JazzTokyo

Jazz and Far Beyond

閲覧回数 24,221 回

インプロヴァイザーの立脚地No. 296

インプロヴァイザーの立脚地 vol.2 高橋佑成

Text and photos by Akira Saito 齊藤聡
Interview:2022年11月12日(土) 成城学園前にて

ピアニストの高橋佑成は1994年生まれの28歳(2022年12月現在)。日野皓正グループ、世田谷トリオの他、エレクトロアコースティック即興トリオのm°fe(エムドフェ)や秘密基地、そしてフリー・インプロヴィゼーションのギグでも頻繁に演奏を行っている。

ジャズとの出会い

小さい頃からエレクトーンを習ってはいたものの、楽譜が得意でないこともあって、週1回のレッスンでは「適当にごまかすこともあった」。高橋にとっては、しっかり楽譜を読んで演奏するよりも自分から出てきたものを出すほうが愉しかったのかもしれない。ピアノも始めていたが、エレクトーンのコンクールに出ても優勝するでもなく、音楽を続けることに疑問を抱いていたという。

小学5年生のとき、母親が日野皓正(トランペット)のコンサートに連れて行ってくれた。「こんなに安い値段で観られないから」くらいの理由ではあったが、それは高橋に予想外のインパクトを与えた。日野、多田誠司(サックス)、石井彰(ピアノ)、金澤英明(ベース)、井上功一(ドラムス)というメンバーだった(*1)。かれにとって、それは「すごい音楽」であり「自由な音楽」だった。

そんな事件もあって、高橋は演奏を続けた。PE’Zの曲などもひとりで練習した。そして、中学2年生のとき、コンピレーション盤に収録されたビル・エヴァンスの<Waltz for Debby>を聴いて驚いてしまった。かれは「ピアノでこんなことができるのか」と驚き、アドリブや即興を試してみた。これが、高橋をジャズに引き込む第二の事件となった。

高橋は、世田谷区立中学生によるビッグバンド「Dream Jazz Band」(ドリバン)に応募し、入ることができた。ドリバンは普通の倍くらいのメンバーを抱えており、管楽器はふたりずつ、ピアノ、ギター、ドラムスといったリズム楽器は5人ずついた。4月から8月まで日野らの指導のもとワークショップを実施し、演奏会を開いてひとまわり。カウント・ベイシーやデューク・エリントンの曲が多かったが、ピアノのソロパートはあまりなかった。それでも高橋にとっては「自分から出てきたものを人前ではじめて弾いた」場なのだった。

東京都立豊多摩高校に進んだ高橋は、いちどは軽音楽部に入部したもののすぐにやめてしまい、ドリバンのワークショップの手伝いに行ったりもしていた。

ライヴ活動の開始

高校2年生のとき、金澤英明がライヴを組んでくれた。三軒茶屋のObsounds(現在は江東区森下に移転して営業中)において、高橋がリーダー、金澤(ベース)、江藤良人(ドラムス)とのトリオである。初っ端から一線級のメンバーとの共演だったわけで、実のところ緊張のあまり「進行をロストして叱られてしまった」。ビッグバンドでの演奏とは違い、少人数で人前で演奏することが思いのほか大変なことなんだと気付かされる経験だった。ともあれ高橋はライヴ活動を開始した。二歳上の中山拓海(サックス)と知り合ったのもこのころだ。そして明治学院大学の芸術学科に進んだ。

もちろん演奏のフォーマットはジャズだった。だが、ときにシットインさせてくれた日野皓正は「フリー的なもの」を求めてくることが多かったし、大学3、4年のころには即興演奏の猛者・林栄一(サックス)や瀬尾高志(ベース)と出会ってもいた。

即興演奏のむずかしさ

だから、高橋にとって、インプロのギグを演ってもジャズとの距離はさほどない。誰がどのような音楽のタイプの人だというようなことは考えず、「感じたものを素直に出す」ことが大事だと思った。たとえばスタンダードは「あらかじめ内容があって話すこと」、インプロは「フリートーク」。つまり、「ジャンルがインプロというわけじゃない」。

もっとも、そう考えるようになったのはわりと最近のことだ。最初はどうしても「インプロはこのような感じ」というように縛られていたし、苦労も悩みもあった。4、50分ほどの2セットをすべてインプロで演るのはどうしても難しく、いつまで演るんだろう、何も依拠するものがない中で大きな曲にするにはどうすればよいのだろう、まわりの人とどうかかわればよいのだろう、と。

