# 140 末冨健夫 Suetomi Takeo (Producer/Label Owner)
http://www.chapchap-music.com
http://www.universal-music.co.jp/chapchap
Interviewed by Kenny Inaoka, July, 2015
Photos:From Suetomi’s personal collection
♪ 「ちゃぷちゃぷ」は韓国の幼児語
Jazz Tokyo:「ちゃぷちゃぷレコードの埋蔵音源発掘シリーズ」のリリースが始まりましたが、そもそも“ちゃぷちゃぷレコード”命名の由来はどこからですか?
末冨健夫:姜泰煥(カン・テイファンas)さんが「食事にしよう。」とか言われる時、韓国の幼児語で「ちゃぷちゃぷ」と言われるので、面白がっていました。そもそも「ちゃぷちゃぷレコード」は姜泰煥さんのCDを出す目的でスタートしたレーベルでしたから、レーベル名をこの「ちゃぷちゃぷ」から取りました。音楽はシリアスに、ノリは軽く行こうと言うわけです。
JT:末冨さんが船乗りだったと聞いていましたので、「ひょっこりひょうたん島」のテーマ、“波をちゃぷちゃぷかき分けて”から来ているものだとばかり思い込んでいました。韓国の幼児語だったのですね。
JT:埋蔵音源というのは何年頃の録音なのでしょうか?
末冨:今回のシリーズは、基本的には90年代、私が企画したライヴや直接関わったライヴの音源を中心にリリースしようということになりました。一部例外も含まれていますが。
JT:CD化すると何枚くらいになりますか?
末冨:現在20枚を予定しています。
JT:第1回として5タイトルが7月にリリースされましたが、これはすべて未発表録音ですか?
末冨: CD『姜泰煥』だけは、ちゃぷちゃぷレコードの第1弾『姜泰煥』(CPCD-001) の再発になります。その他は、全て未発表録音です。
JT:各タイトルがLPとCDでリリースされていますが、LPとCDでは内容が異なるのでしょうか?
末冨:『ハン・ベニンク&豊住芳三郎:DADA 打、打』と『高木元輝:不屈の民』はCD/LPとも同じ内容です。LP『姜泰煥』は、2枚組になっており、CDから<姜泰煥・ソロ?>をカットし、かわりに未発表録音を3曲追加収録しています。CD『エヴァン・パーカー&吉沢元治/Two Chaps』、CD『崔善培カルテット/ザ・サウンド・オブ・ネイチャー』は、それぞれLPよりも1曲多く収録されています。
JT:タイトルによってはLPとCDを買い揃えないと聴き逃す曲が出てきますね。
♪ 「ちゃぷちゃぷ」レコードは姜泰煥からスタートした
JT:ちゃぷちゃぷレコードを始めたきっかけが姜泰煥さんのCDをリリースすることにあった、ということですが、そうすると姜泰煥さんは末冨さんにとって特別な存在のようですが、最初の出会いとは?
末冨:1993年3月11日、広島市で庄子勝治さんが「トン・クラミ(姜泰煥、高田みどり、佐藤允彦)」のコンサートを主催されました。「翌日防府でやらないか。」と話をもちかけられ、トリオでは金銭的にも無理なので姜さんのソロで、となりました。広島の「トン・クラミ」のコンサートを聴いた翌日、姜泰煥さんと副島輝人さんの二人を車に乗せ防府に帰りました。その日の午後、カフェ・アモレスで姜さんのソロと、副島輝人さんの8mmフィルム+スライドの投影と姜さんのデュオといった形でライヴを行いました。このライヴのあまりの感動で、4ヶ月後の7月26日には二度目のソロ・ライヴを行ったほどでした。
JT:姜さんのCD/LPに限っては2カ所の録音から構成されているということですね?
末冨:1994年8月30日が岡山市のPEPPERLANDで、姜泰煥さん、ネッド・ローゼンバーグさんと大友良英さん。9月1日が防府市のcafé Amoresで姜泰煥さんとネッド・ローゼンバーグさんです。
JT:姜さんを含む録音は他にもあるのでしょうか?
