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InterviewsNo. 329

#291 デイヴィッド・ヘルツォーク・デシテス監督
『ミシェル・ルグラン 世界を変えた映画音楽家』

デイヴィッド・ヘルツォーク・デシテス David Hertzog Dessites

1973年 1月27日フランス・ カンヌ生まれ。映画監督、プロデューサー、カメラマン。
カンヌ市の職員として街の清掃サービスに従事した後、1999年,『スターウォーズ エピソード1/ファントム・メナス』に触発され渡米。ドキュメンタリー映画『The Power of the Force』を制作。これをきっかけに映画界に入り、自身の制作会社を設立。『ミッション・クレオパトラ』やデヴィッド・リンチの『マルホランド・ドライブ』、ディズニー映画『トレジャー・プラネット』などの映画の特典とメイキングを制作。その後、ドキュメンタリー監督の他、フランスの配給元向けに予告編やティーザーを制作している。
最新作:『ミシェル・ルグラン 世界を変えた映画音楽家』

interviewed by Kenny Inaoka 稲岡邦彌 via Zoom, September 02, 2025(通訳:Kaori Tomita)

©-MACT PRODUCTIONS-LE SOUS-MARIN PRODUCTIONS-INA-PANTHEON FILM-2024


♫ 母親の胎内で<風のささやき>を耳にした

稲岡 (Jazz Tokyo):映画の完成おめでとうございます。感動しました。
デシテス:ありがとう。

JT:いつ完成したのですか?
デシテス:2024年のクリスマス直前でした。資金がなかなか調達できず。

JT:映画祭への出品は?
デシテス:僕はカンヌ生まれでカンヌ育ち。いつもカンヌ国際映画祭が身近にあり、いつかは自分の作品をこの映画祭に出品することが夢でした。通常1年近くかかる編集を3人の編集者を使って4ヶ月で仕上げ、とりあえずは半完成品を持ち込み,なんとかエントリーできました。

JT:ミシェル・ルグランの映画との出会いのきっかけを教えてください。
デシテス:僕の両親は『華麗なる賭け』(1968) でデートし、ミシェルが書いた<風のささやき>がすっかり気に入っていつも聴いていたのですね。多分、僕は母の胎内でこの曲を耳にしていたのでしょう。長じて母に連れられて『愛のイエントル』(1983) を観たのですが衝撃を受け、彼の最高傑作を思うようになりました。この思いは今も変わっていません。

JT:ミシェル・ルグラン自身との出会いは?
デシテス:紆余曲折があり、自宅で直接話をする機会を得られたのが2017年6月のことでした。最初は乗り気ではないようにみえたのですが、結果的に5時間の面談を通じて熱意が通じたのか、撮影の許可が出たのです。手始めは数週間後の『ロシュフォールの恋人たち』の50周年記念コンサートの撮影でした。

JT:その後はスムーズに作業が進んだのでしょうか?
デシテス:決してそうではありません。彼は紛れもない天才です。考え方も行動も通常の人間の尺度で測ることはできません。しかし、ある時からスムーズに流れるようになったのです。僕が自己資金で撮影をしていることをミシェルが知ったことがきっかけでした。彼の助手から、ミシェルは自ら経済的リスクを負って芸術的な試みに挑戦する人間を評価する人物だと聞かされたのです。自費を投じて撮影を敢行するほど彼を敬愛している姿勢が通じたに違いないと言われました。

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©-MACT PRODUCTIONS-LE SOUS-MARIN PRODUCTIONS-INA-PANTHEON FILM-2024

♫ テンポ感のある編集が素晴らしい!

