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InterviewsNo. 314

Interview #285 加藤総夫(神経科学者・ピアニスト)

Interviewed by Kenny Inaoka (JazzTokyo) via Google Doc, May 2024

加藤総夫(かとうふさお)
1958年、東京生まれ。東京大学卒。薬学博士・医学博士。専門は神経薬理学。
93年 7月よりフランス国立科学研究センター訪問研究員として3年間パリ在住。
現在、東京慈恵会医科大学・先端医学推進拠点・痛み脳科学センター
東京学芸大学附属高校在学中はモダンジャズ研究会に所属、東京大学ジャズ・ジャンク・ワークショップでピアノと作編曲を担当。
ジャズ関係の著書に「ジャズ・ストレート・アヘッド」(講談社 1993)「ジャズ最後の日」(洋泉社 1993)。

Part 1:

♪ 渡仏の直前、菊地雅章から自宅に電話があった

JazzTokyo:先日(5月11日)の四谷いーぐるでの村井康司さんとのレクチャーで、数十年ぶりで公開の場でジャズを語られた、ということですが、数十年前にはどこで何について語られたのですか?

加藤総夫:実は昨年12月29日に,神楽坂で瀬川さん3回忌の行事があり,そこで村井さんといろいろな画像をお見せしたり音源を聴いたりしながら瀬川さんが教えてくれたサウンドについて語りました.生演奏もしました.今回のレクチャーもそのalternative takeみたいなものです.ジャズ関係の記事に登場した最新のものは,エリントン生誕120年記念の行事が2018年12月に渋谷大和田ホールであり,この時のパンフレットのために,渋谷 毅さんと対談しました.これらをのぞくと,1993年から1996年まで,朝日新聞の日曜版で月1回連載していた「サンデー・コンサート」が音楽についての原稿を公に書いていた最後だと思います.まあ細かいのはちょっと書いたけど.

JT:この数十年間公開の場から姿を消していた理由は何ですか?