末冨:今回のシリーズで予定しているのは、「トン・クラミ」「姜泰煥ソロ」「高田みどり&姜泰煥 デュオ」です。すべて、防府市での録音になります。
JT:崔善培(チェ・ソンベ)さんの音源は新宿ピットインでの演奏ですね。これは何か経緯がありますか?
末冨:1995年6月10日、12日、13日の三日間を使って、崔善培さんのCDを作るためのライヴを敢行しました。防府市・カフェ・アモレス。六本木・ロマニシェス・カフェ、新宿・PIT INNでした。三回とも共演メンバーが違います。
JT:崔善培さんは馴染みが薄いと思いますが、略歴など簡単に説明していただけますか?
末冨:1943年生まれで、1970年代から姜泰煥さん、金大煥(キム・デファン)さんと共に韓国でフリージャズ/フリー・ミュージックを開拓していったトランペット奏者です。ハーモニカも吹かれます。80年代は「姜泰煥トリオ」のメンバーとして。88年のトリオ解散後は、主に金大煥さんとの演奏が中心になります。また、単身来日し、多くの日本人ミュージシャンと共演を繰り返して来ました。逆に、韓国に自らミュージシャンを呼び寄せてコンサートを開催されています。普段は大学でアンサンブルの教鞭をとったり、クラブ等でオーソドックスなジャズを演奏されたり、放送用やポップス等の録音をこなしていました。ちゃぷちゃぷレコードが1998年に録音しリリースしたCD『自由』が初リーダー・アルバムになります。
JT:エヴァン・パーカーと吉沢元治さんのデュオはどういう状況下で行われたのでしょうか?
末冨:1996年4月、エヴァン・パーカーさんの日本ツアーが組まれました。ソロでもよかったのですが、他とは違う企画を立てようと思い、吉沢元治さんとのデュオを思いつきました。防府での1回限りの演奏のために、吉沢さんとマネージャーのめぐラさんには東京からお越し願いました。
JT:ハン・ベニンクと豊住さんのデュオは如何でしょう?
末冨:この二人のライヴを、住宅地の真ん中にあるカフェ・アモレスで行うことは不可能なので、どこかホールでも借りてやろうかと考えていました。ライヴの常連の佐々木真治さんから、自身が教鞭を取っている小郡町(現在山口市)の小郡南小学校にあるホールでやってみないかと提案がありました。同僚の枩岡健治さんと奮闘された結果、使用許可が下りました。小学生は無料にしたところ、入場無料の子供ばかりのライヴになってしまいました。でも、子供達には他では得られない体験を与えることが出来たと思っています。
JT:高木さんのテナーのソロは初めてのアルバム化ではないでしょうか?
末冨:おそらく、正式の発売では初めてのアルバムになると思いますが、ブートレグの形では何枚か出ているようです。
JT:高木さんは2002年に亡くなり伝説化された存在になっていますが、何か思い出を共有していますか?
末冨:崔善培さんが1996年10月、吉沢元治さん、高木元輝さん、豊住芳三郎さんを韓国に呼び寄せて、光州のキムチ祭りと22日のソウルのジャズ・クラブ「ヤヌス」でのライヴを企画されました。私達夫婦もソウルに飛んで、みんなと合流し、姜泰煥さん、金大煥さんも含めて色々な所に行きました。サムルノリの李光壽さん、今や国民的歌手になられた張思翼さん、打楽器奏者の朴在千さんらにも会うことが出来ました。高木さんも含めみんな楽しい時間を持ちました。高木さんは、普段からよく我が家に手紙や葉書で便りをよこして下さいました。「漬物を漬けています。」とか、「なになにの花が綺麗でした。」とか、「こういう録音があるのだけれどCD化できないかなあ。」とか。
♪ LPは作品を所有しているという感慨に浸れる
JT:シリーズの公開までにどれくらいの準備期間が必要でしたか?
末冨:去年の5月に依頼が来て取り掛かりましたから、リリースまで1年2ヶ月かかりました。
JT:一番苦労したのはどんな点でしょう?
