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Jazz and Far Beyond

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InterviewsNo. 259

Interview #196 ヴォーカリスト Kishiko

Kishiko
ジャズ・ヴォーカリスト/ゴスペル・シンガーソングライラー/ピアニスト/オルガニスト
17歳の時、アメリカ・インディアナ州のピアノコンクールでファーストランク獲得。1975年、ヤマハポプコン関東甲信越大会「最優秀歌唱賞」。1999年、日本ゴスペルベストアーティスト賞「銅賞」受賞。デビュー・アルバム『Amazing Grace』(1988) 、コラボ・アルバム『 久米小百合|本田路津子|Kishiko/seven carats+1』(2017)、最新作『Love & Ballads』(2019) 、他リリース。

『Kishiko / Love & Ballads』
01. Dream A Little Dream Of Me(私を夢見て)
02. Day By Day(デイ・バイ・デイ)
03. When I Fall In Love(恋に落ちた時)
04. What A Friend We Have In Jesus(いつくしみ深き)
05. Just The Way You Are(素顔のままで)
06. The Masquerade Is Over(ザ・マスカレード・イズ・オーバー)
07.  Summertime(サマータイム)
08. But Beautiful(バット・ビューティフル)
09. All Of Me(オール・オブ・ミー)
10. Alfie(アルフィー)
11. What A Difference A Day Made(縁は異なもの)
12. Jesus Loves Me(主われを愛す)
13. Stardust(スターダスト)

Kishiko (vocal)
土井一郎ピアノトリオ
土井一郎 (piano, Fender-Rhodes, guiro)
山村隆一 (bass, guiro)
マイク・レズニコフ (drums )

2019年11月25日発売

♪ ピアノの師でもある土井一郎氏が録音まもなく他界した...

[Part 1]
Jazz Tokyo : Kishikoさんの CDや歌は 1988年のデビュー・アルバム『Amazing Grace』以来、機会があるたびに聴かせていただいておりましたが、ほとんどゴスペルやオリジナルの賛美歌が中心でした。今度の新作は初めてジャズ中心のレパートリーで驚いたのですが...。

Kishiko:ジャズのスタンダードナンバーは元々大好きで、ライブなどでも必ず何曲かは歌います。

Jazz Tokyo:2曲だけ、賛美歌の〈What A Friend We Have In Jesus(いつくしみ深き)〉と〈Jesus Loves Me(主われを愛す)〉が入っていますが、前者はミディアム・テンポのスイング、後者はジャズ・バラードになっていて違和感なく収まっています。

Kishiko:賛美歌はジャズシンガーが、またロックシンガー、C&Wシンガーが自分のアルバムに挿入している事が多くありますが、どれもそれぞれの領域の雰囲気にアレンジしているので違和感はないものです。私の今回のこの2曲に関しても歌い方を変える事もなく、他のスタンダード曲と区別する事もありませんでした。

Jazz Tokyo:テナー・レジェンドのソニー・ロリンズの生誕80年記念コンサートに前衛のオーネット・コールマンがゲスト参加したのですが、どうなることかと固唾を飲んでいたらオーネットが〈いつくしみ深き〉を吹き出してバンドと和すことができたんですね。その時、そうかアメリカには賛美歌という共有財産があったのだと納得した思い出があります。
選曲はどのような視点で?

Kishiko:ピアノの土井一郎氏と何度かライブをやりましたが、その中から出来るだけ有名な曲、親しみのある曲を選びました。私は教会音楽出身ですので、2曲の賛美歌についてはどうしても歌いたいという思いが始めからあり、それがこのようなジャズチューンとして出来上がったのはとても嬉しい事です。

Jazz Tokyo:バックはスタンダードなピアノ・トリオですが、人選はどのようにして?

Kishiko:土井一郎氏は私のピアノの師匠なのですが、レコーディングに際しても土井氏が声かけをされました。今まで一緒にやってきて呼吸のピッタリ合う仲間とのプレイを望まれていました。

Jazz Tokyo:編曲はどなたが?