加藤:いや,特に消していたつもりはありません(笑).出るところではすごく出てました.もちろん自分の専門分野というか本職というか,そういう場ですが.でも,学会の懇親会でバンドで出て演奏したり,というようなことは結構やってました.国際学会でも弾きました.学会の組織委員でありながら演奏もするとか.プロを呼ぶより安上がり(笑).
でも執筆活動は,かなりの時間をとってしまうので,そう気楽にはできません.1993年に「ジャズ・ストレート・アヘッド」「ジャズ最後の日」を上梓して,直後からパリ郊外にあるフランス国立科学研究センターで外国人研究員として研究に従事しましたが,その朝日新聞の連載以外には連載はしていません.時間がありませんでしたし,自分の中の優先順位としても研究最優先の生活を30年送っていました.1995年にストラスブール大学の教授になり,その数年後帰国して東京慈恵会医科大学に自分の研究室を持ちました.
脳の研究は世界中の優秀な研究者がとんでもなく集中して進めている競争の激しい分野で,そして,何といってもわくわくする知的に奥の深い分野です.我々やいろいろな生き物の脳が行っているさまざまな情報処理の仕組みを,世界中の研究者が最新の方法を駆使して解き明かし,客観的に実証可能なエビデンスとともに公開して議論し,脳の実体に迫る,という自然科学のプロセスの一端に加わることが自分の人生の時間を費やすべき課題であると気づき,ずっと専念していました.大学を定年退職した今でもそれは変わりません.
多くの研究費を国や財団からいただきましたし,今もいただいています.成果を上げる責任が納税者に対してあります.研究費をもとに成果を上げて論文を発表し,たくさん来てくれた大学院生たちに医学博士号をとらせて,次世代の研究者を育てることが価値のある自分の仕事だと思い,専念しました.ですから,姿を消していたという意識はまったくありません.
この20年あまり,国内や世界中の研究所や大学に招かれてたくさんの講義や講演をしました.論文,というのは自然科学の世界では,匿名の専門家の査読者がたくさんのポイントを指摘し,それに対して新たな追加実験をしたりして確実な実証されたものだけが共有されるべき知として誰でもアクセスできるように公開される,という仕組みのためにあり,申し訳ありませんが,ジャズ雑誌に書くような文章とは手間も時間もお金も桁違いにかかります.それを世界中からアクセスできる仕組みもしっかりしており,何か新発見をして報告すれば,それをきちんと引用してそれを踏まえてさらに新しい事実を発見していく,という仕組みがちゃんとできています.50年前に出されたデータも必要があれば引用されますし,図書館やインターネットでいつでも見ることができます.30年前にぼくが書いたジャズの文章なんて,読みたくてももう読めないでしょ,特殊な図書館に行かない限り.そんなこともあって,ジャズについて何か書くということはほとんどなくなりました.
もちろん研究の学術論文はすべて英語で書きます.ストラスブール大学では,当時それが義務だったのでフランス語で講義しました.そうやって人類共有の知としてきちんと残していくことには価値がありますし,そうやって知は蓄積されて進歩していきます.我々の医学も医療もそうやって進んでいます.論文を出せば,同じような研究を進めている世界の人々に注目され,すぐにメールが来て,共同研究しよう,とか,ちょっと講演に来いとか,大学院生を送るからこの新しい技術を身に着けさせて戻してくれ,とか,そういう国際交流がどんどん進みます.人類の人海戦術で,確かな,引用可能な知を作っていく作業に加担するのは喜びでしたし,自分に合っていると思いました.楽しかった.天職と思いました.
そんなわけで,姿を消していたどころではなく,神経生理学の分野で世界中の学会や大学・研究所などに姿を現して学術交流を進めていました.2年前,「痛み」のテーマでNHK BSの「ヒューマニエンス」に出て織田裕二さんと対談したりもしたので,姿を消していたわけではありません.さすがNHKで,いろんな人から「見たよ」という連絡をいただきましたが,ジャズの世界の人からは反応ありませんでしたね.忘れ去られた,と確信しました(笑).この前のいーぐるでの会で,ヒューマニエンス見ましたよ,とおっしゃってくださった方が一人いましたが.一方,医学関係の講演会で「同姓同名のジャズの評論家がいますよね」と紹介されて,「そうですね(笑)」と答えたこともあります.あとでちゃんと告白しましたが.

JT:「姿を消した」というのは狭いジャズ界の視点でした。渋谷さんのコンサートの小冊子は単行本化の話もありましたね。あのようなコンテンツがアーカイヴされないのは残念です。

加藤:そうですね.あと3年間続けた朝日新聞の日曜版の連載「サンデーコンサート」も誰かいつでも見られるような形にしてくれないかな,と思っています.単行本にしましょう,とおっしゃって下さる出版社もあったんですが,研究が忙しくて放っておいた僕がいけないだけなのですが.

JT: 友人でNIHに籍を席を置きながら並行してジャズ活動を続けていた男がいましたが、ジャズを諦めて研究生活に専念するようになりました。

加藤:わかります.NIH(アメリカ国立衛生研究所)は,医学に関する最先端の研究や医療を推進するためにものすごい税金を投じて運営されています.社会的な責任,そのような活動に関わることができる責任と喜び,そして医学的に解決できるかもしれない問題で苦しむ人たちのことを考えると,一日24時間しかない普通の研究者に,ジャズに真剣に取り組む時間はほとんど残りません.ぼくも最近大学を定年退職するまで,ずっとそんな人生でした.これはどっちが重要だとか有益だとかいう問題ではなく,ただ時間が残らない,というだけの問題です.ジャズという音楽だって,中途半端な気持ちで演奏したり,書いたりすることを許すような音楽ではありません.

