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InterviewsNo. 256

Interview #187 女優・歌手「岡まゆみ」

Interviewed by Kenny Inaoka 稲岡邦彌 via e-mails, July 2019
Photos by Mayumi Nashida 梨子田まゆみ

岡まゆみ Mayumi Oka
1974年  女子美術大学付属高校卒業 / 劇団四季研究所 入団
1975年  女子美術短期大学中退 / 劇団四季 退団
TBSポーラテレビ小説「絹の家」ヒロインでドラマ・デビュー
以降、「赤い絆」「赤い嵐」などの赤いシリーズや時代劇にも多数出演。
「まんがはじめて物語」のモグタンのお姉さんを6年務める。
1983年  すべてのレギュラー番組を整理して、本名の五十嵐まゆみで劇団四季に再入団。「アプローズ」「コーラスライン」「エビータ」などのミュージカルや「オンディーヌ」「この命は誰のもの」などのストレート・プレイにも出演。
1989年  劇団四季退団後は舞台・映画・テレビなどジャンルを問わず活動を続けている。
2016年  アニバーサリーの歳に初のCD『愛& I』をリリース。3人の女性劇作家に詩を書いてもらい
オリ ジナル5曲のミニアルバムをリリース。
その後、JAZZにはまり、年に2回の<JZ Brat>でのLIVEや、浜松、名古屋、大阪のツアーなど行っている。
2019年1月  New Yorkにて米国のミュージシャンと共にレコーディング。『岡まゆみ sings Jazz~はじめてのJAZZ』を令和元年初日の5月1日にリリース。


『Mayumi Oka sings Jazz~はじめての JAZZ』
1. What I Did For Love (David Guetta/Edward Kleban)
2.朝が来るから (作詞 : 桑原裕子/ 作曲 : 大場映岳)
3.Cry Me A River (Arthur Hamilton)
4.Old Devil Moon (E.Y.Harburg/Burton Lane)
5.赤い絆(作詞‎ : 松本隆 / 作曲‎ : 平尾昌晃 )
6.ワインレッドの心(作詞 : 井上陽水 / 作曲  玉置浩二)
7.あの日にかえりたい(荒井由美)
8.夜桜お七(作詞 : 林あまり / 作曲 : 三木たかし)
9.Left Alone (Billie Holiday / Mal Waldron)
10.道しるべ(作詞 : 岡まゆみ / 作曲 : 秋山桃花)
MayumiOka MOCD-6002   ¥3,241+税

Vocal :岡まゆみ
Piano:Peter Martin
Bass:Ben Williams
Drums : Mark Whitfield Jr.、
Sax : John Elis

録音:Sear Sound NY, 2019年1月
プロデューサー & 録音エンジニア:塩田哲嗣
マスタリング・エンジニア:Jett Galindo from The Bakery Studio

♫ 人生の中で演劇以外でこんなに夢中になれるものがあったのかと、

JazzTokyo:CDのタイトルで、「岡まゆみがJazzを歌います。だけど、Jazzは初めてだからね」と、潔く宣言していますが、ジャズのCDを作ろうと決心したきっかけは何だったのですか?

岡まゆみ:おっしゃる通り!潔いのが私のモットーです。ちょっと言い訳も入ってますが…笑
ジャズ・ベーシストの塩田晢嗣氏と出逢って、JAZZのミュージシャンの方々とLIVEをやるようになって、どんどんと引き込まれていきました。人生の中で演劇以外でこんなに夢中になれるものがあったのかと、自分でもビックリでした。今のこの新鮮な気持ちを記録しておきたい!始めたばかりだけどね…。立ち上がりが遅かったので、思い立った時にやっておかないと…という気持ちが正直なところです。

JT:プロデューサーとエンジニアに塩田さんの名前がクレジットされていますが、塩田さんはどの段階から関わったのですか?

岡:JAZZに関しては、塩田氏が火付け役です。

JT:これまでにCDの制作は?

岡:自分のアニバーサリーの年に、それこそはじめてのCDを作りました。オリジナル5曲のミニアルバムです。

JT:ジャズ・スタンダードからJ-pop、オリジナルと幅広いレパートリーに及んでいますが、選曲はご自身で?

岡:選曲するほど、曲数をまだ歌い込んでいないので、今まで歌ったことのある曲からという事で、塩田氏と相談して決めました。

JT:NYで現場のジャズ・カルテットを使って録音、というのはどの段階で決まりましたか?

岡:昨年の夏前でしたかしら…「そろそろ記録しておこうかなぁ…」と塩田氏にポロリと話しましたら、返事が「じゃぁ、New Yorkでレコーディングしよう!」と即返事がきました。私としては「ええええっ!!!!」でしたが…。

メンバーや構成はすべて、塩田氏にお任せしてます。

JT:ジャズを録音できるスタジオがなくなっているマンハッタンでSear Soundは貴重な老舗ですがスタジオの印象は?