Kishiko:土井一郎氏にお願いしました。

Jazz Tokyo:土井さんはこの録音まもなく亡くなられたそうで、結果としてこのアルバムが遺作になりましたね。

Kishiko:CD制作が決まった時点ですでに末期がんに侵されていらして、後半に行くに従ってかなり危険な状況となられました。録音の途中で痛み止めのモルヒネを飲まれたり、車椅子で登場された事もあります。それでもピアノに向かわれている時は全く苦しみも痛みも忘れたかのように集中されており、さすがだと思いました。その分、終わる度に極度の疲労が襲っていたようですが、とにかく最後まで付き合って頂きました。

Jazz Tokyo:ジャズ・ヴォーカルの場合、ドラマーがポイントのひとつになると思いますがマイク・レズニコフがベテランらしい良い働きをしていますね。

Kishiko:彼のドラムは本当にうるさく迫って来ないで、主張せずに優しくヴォーカルをフワっと浮かせてくれるドラムでした。ご本人もとても優しい笑顔の方ですが、それがそのまま音になっているのだと思います。

Jazz Tokyo:録音はスムーズに進みましたか?

Kishiko:土井氏の体調の事があり、何度も録り直しは出来ないほとんど一発録りの中、みんなが緊張感を持ったまま、しかし和やかな雰囲気で進みました。

Jazz Tokyo:喉の手術をされたと聞き心配だったのですが、ハスキーがかったジャジーな声質はその影響でしょうか?

Kishiko:甲状腺癌の手術をしましたが、その影響で声帯辺りの神経も傷つき声が全く出ない時期が続きました。そのため再度声帯の形成手術をしましたが、その手術の後半は時々声を出しながらやるのです。これにより前の声に近くなるのかと思われます。
ハスキーな声は昔から、そして手術の後もさほど以前の声とは変わっていないと思います。

Jazz Tokyo:声帯手術の成功例はヴォーカリストにとって光明ですね。
全曲英詞 で、英語の発音を気にすることなく聴き通せたのですが、英語は現地で習得されたのですか?

Kishiko:高校の時にアメリカのハイスクールに1年おりました。
ただ、中学の時にビートルズを手始めに洋楽を聴くようになり、歌詞カードを見つつ共に歌っていた、という事の影響も大いにあると思います。

Jazz Tokyo:このアルバムの成功で、またジャズ・アルバムを期待できるのでしょうか?

Kishiko:勿論私にはあります。むしろ、そんなご要望が出る事を期待しております。土井一郎氏から影響を受けた歌い過ぎないジャズ、弾き過ぎないピアノのカッコ良さをもっともっと聴いて頂きたいと思います。

Jazz Tokyo:CD発売記念ライヴの予定はありますか?

Kishiko:年が明けて1~2月に予定しております。同じメンバーで、ただピアノの土井一郎氏はおられませんが。

♪ デビュー・アルバムはポール・ジャクソンがプロデュースなど全面協力
[Part 2] Jazz Tokyo:1988年にリリースされたデビュー・アルバム『Amazing Grace』は、わが国では珍しいゴスペル・フュージョンでしたが、このアルバムの制作の意図と経緯は?

Kishiko:教会を飛び出して賛美歌を歌ってみたい、ゴスペルを英語でなくて日本人に解る言葉で歌ってみたい、それが大きな意図でした。(ゴスペルという言葉はその当時の日本では一般的に知られていませんでしたが、ゴスペルも賛美歌も神様に向けて歌う曲という広義の意味では同じです)。
旧知のポール・ジャクソンとそんな話をしていたら、自分の祖母も牧師で、そういうゴスペル・アルバムを制作するのならぜひ自分もやりたい、と話はとんとん拍子に進みました。

Jazz Tokyo:プロデューサーを務めたポール・ジャクソンはハービー・ハンコックの『ヘッド・ハンターズ』のメンバーとして知られていましたが、当時は日本人の奥さんと日本に住んでいましたね。

Kishiko:そうですね、千葉の市川に住んでいて、レコーディング・スタジオも市川にありました。

Jazz Tokyo:渋谷でジャズ喫茶「Mary Jane」を経営していた友人が『ヘッドハンターズ』を流していたら大きな男が ”It’s me! It’s me!” と大声で叫びながら店に駆け込んできた。なんとポール・ジャクソン本人で驚いた、と聞かされました。
夫妻で進めていた”Jazz for Kids”という児童にジャズをレクチャーするプロジェクトを見学に出かけたことがあります。

Kishiko:児童や先生方は余りご存知ないジャズの面々だったかもしれませんが、思えば、ポール・ジャクソンを始め凄いメンバーで出向いていましたね。いい企画だと思います。子供達はノって踊ったりしていましたし、きっと記憶に残る企画となったのではないでしょうか。

Jazz Tokyo:このアルバムには忘れられない思い出があり、ガンを闘病中の母親に頼まれて3本くらいカセットをコピーしました。病床で何度も繰り返して聴くのでテープが擦り切れてしまうのですね。ずいぶん勇気付けられたようですが、Kishikoさんの歌に送られながら天国に旅立ちました。

Kishiko:擦り切れるほど聴いてもらえたなんてとても嬉しいお話です。辛い時に音楽で慰められる、とは言いますが、ゴスペルはとくにその歌の向こうに神様を感じる事が出来るので本当に勇気づけられると思います。お母様も旅立たれる時は神様の元へ凱旋していく、とそんなお気持ちだったかもしれません。素晴らしい事だと思います。

Jazz Tokyo:日本語で賛美歌を歌うことに何か難しさはありますか?

Kishiko:日本の土壌において、教会の中で歌っている分には構わないのですが、いったん一般の世界に出た時に、「神様」とか「イエス」という単語が出て来る事への抵抗があると思います。ゴスペルブームがあって、今はゴスペルを歌う場所が沢山ありますが、それらは英語だから何となく過ぎてしまうのですが、訳して日本語で歌ったとしたら、キリスト教に馴染みのない方にとっては相当にハードルが高くなるのではないかと思います。
私のオリジナル曲で苦労したのもその辺の歌詞の事です。歌詞の中では直接的に神様と言えないので、「大きな愛」「あなた」などの言葉に置き換えました。しかし、勿論歌い手の私にとっての「あなた」の意味は「神様」です。その「あなた」を聴かれる方が「彼氏」と思われてもいいけど、「うん?なんかちょっと違う?もっと大きな愛かしら?」といつか思って下さればそれでいいのだと思います。

Jazz Tokyo:3年後の1991年に同じくポール・ジャクソンのプロデュースで『In His Love』がリリースされました。『Amazing Grace』が一般の音楽ファンにも支持されたということですね。

Kishiko:たしかに、大きな反響がありました。日経新聞の紙面で特集が組まれたり、NHKのFM番組で、また女性誌等でもとり上げられたりして、新しいジャンルの音楽として紹介していただきました。

Jazz Tokyo:このアルバムのオープナー〈セイリング〉は、ロッド・スチュアートの歌がTVCMに使われ大ヒットしましたが、元は賛美歌なのですね。

Kishiko:私自身この曲が流行っていた頃に良く聴いていたのですが、「あなたの元に~~」と言った歌詞をロック歌手のあのロッド・スチュアートが歌うので、当時、これはてっきり彼女への love song だと思い込んでいたのです。あとになり、賛美歌ではありませんが、ゴスペルの意味を持つ歌だと知ったのです。ただの流行り歌だと思っていたら、じつはゴスペルの意味を持つ歌なんだ、という事は他にもあります。サイモンとガーファンクルの「明日に架ける橋」等もそうです。

Jazz Tokyo:その後は、ゴスペルのシンガー・ソングライターとして日本語のオリジナル・ソング中心のアルバムが続きます。Kishikoさんにとってゴスペルとはどういう存在ですか。

Kishiko:ゴスペルも賛美歌もその歌詞がとても大切です。自分の神様への祈りだったり、感謝だったり、または「どうにかして下さい、この辛さを」とそんな嘆きを歌うのですが、その先に一筋の光があるという希望の歌なのです。いずれにしろ神様に向けて歌うものです。そんな意味を持つものがゴスペルです。ですからその意味があるものなら、それをジャズのスタイルで、ハードロックで、カントリーで、どのような形ででも歌う事は出来ます。反対にいくらブラック・ゴスペルのように手拍子を打ちながらシャウトして歌ってみたところで、その意味が全く神様と無関係であればそれはゴスペルとは言わないのです。音楽のスタイルではないのです。あるTV番組で唱歌の〈ふるさと〉をゴスペルで歌いましょうとやっていましたが、全然違うのでは、と思いました。私にとってのゴスペルは、単純明快に言えば、神様に向けての気持ちを表現しているものです。何より、神様から歌う事をもらった私ですから、それをしっかりとお返ししていきたいという事です。

Jazz Tokyo:クリスマスにしろハロウィーンにしろ、日本では本来の宗教的な意味合いが薄れてビジネスに利用される機会が多いようですが、こういう傾向をどう考えられますか?