JT: 加藤さんは、1993年に2冊の著作を上梓されましたが、この2冊で加藤さんのジャズ観のほぼすべてを披瀝、ひとまずジャズにケリを付けてパリで研究生活に入られた、という感じでしょうか。

加藤:フランスに行く直前,菊地雅章さんから自宅に電話があって,日本でジャズについて書き続けないのは残念だがパリで活躍してこい,と励ましてくださいました.「ピアノの菊地さんという人から電話」と言われて出たらプーさんだったのでびっくりしました.ぼくがプーさんの演奏について書いた文章を気に入ってくださっていたようです.励みになりました.ありがたいことです.

JT:ところで、先日のレクチャーのテーマは、瀬川昌久さん生誕100年記念の「瀬川さんが教えてくれたジャズサウンド」でしたが、瀬川さんに最初に会われたのはいつどのようなきっかけでしたか?

加藤:最初は,立教大学ニュー・スウィンギン・ハード(NSH)のコンマス仲澤信明さんの紹介でした.彼は学生時代からビッグ・バンドが好きでアメリカを放浪して新しいサウンドを出しているビッグ・バンドを探して回ったという伝説の人で,大学卒業後は高校の英語の先生として生活していましたが赴任する高校でビッグ・バンドを作ってはすばらしい演奏を指導していました.根っからのビッグ・バンド愛好家で,学生ビッグバンドが突然ギル・エヴァンスのレパートリーを演奏し始めたのも彼の力でした.で,彼と出会ったのは,ぼくが所属していた東京大学ジャズ・ジャンク・ワークショップ(JJW)というできたばっかりのほとんど歴史も伝統もなかったビッグ・バンドが,立教大学と青山学院大学と上智大学の3大学のビッグ・バンドがすでに進めていた「JAR」というビッグ・バンドの集まりに加わってからです.この合流には,東京大学JJWの牧田幸三というその後放射線科医になったトランぺッターにして畏友の,垣根なく人と接する能力が重要でした.彼はいろんなところでジャズ関係者に命の恩人って言われてますよ.すばらしい医師です.その頃,ぼくはすでに,JJWとか,映画監督の手塚眞さんの8 mm映画の音楽を書いたりしていて,それを仲澤さんが気に入ってくれて,東大も加わって「JART」になった4大学混成ビッグ・バンドのための曲を書いたり,立教NSHのためにストラビンスキーの「春の祭典」のビッグ・バンド版とか松田聖子の「イチゴ畑でつかまえて」のビッグ・バンド版とか,いろんなことをやらせてもらってました.瀬川さんの家に仲澤君が連れて行ってくれたのもその頃のことです.その前に瀬川さんが審査員を務めていた山野のビッグ・バンドコンテスでお話ししたかもしれません.そういうのが関係あるかどうかわかりませんが,瀬川さんは自分の母校の後輩だということで目をかけてくださっていた気がします.出身校主義,っていうんじゃ全然なくて,後輩がその業界にほとんどいなかったから.