岡:レコーディングスタジオには、感動しました。ぬくもりのあって、人工的な感じはまったく無く、スタジオに守られてるような温かさを感じました。否定せずに見守る…心が震えました。

JT:スタジオ・ミュージシャンではなく現場のミュージシャンを使われたようですが選考はどのようにして?

岡:すべて塩田氏の人選です。

JT:アレンジはどのようにして?

岡:塩田氏のスタジオで、塩田氏が信頼しているピアニストの方に手伝っていただいて、一緒に歌いながらアレンジしていただきました。

JT:このアルバムの魅力は岡さんのヴォーカルと同時にいかにもNYらしい生きのいいバックの演奏だと思いますが初めて彼らの演奏を聴いた時はどう思いましたか?

岡:まるで、「LIVEを聴きに来たんだっけ?」と、勘違いしそうでした。みんな楽しそうにバンバン演奏する姿に見惚れ、聴き惚れていました。「私の歌より演奏を聴いて!」と言ってCDをお渡しすることあります…笑

JT:<夜桜お七>などまるでインスト曲のようなガチな演奏ですが、違和感は感じませんたでしたか?

岡:日本の演歌を米国のJAZZミュージシャンが演奏したら、どうなるのかとっても楽しみでした。ほとんど塩田氏のレクチャーも無く、「桜がぶわっと舞い散る感じで!」と言っただけで彼らは「おぅ!」と演奏してくれました。音楽に国境は無い。と感じた瞬間でもありました。

JT:日本の曲は彼らには曲ごとに歌詞の内容を説明されたのですね?

岡:拙い英語で訳した歌詞を持って行ったのですが、いらなかったです。塩田氏が軽ーく説明したら「OK!」と楽しそうに演奏しちゃうのですよ。本当に凄い!

JT:いちばん歌い込んでるなと思われたのは<朝が来るから>でしたが、バックがアップテンポの4ビートでぐんぐん迫って来る。この曲はオリジナルのようですが由来を聞かせてください。

岡:アップテンポの曲はとても苦手なので練習しました…笑。オリジナルですのにね…汗。この曲は私の最初のCDの中の1曲です。「ひとよ」という芝居でご一緒した劇作家・演出家で女優さんの、桑原裕子さんに詩を書いていただきました。

JT:クローザーの<道しるべ>もオリジナルですか? “振り返ることはしたくはない。戻ることもしたくはない。私の道に道しるべはない” と岡さんの生き方を反映したような歌詞ですが、この曲の由来は?

岡:これも最初のCDの時に曲数が少ないので、自分で作詞したら?ということで、私が書いた詩です。ですから自分の事です…お恥ずかしい…。

JT:この内容をライヴで聴かせたいというお気持はありますか?

岡:勿論です。11月16日に渋谷・東急ホテルの2階の<JZ Brat>で、リリース後初のLIVE~Orion<織音>~を予定しています。米国からミュージシャンの方々をお呼びしたいところですが…大丈夫です!日本の素晴らしい素晴らしいミュージシャンの方々がしっかりと、私を支えて下さいます。ぜひお出かけいただけたらと思います。

「JAZZは人生を語る歌」なので、人として100%命がけ!

JT:音楽やエンタテインメントに関わりのある家系でしたか?

岡:家系的には、全く、プロフェショナルの者はひとりも居りません…。

JT:金沢生まれの東京育ちとのことですが、家庭の事情で転居された?

岡:東京生まれ。奈良、三重、東京、神奈川などの育ちです。父の仕事の関係で転勤族でした。金沢は本籍地になります。

JT:女子美で絵画を専攻しながら劇団四季の俳優研究所にも通われていた。結局、エンタテインメントの道へ進まれるのですが、決定的要因は何でしょう?

岡:舞台美術の勉強のために選んだ美術学校でしたが、当時、劇団が夜間生を募集したため両立する約束で四季に入団しました。蓋を開けると、合格者は私一人。夜間から昼間に移行させられて、そこで役者の道に進むこととなりました。

JT:退団された四季へ再入団しますが、ミュージカルをやりたかったからですか?

岡:滅相もない…笑 私は劇団再入団してから歌とダンスと取り組みました。でも、何故か劇団の初舞台はミュージカルでした。相当のスパルタですね…笑

元々は、劇団四季は<ジャン・ジロドゥ>や<ジャン・アヌイ>などのフランス詩劇が主流の劇団でした。私もこれらの作品が演じたくて入団しました。

JT:CDのオープナーはミュージカル「コーラス・ライン」の挿入歌でしたね?