末冨:当初は25枚分くらいの音源を用意していましたが、全部で30人以上のミュージシャンを含む関係者と連絡を取り合う事には苦労しました。まず25枚分くらいの音源を選び出し、選曲し、編集を施すといった作業を同時進行しました。朝5時から夜中まで、一日中かかりっきりの日もありました。正直、頭がパンクしてしまう日もありました。
JT:国内だけではなく、海外の演奏者もいるし、高木さんや、吉沢さん、金大煥さんのように亡くなったミュージシャンもいますからね。
JT:アナログLPは250枚限りの限定生産ですね。
末冨:正直言って、アナログLPもリリースするとは思ってもみませんでした。私自身、もう何十年もLPを購入したことはありませんでしたから。
JT:初めてアナログLPをリリースしてみてどんな感慨をお持ちですか?
末冨:LPは、「作品を所有している。」といった感慨に浸れます。聴く以前に、持っているだけで喜びを感じます。カヴァー・アート的には、このLPサイズが大きさの限界ではないでしょうか。10インチ盤にも魅力がありますが。CDだと、あくまでも音楽の入れ物といった感じですね。
JT:第2回以降のリリース予定はどうなっていますか?
末冨:順調に行けば、9月、11月と続く予定ですが...。
JT:どんな作品が予定されているのでしょうか?
末冨:「トン・クラミ」「姜泰煥 ソロ」「高田みどり&姜泰煥」「高田みどり:ソロ&デュオ with佐藤允彦」「金大煥:ライヴ・アット・防府市毛利邸内 ギャラリー・ショップ舞衣」「佐藤允彦&豊住芳三郎」「高橋悠治&豊住芳三郎」「ワダダ・レオ・スミス&豊住芳三郎」「高木元輝、金大煥、崔善培」「金大煥&崔善培」「崔善培:ライヴ・アット・ロマニシェスカフェ」「バール・フィリップス&吉沢元治」「ポール・ラザフォード&豊住芳三郎」「アレクサンダー・フォン・シュリッペンバッハ&高瀬アキ」「沖至&井野信義with崔善培」。それと、「沖至、高木元輝、崔善培、井野信義、小山彰太at 横浜ジャズ・プロムナード」も...。
♪ 高校の修学旅行の土産に東京でECM盤を2枚購入した
JT:どんな音楽環境の下で生まれ、育ちましたか?
末冨:特別に音楽的な環境で育ったわけではありません。小学生の頃はテレビで歌番組を見るくらいのものでした。
JT:いつ頃どんなきっかけで、どんな音楽を聴き始めたのですか?
末冨:中学生になった時ラジオを買ってもらい、かじりついていました。当時は、今よりも色んな音楽番組が放送されていました。小泉文夫の民族音楽、上浪渡の現代の音楽、油井正一のアスペクト・イン・ジャズ、青木誠のゴールデン・ライヴステージ、NHKのジャズの2時間番組、渡辺貞夫のマイ・ディア・ライフ、ラテン音楽の番組、色んなポップスの番組等々。
JT:ジャズを聴き始めたきっかけはいつどこでどんなジャズを?
末冨:FM放送です。本格的に聴くようになったのは高校に入ってからです。高一の時初めてジャズのLPを買いました。デューク・エリントンのLPでした。次に買ったのが「マイルス・デイヴィス/カインド・オブ・ブルー」、そして「ジョン・コルトレーン/至上の愛」でした。
JT:フリー/インプロ系がお好きなようですが?
末冨:高校生のとき、4枚目に買ったジャズのLPが「山下洋輔トリオ/クレイ」だったのですが、これには衝撃を受けました。高校の修学旅行で東京に行ったのですが、少ない小遣いで買ったのが、『デイヴ・ホランド&デレク・ベイリー』と『ザ・ミュージック・インプロヴィゼイション・カンパニー』というECM盤でした。同時に、現代音楽、とくに電子音楽。そして民族音楽にはまっていました。
♪ レコード・コレクションを売ってギャラに充てた
JT:貨物船の船長をやられていたとか?