JT:映画を見せていただいて(Macを通じてですが)まず印象に残ったのは編集の巧みさですね。テンポが素晴らしい。リズム感に溢れている。監督はジャズがお好きですか?
デジテス:ジャズは大好きでよく聴きます。

JT:まるでジャズの演奏を聴いているようでした。ミシェルの長めの演奏シーンはジャズでいえば、ソロですね。
デジテス:ある友人からジャズのスコアがあったのだろう、と言われましたが、すべて僕の直感です。これもジャズ・ミュージシャンでもあったミシェルからインスパイアされたのですが。もちろん。ミシェルもジャズが大好きで、彼の人生そのものがアップ&ダウンの激しいジャズ的だったと言えると思います。

JT:映像と音楽の相乗作用も素晴らしかったですね。まるでミシェルの映画のようでした。選曲は監督ご自身で?
デジテス:80曲前後使っていますが、すべて僕が選曲しました。映像と音楽の関わり合いもミシェルの影響があるでしょうね。

JT:一度しか視聴できていないので間違っているかも知れませんが、必ずしも時系列に沿った流れではない部分もありますよね。それがむしろドラマチックな効果を生んでいました。
デジテス:よく気がつきました。これもミシェルの影響ですね。彼は変化の乏しいリニアな流れが嫌いでした。ドラマにはアップ&ダウンが必要であると。

JT:アーカイヴと新撮のアレンジも見事でした。許された監督だからこそカメラマンとし肉迫できるシーンも多かったですね。スコアに鉛筆を走らせるシーン、演奏者に容赦なく要求し続けるシーン、そのハイライトが亡くなる数ヶ月前の最後の演奏会でした。手に汗を握りながらまばたきもできずに見入っていました。
テシデス:自分としては彼の遺言を撮影している感覚でした。

JT:この映画は単なるドキュメンタリーを超えた音楽映画、監督のミシェルに対するオマージュと受け取りました。素晴らしい映画でした。感動しました。
テシデス:ありがとう。

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♫ ミシェル自身が「完璧だ!」のひとこと

あーだ Coda:
映画ファンでもない、ルグラン・マニアでもない筆者がインタヴューを担当することになった。時間的な余裕がなく本来のインタヴュアを確保できなかった。一度の視聴を経て一音楽ジャーナリストの立場で臨んだ。
アーカイヴの中では、次々に登場するヌーベル・バーグの主役たちに目を奪われる。個人的にはボリス・ヴィアンとシャンソン界の大立者、ジャック・カネッティ 。70年代中頃、当時のトリオレコードの大熊事業部長に連れられてオペラ座の階上にあるカネッティのオフィスを訪ねた。いただいたボリス・ヴィアンがトランペットを演奏するレコードは敬愛する清水俊彦さんに差し上げた。名だたるナディア・ブーランジェの動く姿を初めて観たのも感激。
長い長いエンドロールの果てにオーケストラが登場し振り終わったミシェルがこちらを向いて「完璧だ!」のひと言。これは映画の出来に監督がミシェルに期待した評価か、監督の自負か、あるいはフランス人特有のウィットか...。どうにも気になるエンディング。
友人の映画監督、日比遊一が制作し、モントリオール映画祭でワールド・ドキュメンタリーのグランプリを取った『健さん』と共に「感動」という言葉を素直に使える映画だった。

配給元公式サイト:
https://unpfilm.com/legrand/
当誌関連記事(ミシェル・ルグラン・インタヴュー)
https://jazztokyo.org/interviews/post-37085/
RIP Michel Legrand:
https://jazztokyo.org/category/rip/r-i-p-michel-legrand/
https://jazztokyo.org/issue-number/no-250/michel-legrand-and-miles-davis/

稲岡邦彌

稲岡邦彌 Kenny Inaoka 兵庫県伊丹市生まれ。1967年早大政経卒。2004年創刊以来Jazz Tokyo編集長。音楽プロデューサーとして「Nadja 21」レーベル主宰。著書に『新版 ECMの真実』(カンパニー社)、編著に『増補改訂版 ECM catalog』(東京キララ社)『及川公生のサウンド・レシピ』(ユニコム)、共著に『ジャズCDの名盤』(文春新書)。2021年度「日本ジャズ音楽協会」会長賞受賞。

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