岡:「コーラスライン」のテーマ曲で邦題は「愛した日々に悔いはない」。この曲を四季時代にツアーも含め3年間ぐらい歌っていました。ご存知のようにハードなダンスナンバーの多いミュージカルで本当に本当に苦労しました。

この歌は私の大切な思い入れたっぷりのヒストリー・ソングの一つです。

JT:音楽に興味を持ったのはいつ頃、どんな音楽だったのでしょう?

岡:小さいころピアノを習ってたことはあったのですが、転勤族だったのでしょっちゅう先生が変わったりして真剣にはやってなかったですね。

劇団に再入団してミュージカルに出演してから、歌うという事を始めたので、とても遅い出発でした。27歳だったかしら?それまではカラオケも自らは絶対に行かなかったんです。劇団では、音大出身の人達も多く、コンプレックスの塊でした。退団してから、7年間はミュージカルに出演しませんでした。頑固者でしょ…笑

でも、ひと回りのアニバーサリーの歳の時、「今まで避けてきたことをやっちゃおう!」と一大決心をしまして、ミニアルバム『愛&I』を出しました。何か物に残したかったのです。

その後、知人の紹介で知り合った、塩田哲嗣氏に「JAZZ歌ったら?」との誘いで始め、以後、すっかりとJAZZの魅力にはまりました。

JT:ジャズはどうですか?

岡:楽しいです!ものすごく好きです。同じ曲でも、演奏者で全然変わるし、同じ演奏者でもその時その時で全然変わる。このライブ感がたまらく素敵です。芝居も相手のセリフを受けて答えていくので、自分で決めるものではないでしょ。自分のLIVEでセンターに立って、その場の音をからだ全体に浴びると、もうそれだけで幸せな気分になっちゃうんです。私がベスト・ポジションで音聴いてる!って…。歌わないで、そのままずーっと音を聴いていたいなぁ…って!まだまだお客さんでいる方が好きかも…笑

JT:とくに好きなジャズ・アーティストやヴォーカリストはいますか?

岡:シャーリー・ホーン。彼女の『Here’s To Life』を聴いたときに痺れました。

JT:ジャズの前にはどんな音楽活動をされていたのですか?

岡:ミニアルバムを2016年にリリースしましたが、こちらはJ-popです。この時にはじめて作詞も2曲ほどしました。その一つが今回の「はじめてのJAZZ」の中に入っている<道しるべ>です。JAZZアレンジで生まれ変わりました。2回ほどLIVEをやった程度です。

JT:映画やTV、舞台で多面的な活動をされていますが、歌の比重はどれくらいでしょうか?

岡:そうですねぇ…やはり本業は役者ですのでこちらは100%命がけ!でも今歌っている原動力は、塩田氏の言葉で「JAZZは人生を語る歌」なので、人として100%命がけ!何をやっても、いつもいつも100%命がけ!です。

JT:今後もジャズを続けて行く予定ですか?

岡:もちろんです!今はまだ、奥の深ーいJAZZの世界をほんのちょこっと覗いただけ、これからです!

JT:NYで現地のミュージシャンとの録音を経験していちばんの収穫は何だったでしょう?

岡:JAZZの本場に乗り込んで、本場のミュージシャンたちが、日本から来た何者かも知らない者のために、素晴らしい演奏をする。垣根のなさ、否定しないおおらかさに感動しました。勿論、そういう素晴らしい人たちを塩田さんがプロデュースしてくれたのだと思いますが。

レコーディング・スタジオにも感動しました。私の知っているいわゆる人工的な”スタジオ”的ではなく、スタジオに守られているような温かさを感じました。

New Yorkでレコーディングなど、夢の夢……今でもまさかまさかの出来事ですが、小さな勇気と行動力が夢を現実にしていくのだと、改めて感じました。

この企画を、大きく支えて下さった塩田氏にも心から感謝しています。

JT:最後に夢を聞かせてください。

岡:夢…そうですねぇ…「80歳でも小さなJAZZクラブで歌ってる」なんてどうでしょう…。。。

稲岡邦彌

稲岡邦彌 Kenny Inaoka 兵庫県伊丹市生まれ。1967年早大政経卒。2004年創刊以来Jazz Tokyo編集長。音楽プロデューサーとして「Nadja 21」レーベル主宰。著書に『新版 ECMの真実』(カンパニー社)、編著に『増補改訂版 ECM catalog』(東京キララ社)『及川公生のサウンド・レシピ』(ユニコム)、共著に『ジャズCDの名盤』(文春新書)。2021年度「日本ジャズ音楽協会」会長賞受賞。

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