末冨:父親が長年船主兼機関長をやっており、家族だけで貨物船を運行して来ました。私の若い頃は母親が船長でしたが、途中から私が船長になりました。私の船乗り生活は25年ほどです。
JT:「カフェ・アモレス」開店のきっかけとライヴ演奏を始めた経緯を話していただけますか。
末冨:防府市内の新興住宅地に土地を買ったら、そこは商業地だったので何かやらないととなって、私が下船して1989年に「カフェ・アモレス」をオープンしました。90年に、常連客の一人が「一周年記念に何か店内で演奏してはどうか。紹介する。」と言うので始ったのが地元の古楽器を演奏する人達によるバロック以前の音楽のライヴでした。その後地元のジャズを演奏する人達も演奏を始めました。当時、山口市でDISK BOXというレコード店の経営をしていて現在「ドラびでお」と称している一楽儀光さんが、即興に興味を示し、自らも演奏を始めたのもこの頃で、彼のライヴも行っていました。92年4月、旧知の広瀬淳二さんのソロ、同9月の「ブッチ・モリス&吉沢元治」を皮切りに毎月ライヴを行うようになりました。
JT:カフェ経営6年間の奮闘ぶりについて語っていただけますか?
末冨:普通のジャズでさえ集客が困難な土地ですから、即興音楽のライヴは毎回10人を集客するのも大変でした。これは今でも変わりません。ミュージシャンのギャラ等も今より高かった時代です。また、このような音楽を演奏できる場所は当時も限られており、東京以西は防府だけというような場合も多く、交通費だけで大きな負担となっていました。たとえば、ソウルから防府での演奏のためだけに、姜さん、金さん、崔さん達は来られていました。当然のように毎回大きな赤字を食ってしまいます。壁一面あったLPは、DISK BOXに売られてはギャラに消えて行きました。売るものも底をついた頃、船の仕事も忙しくなって、ほとんど家に帰れない状態になり、1999年以降はライヴは出来なくなりました。
JT:同時にちゃぷちゃぷレコードを始め、それは今も続いているわけですね。
末冨:ちゃぷちゃぷレコードは、姜泰煥さんのCDをリリースすることを目的に1994年に立ち上げました。『姜泰煥』(CPCD-001)が第1弾になります。続く第2弾は『ワダダ・レオ・スミス・アンド・ンダカルチャー:ゴールデン・ハーツ・リメンバランス』。1997年ハリウッドのSage and Soundというスタジオで録音されました。ここは秋吉敏子の名作『孤軍』の録音されたところでもあります。レオさんの他は、日系3世の故グレン・ホリウチ(p,三味線)、デイヴィッド・フィリプソン(バンスリ)、ウィリアム・ローパー(tuba)、故サンシップ・テウス(ds)、そして当時レオさんの夫人だった牧野はるみ(朗読)というユニークな編成のバンドの作品です。クリエイティヴ・ワールド・ミュージックと呼べそうな内容です。第3弾は、吉沢元治さんの94年のバール・フィリップス(b)と、93年の金大煥(perc)とのデュオをカップリングした2曲からなります。亡くなる直前にリリース出来ました。第4弾は、吉沢さんのボーヤをしたり、スティーヴ・レイシーの生徒でもあったアルト・サックス奏者の浅見光人による無伴奏ソロ作品。横浜市のリリス・ホール、イギリス館ホール、フィリア・ホール、大倉山記念館ホールを使い分けての録音を敢行し、フリー・ミュージックを通過した後の新たな表現が輝いている作品です。第5弾は、元姜泰煥トリオのトランペット奏者としても知られる崔善培さんの無伴奏トランペット・ソロ。山口市のC・S赤れんがを借りて収録しました。近くのサビエル教会の鐘の音が15分おきに鳴る状況で、その合間をぬっての録音でした。全19曲から12曲を選曲。私と崔さんとでアイディアを出し合いながらの一発勝負の収録でした。YouTubeではこの全曲を見ることが出来ます。第6弾は、『ミシャ・メンゲルベルク&豊住芳三郎/逍遥遊』。94年、カフェ・アモレスでのライヴ。収録後CD化の許可が出て、曲名まで決まりながらリリースまで19年もかかってしまいました。豊住さんには、「これは僕の勲章!」と言われましたが。 合計6枚をリリースするのに20年を要しました。これがインディーズの現実です。CPCD-007は、どんなアルバムになるのやら?