JT:瀬川さんとのお付き合いの内容について差し支えなければ。

加藤:何回かお宅で朝まで過ごしたこともあります.どんどんその「宝の洞窟」から新旧のレコードを出してきて聞かせてくださいましたし,貸してくださることも多かったです.加藤さん,こんなのがあるの知ってますか? このサウンド素晴らしいでしょう,どうやって出してるんでしょうね,など,疑問もどんどん投げかけてきて,真剣に対応しないとなりませんでした.お話も,データも厳密で,基本的な姿勢は学者だったと思います.その後,自分が大学教員となって若い研究者を育てる側に立つようになり,その姿勢はとても参考になりました.そのご姿勢を真似して若い人たちを育ててきた,という面がかなりあります.いろいろな面で教えてもらいました.でも,これはこうなんだ,とか考えを押し付けたり理屈を伝達するのではなく,これはすごいでしょ,という実例をどんどん聞かせる,というのが基本的指導法でした.それも今のぼくの研究指導法に影響を及ぼしています.
その後,瀬川さんが勤務していらっしゃった富士銀行のクリスマスパーティの演奏を東大JJWに依頼していただいたり,もっと私的なことについてもお世話になりました.実は僕は,今としては笑い話なのですが,バークリー音大の日本人だけを対象にした奨学金制度の第一期で作曲編曲部門の奨学生に選ばれました.その時送ったのは,Effulgenceという立教の仲澤さんのトロンボーンをフィーチャーしたオリジナルの美しい(笑)バラードで,ビッグ・バンド・スコアと立教の演奏が入ったカセット・テープを送りました.結局その時もう大学院進学が決まっていて,バークリーには行きませんでしたが.で,大学院を終えて,研究者を終生の生業とすることを決めたときにも瀬川さんはお葉書を下さって,研究者になるということは学会や講演など世界に出かけて活躍することになると思いますが,その時,必ずそれぞれの土地のジャズや音楽を聴いてきてください,と書いてくださいました.そのようにしてきました.もちろん昼は学会で発表したり議論したりしましたし,3年間フランスにいたときは,昼は研究に専念していましたが,夜,時間があるときには,ボストンに移る前のスティーヴ・レイシーとか,パトリチアーニと最後に共演したステファン・ グラッペリとか,Orchestre National de Jazzとか,アンソニー・ブラクストンとかを聴きに行きました.ONJのライブ・アルバム『Bouquet Final』にはぼくの拍手も入ってます.これも瀬川さんの教えです.もちろん生活のほとんどは研究中心でしたが.研究の神髄と喜びをパリで知りました.

JT:2冊の著書についてはPart 2で語っていただきますが、2冊の著書について共通して登場するのがデューク・エリントンです。エリントンへの心酔も瀬川さんの影響でしょうか?

加藤:いや,そうとも言えないと思います.ちょっとどの時点だったかわかりませんが,我々の世代の唯一のジャズ音源だった「アスペクト・イン・ジャズ」での油井さんのエリントンの紹介の回を聴いて,すごい! と思って大学の生協で2箱20枚組のRCAの全集を買いました.それで夢中になったと思います.あと,その頃,Sophisticated Ladiesという全曲エリントンを使った輸入ミュージカルが厚生年金会館であって,それをそのずっとあとにぼくの孫にばあばと呼ばれることになる方と見に行って感激したりとか,少しずつ引き込まれていきました.ミュージカルで使われていた曲のオリジナル演奏を集めてカセットに編集したりとか.瀬川さんとお会いした時には,かなりエリントンの音源を聴いていたと思います.もちろん,学生ビッグバンドにいたのでA Trainなんて飽きるほど演奏していましたよ.それでいろいろお話しできたのかもしれません.あと,瀬川さんのお宅にお邪魔するようになったのとほぼ同じ頃だったように記憶していますが,短期間ですが三木敏悟さんのところに通ってアレンジの個人レッスンを受けていたことがあります.その時,敏悟さんがバークリーでとっていたノートの写しを見せていただいて,エリントン・サウンドがいかにすごいか,きちんと分析してあったんですね.敏悟さんのメモもあったと思いますし,もともとの講義,きっとハーブ・ポメロイだったと思いますが,そこでも教えられていたんだと思います.ビリー・ストレイホーンのチェルシー・ブリッジと雨切符の分析なんかすごかった.

JT:瀬川さんとの付き合いを通してもっとも影響を受けたこと、あるいは学んだことは?
加藤:個人的な思いですけど,やはり,大学の教員,教授を何年も続けてきて,ある種の経験を摘まなければ身に着けられない価値や見方や考えを,若い人たちの考えや個性や主体性を尊重して,どうやって伝えていくか,という人間というか指導者としてのあり方が一番影響を受けました.教える,のではなく,一緒に味わう,ことによって価値観や見方を教えていくという姿勢が一番影響を受けたと思います.そういえば菊池雅章さんも,ギル・エヴァンスが,ここがいいんだ,これが素晴らしいんだ,と語るだけで,それでいろんなことを教えていたとインタビューでおっしゃってますね.あと,こういうことは直接伺ったわけではないのですが,その後のご著作などを拝見して,人間の主体性と自由を尊重するということがどんなに人間の営みの中で大事なことか,を学んたと思います.

♪「Jazz Legend 瀬川昌久さん  生誕100年コンサート」を企画する

JT:6/29のコンサート「Jazz Legend 瀬川昌久さん  生誕100年コンサート」にはどのような立場で関わっておられますか?
加藤:基本的には企画者の一人です.今回の企画はコンサートですので,瀬川さんに縁のあるプロ・アマのミュージシャンが,きっと瀬川さんだったら喜んで聴いてくださっただろう,という演奏をしてくださるはずです.一番かかわったのは,ホームページをつくったことですね.自分がレンタルしているサーバーで自作しました.職業柄こういうのは得意なのでぜひ見てください

https://commemorating-mr-segawa.fusanet.com/

JT:3組のビッグバンドが出演予定ですが、それぞれについて簡単に説明願えますか?

加藤:一つは,Mondaynight Jazz Orchestraで,その名の通り,毎週月曜の夜に練習している結成50年目の社会人ビッグバンドです.瀬川さんに支援していただいていました.次が,Segawa School Bigbandというこのコンサートのために結成されたビッグバンドで,さっき話に出てきたJochi/Aogaku/Rikkyo/Todai (JART)の出身者からなります.瀬川さんがお好きだった曲を演奏する予定です.今でも続いているこのJARTの毎年の定期演奏会は,瀬川さんがずっと司会を無償で務めてくれていたもので,本当に若者が自分の好きな音楽を演奏して守っていくことを歓迎してくださっていたと思います.最後に,Segawa Memorial Jazz Orchestraで,守屋 純子さんと池本 茂貴さんというプロのミュージシャンで,しかも瀬川さんに薫陶を受けた人たちがリードしています.これらの詳細も,さっきのホームページでご紹介しているのでぜひご覧になってください.

JT:加藤さんが編曲を担当される曲があると先日のレクチャーで発言されましたが、どの曲をどのバンド用に編曲されるのでしょうか?

加藤:いやもうぼくなんて音楽に関してはただの素人ですからよほどの理由がない限り譜面を提供したりしません.娘が高校生の時,高校のクラシックのオーケストラでチェロを弾いていて,そのオーケストラのために編曲を書いたのがまともに弾いて聴いていただいた最後の編曲です.響きの組み合わせの可能性がとてつもなく大きくこりゃ気持ちいいわ,と思いました.今,編曲に取り組んでいるのは,瀬川さんがお好きだったクロード・ソーンヒルの演奏で有名な<Snow Fall>です.いつ誰がやっても同じようなアレンジなので,Segawa School Bigbandにモダンにして演奏してもらおうかなあ,と思っていますが,まだ譜面ができてません.本番に間に合わなければボツの企画です.実はクロード・ソーンヒル版のスコアは販売していて,それを使えば同じ音が出そうなものですが,いきなりクラリネット5本の高音域とか,今のアマチュアには無理な譜面で,書き直さないと無理だと思い,それを使うのはやめました.同じように,これは本当にギルが編曲したと思うんですがマイルズ・マリガン版のBoplicityも購入できて,その譜面で演奏する予定です.

JT:アレンジャーとして影響を受けたのはどなたでしょう?

加藤:まあ結局僕はアレンジャーで飯を食う立場にはならなかったし,40年研究に励んできましたし,自分の才能の限界も知っていますし,自分の作品も作り続けているわけではないのでこんな質問,誰も興味ないとおもいますが(笑),瀬川さんの教えに倣って,敢えて,あれいいでしょう,これいいでしょう的に紹介するとすると,ヘンリー・マンシーニ,ミシェル・ルグラン,ガビリエル・ヤレド,アレクサンドル・デスプラ,あれ,映画音楽の作曲家ばっかりになっちゃいましたね.本当は映画音楽の作曲家になりたかったですね.学生時代,手塚 眞さんの8 mm映画に音楽つけさせてもらったとき魂が震えました.いや,こんなこと誰も聞きたくないですよね.すみません.そうそう,高校生の時,中野サンプラザの楽屋口で書いてもらったヘンリー・マンシーニのサインを持っています.もちろん彼が書いたオーケストレーションのバイブル,Sounds and Scoresは熟読しました.学生ビッグバンドやってた時に研究したっていう意味で一番影響を受けたのは秋吉敏子さんとボブ・ミンツァーのスコアでした.いや,うそですね.ああいう音を出せたらいいなあ,と思っていただけで,影響を受けた,って言ったら言い過ぎです.ところどころ構造を真似したというか.影響を受けて作ったものがほとんどありません.