2016年、すなわち高橋が22歳のときに森順治(サックス)、瀬尾高志(ベース)、林頼我(ドラムス)と下北沢のアポロで共演した際、筆者は、高橋が鍵盤の左から右まで、そして内部奏法もすべて駆使することに驚いたとの印象を抱いた。そのことを言うと、高橋は「使えるものはすべて使うし、なるべく同じことはしたくなかった」からだと答えた。

いまでは前より落ち着き、「音を出していない時間も客観的にみることができるようになってきた」。

フリー・インプロヴィゼーションとは

高橋は、いまでは「根底を変えずにやるのが自分のカラーだ」と断言する。

林栄一と共演後に一緒に帰ったとき、林が怒るように話したことがあった。曰く、「他の現場でフリーになったとき、ドレミファソラシドを吹いたら、それはフリーではないと言われた。だが、インプロはぜんぶ込みで音楽だと思うんだよ」と。かれは共感し、即興観を補強してくれるように思った。

今年(2022年)に61歳ほど上のギタリスト・中牟礼貞則とのデュオ盤『Nu』をリリースしたのだが、中牟礼も、フリーであろうとスタンダードであろうと変わらない自由さを持っているように思えた。そんな印象もあって、「普通のアルバムになると嫌」だから、高橋のアイデアで曲の間にインプロ演奏を挿入した。

松丸契(サックス)、落合康介(ベース)とのトリオ・m°fe(エムドフェ)でも、また細井徳太郎(ギター)、宮坂遼太郎(パーカッション)とのトリオ・秘密基地でも、曲もインプロも演る。高橋はシンセサイザーもエレクトロニクスも演奏しており、その根底には、ピアノだけでは不可能な表現を拡張したいというねらいがある。だが、「気持ちはすべて一緒」であり、かつてインプロ演奏を始めたころとは明らかに考えが異なっている。

シンガーソングライターの七尾旅人のバックで演奏したアルバム『Long Voyage』(2022年)(*2)についても高橋のスタンスは同様だ。もとより七尾旅人は演奏に自由な雰囲気があり、ライヴでは最後にインプロを演るほどの人だ(ヴォーカルにエフェクトをかけたりするし、スタジオではマイクでバスドラを叩いたこともあったという)。灰野敬二との共演経験もあり、「旅人さんにとってもぜんぶ一緒なんでしょう」と高橋は言う。

おもしろいと感じるインプロヴァイザーについて問うと、「たしかにピアノのセシル・テイラーなんかは好きだけれど、自分にとっては、ハードな即興ばかりでなく普通のジャズピアニストであっても得られるアイデアがある。いまの人ということになれば、身近だけどパーカッションの宮坂遼太郎」と答えた。宮坂は、前は何をはじめるかわからないところがあって、グルーヴ感もアイデアもすごいものがあるし、知的でもある、と。現在、宮坂は東京藝術大学大学院に在籍し、多忙な生活を送っている。

それから、かつて外山明(パーカッション)と共演したときには、外山が「何を演っているのかわからなかった」。いま再演したらどのように感じるか、まだかれ自身わからないでいるという。

高橋は、今後も現在のグループでの活動を続けるとともに、ピアノやモジュラーやシンセサイザーを使ったソロを展開したいと考えている。

(文中敬称略)

(*1)このメンバーに韓国の李廷植(サックス)が加わる日野皓正のアルバム『Dragon』(Sony、2005年)のような雰囲気の演奏だったという。
(*2)参加アーティストは次の通り多彩である。Shingo Suzuki、Kan Sano、山本達久、小川翔、中村圭作、Dorian、沢田穣治、向島ゆり子、橋本歩、細井徳太郎、瀬尾高志、石若駿、高橋佑成、宮坂遼太郎、津上研太、類家心平、梅津和時、石橋英子、大比良瑞希、コスガツヨシ、佐藤芳明 & KIDS。

ディスク紹介

齊藤聡

齊藤 聡(さいとうあきら) 著書に『新しい排出権』、『齋藤徹の芸術 コントラバスが描く運動体』、共著に『温室効果ガス削減と排出量取引』、『これでいいのか福島原発事故報道』、『阿部薫2020 僕の前に誰もいなかった』、『AA 五十年後のアルバート・アイラー』(細田成嗣編著)、『開かれた音楽のアンソロジー〜フリージャズ&フリーミュージック 1981~2000』、『高木元輝~フリージャズサックスのパイオニア』など。『JazzTokyo』、『ele-king』、『Voyage』、『New York City Jazz Records』、『Jazz Right Now』、『Taiwan Beats』、『オフショア』、『Jaz.in』、『ミュージック・マガジン』などに寄稿。ブログ http://blog.goo.ne.jp/sightsong

コメントを残す

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください