな選択でも構わない。それはその人が培って出してきたものだ。

アルバム紹介

(文中敬称略)

齊藤聡

齊藤 聡(さいとうあきら) 著書に『新しい排出権』、『齋藤徹の芸術 コントラバスが描く運動体』、共著に『温室効果ガス削減と排出量取引』、『これでいいのか福島原発事故報道』、『阿部薫2020 僕の前に誰もいなかった』、『AA 五十年後のアルバート・アイラー』(細田成嗣編著)、『開かれた音楽のアンソロジー〜フリージャズ&フリーミュージック 1981~2000』、『高木元輝~フリージャズサックスのパイオニア』など。『JazzTokyo』、『ele-king』、『Voyage』、『New York City Jazz Records』、『Jazz Right Now』、『Taiwan Beats』、『オフショア』、『Jaz.in』、『ミュージック・マガジン』などに寄稿。ブログ http://blog.goo.ne.jp/sightsong

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