JT:それでは、6/29のスペシャル・コンサートを楽しみにしております。

Part 2:

Jazz Tokyo:加藤さんの2冊の著書の「あとがき」を見ますと、『ジャズ最後の日』(洋泉社)が1993年5月、『ジャズ・ストレート・アヘッド』(講談社)が1ヶ月後の1993年6月の日付になっております。これは、やはり、渡欧と関係がありますか?

加藤総夫:
はい.1993年7月にパリ郊外のフランス国立科学研究センター研究生活を始めました.まあかっこつけるわけではありませんが,この2冊を集大成として残し,筆を折ったということになります.当時までに自分が考えて書いたことを図書館などで見られるようにしておきたかった,と思っていました.その後は,研究を究めるのが自分のライフ・ワークだと感じましたので.
そうそう,パリに住んでいた時,旧友のフランス文学者,野崎 歓さんから連絡があって知人のフランス文学者,中条省平さんが,その時在外研究員としてパリに住んでいて,フランス語で書かれたギル・エヴァンスの伝記を翻訳しているが,音楽用語と医学用語のフランス語をチェックしてほしい,という話になりました.すぐ中条さんにパリのパンテオンのそばの中華料理屋でお会いし,「ギル・エヴァンス-音楽的生涯」として発刊される本を見せていただいて,ついでに,瀬川さんの御紹介でギルの仕事場まで行った話を「エピソード」として書かせてもらいました.
ちゃんとした本に載った原稿は,その2冊の後はこれだけですね.もちろん,専門の医学・脳科学・生理学分野は除きますが.一般の読者向けでは,「脳天観光」という「脳天記」の文庫版をバンド仲間の久住昌之君と帰国後に出しましたけど.あとは,みなさんに忘れていただいて研究に専念できました(笑).

JT:この2冊はぜひどこかの出版社で復刊させ、すべてのジャズ・ファン(とくに学生)、ミュージシャン、関係者に味読してもらいたいですね。印刷が無理であれば電子書籍もありだと思いますが。

加藤:ぼくがこの2冊に書いたこととほぼ同じ内容のことを,引用元もなく,自分で考えたように書いているような記事をときどき見ました.まあそういう誰が言いだしたかわからないような知の蓄積も人類には重要だとは思いますし,ちゃんと読んでくれてた人がいるんだな,と思って気にはしていませんが,さっき説明したような,自然科学の論文出版システムではあり得ないことですね.そういう厳密さの欠如もあって,日本語でジャズについて書くようなことに興味を失いました.電子版でいつでもみんなが見られるようになれば,そういうことも減るかもしれないですね.

JT:電子書籍で復活させたい1冊に四谷のジャズ喫茶いーぐるのオーナー後藤雅洋さんの対談集『ジャズ解体新書』(JICC)があります。人選が素晴らしく、7人のサムライが本音で臨んでいます。加藤さんもその中のひとりですが、これは2冊の著書の前年1992年出版ですね。(続く)

稲岡邦彌

稲岡邦彌 Kenny Inaoka 兵庫県伊丹市生まれ。1967年早大政経卒。2004年創刊以来Jazz Tokyo編集長。音楽プロデューサーとして「Nadja 21」レーベル主宰。著書に『新版 ECMの真実』(カンパニー社)、編著に『増補改訂版 ECM catalog』(東京キララ社)『及川公生のサウンド・レシピ』(ユニコム)、共著に『ジャズCDの名盤』(文春新書)。2021年度「日本ジャズ音楽協会」会長賞受賞。

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