♪ 猫を中心に犬、亀を加えて18匹と同居している
JT:放映中のNHK大河ドラマは松下村塾がひとつのキーになっていますが、山口県(長州)人の気質はどうですか。
末冨:いやになるほど保守的です。選挙結果を見れば分かります。明治維新って本当にこの地で起こったのか?と不思議な気持ちになるほどです。みんな権力、権威にべったりとすがり付いて変わる事を望まない人ばかりです。 JT:幕末の志士の活躍ぶりからは想像がつきにくいですね。
JT:防府出身の(種田)山頭火(1882~1940)はどうですか?
末冨:山頭火の人気が一番低いのが地元防府ではないかと言われています。「異端」は排除するのが“保守”です。生前の山頭火を知る人達が「ほいと」(薄汚い乞食と言ったところか?)と呼んで毛嫌いしていたという話を聞いた事がありました。げんなりする話です。「異端」こそエネルギーが満ちているというのに...。吉沢元治さんは山頭火のファンだったようで、ある日ホテルで山頭火が防府出身と知って、「山頭火の地元だったんだ!山頭火を使って町起こししたらいいのになあ。」と言われた事がありました。「それがですね...。」と話が続いたわけでした。あの頃と状況に変わりはありません。
JT:山頭火こそ「言葉」のインプロヴァイザーで、そのスピリットが脈々と受け継がれているのかと思いましたが...。
JT:ところで、末冨さんのFacebookには猫がたびたび登場するのですが、相当たくさん飼われているようですね。
末冨:元々末冨家にはずっと犬が何匹もいました。カミさんと結婚した時も、「タコ」という犬と一緒でした。カミさんは猫ばばあだったので、「猫も飼いたい。」と言い出しました。ちょうどその時「子猫もらって下さい。」の広告が出ていて、早速二人でもらいに行ったのでした。それが、その後カミさんの落款にもなる「楽居(らっきょ)」です。すぐに知人宅から「ちくわ」が来て、それからはあっちこっちから拾って来たり、「飼ってくれ。」と渡されたり、子猫の方から「家に入れてくれ。」と毎日勝手口の前に来たり(本当です。)等々...。で、一番多い時は犬猫全部で24匹だった時も! 我が家の猫増殖パターンで一番多いのは、「一気に6匹増える!」です。カミさんが船の綱取りのために港に来たら、段ボール等に生まれたばかりのまだイモムシのような子猫が入れられて捨てられている事が2度ありました。すぐ拾って帰り、そのまんま我が家に...のパターンです。あと30分遅かったらカラスか鳶かカモメのみなさんの餌になっていたことでしょう。公園で、母猫&4匹(その時は)の子猫家族丸ごと拾うなんてこともありました。全員病院に連れて行き、最終的には避妊、去勢して完全室内飼いです。これだけ多いと猫同士でも相性があり、ひどい時は殺し合いの喧嘩になります。ですから、現在猫エイズの「玉一」も含めて4箇所に分かれて暮らしています。一階組は昼間は双方行き来自由にはなっています。忘れていました。「やっほ」というミニチュアダックスもいました。こいつは、船に乗って私の狭い船室に24時間いました。で、現在は亀2匹も増えて合計18匹。
JT:最後に夢を語って下さい。
末冨:この歳と身体になると、「猫達よりは長生きして、全員看取ってやらないと。」とかが夢になります。これ、冗談ではなく...。音楽では、ちゃぷちゃぷレコードを出来るだけ長く維持し、たくさんの世に眠る文化遺産としての音源を一枚でも多くリリースし、できるだけ多くの人の耳に届けたい。そして、後世に残したい。また、それとは逆に最新の音楽(+α)を同時にリリースして人々に届けたい。この場合、もう2ch再生のCDとかではないかもしれません。記録再生のフォーマットも変わって行くでしょう。ジャンルという垣根も私の中ではとっくに取っ払われていますから、今後どんな音楽(+α)に関わって行くようになるのか私自身も分かってはいません。アーカイヴと最新の音楽・アートを届ける。この両輪で行きたいと考えています。
* 関連リンク
横井一江の Reflection of Music # 29
姜泰煥@横濱ジャズプロムナード2002年
http://www.jazztokyo.com/column/reflection/v29_index.html
LPレヴュー Five by Five #1229
『姜泰煥/Solo Duo Trio』 by 近藤秀秋
http://www.jazztokyo.com/five/five1229.html
*初出:Jazz Tokyo 2015年7月26日