Kishiko:「教会でもクリスマスをやるのですか?と言われました」という笑い話のような話があります。まさに商業ベースに乗せられております。メリークリスマスとお祝いするのは良いのですが、何をお祝いしているのか知らないで、というのはどうなのか、と思わないわけでもありません。それでもそんな中、いつか本質にふれる機会があれば良いなと私は思います。CDを制作しているのも、そのための第一歩、始めの一歩となるかもしれない、という願いがあるからです。今回のアルバムはジャズスタンド―ド曲を歌った訳ですが、その中に2曲賛美歌を入れました。「へぇ、賛美歌かぁ。いいねぇ」とどなたかが思って下さればそれは嬉しい事です。

私に与えられた音楽をしっかりとお返しする事が出来ること
[Part 3]

Jazz Tokyo:音楽一家の生まれですか?

Kishiko:
別にそういう訳ではありません。ただ、父が洋楽をよく聴き、兄もギターを弾いて流行りの洋楽を歌う、そういう音がいつも家の中にありました。

Jazz Tokyo:音楽に興味を持ち始めたのはいつ、どんな音楽でしたか?

Kishiko:3歳からピアノのお稽古なるものをやっていました。お決まりのバイエルとかチェルニーとかでしたが、ピアノを弾くのはいつも大好きでした。それとは別に中学の頃からBeatlesをきっかけに洋楽、ポップスも聴くようになりました。

Jazz Tokyo:専門教育は何才からでしたか?

Kishiko:3歳からピアノ。高校からハモンドオルガンを習いそこでジャズ理論なども学びました。

Jazz Tokyo:最初の渡米はいつ、どんなきっかけで?

Kishiko:高校3年でした。キリスト教関係の団体の交換留学生として。

Jazz Tokyo:教会音楽との関わりはいつ、どんなきっかけでしたか?

Kishiko:中学からミッションスクールでしたから学校で毎日賛美歌を歌っていました。高校の時のアメリカ留学ホームステイ先に黒人牧師宅があり、ブラック・ゴスペルの影響を受けました。
オリジナル・ゴスペルに関しては、日本語で歌い、日本人に意味の通じるゴスペルがあってもいいだろうと思った事がきっかけです。

Jazz Tokyo:オリジナルを作り始めたのはいつ、どんな内容でしたか?

Kishiko:高校の時、校内の作曲コンテストがあり、それを機に作ってみたのが初めてです。その時は詞が書けなくて、何とゲーテの詞に曲を載せて、自分でピアノ弾き語りをして入賞しました(多分、「失われた初恋」)。

Jazz Tokyo:ヤマハのポプコンに出場したそうですが、いつ、何を歌いましたか?

Kishiko:これは自作の歌ではなく、歌手として応募者の曲を歌い関東甲信越大会で最優秀歌唱賞(1975年)を頂きました。

Jazz Tokyo:ジャズに興味を持ち始めたのはいつ、どんなきかっけで?

Kishiko:高校の軽音楽部(ジャズ)に入ったのがきっかけです。その時はピアノ担当でしたが、それぞれコンボを作って演奏するのです。初めてその部室である音楽室に入った時に、先輩がハービー・ハンコックの〈処女航海〉を演奏していて、「何なんだ、この曲は!」とビックリしたのを覚えています。
林 立夫、後藤次利、森 泰人、甲斐恵美子、矢野晶子など現在活躍中の方々が在籍しておりました。

Jazz Tokyo:優秀な学校ですね!ジャズは専門に習いましたか。

Kishiko:ハモンドオルガンを小曽根 実氏(注:小曽根 真の父親)に。ジャズピアノは土井一郎氏に。どちらも演奏技術のみならずジャズ理論も習いました。ヴォーカルはほぼ独学です。

Jazz Tokyo:とくに好きなミュージシャン、ヴォーカリストは?

Kishiko:ダイアナ・クラーク、マイケル・ブーブレ、チェット・ベイカー等。ジャズ以外ではアレサ・フランクリン、キャロル・キング、その他大勢、ジャンルも色々です。

Jazz Tokyo:プロとしてのデビューはいつ、どんな場所でしたか?

Kishiko:1983年の 1stアルバム『Amazing Grace』がデビューアルバムです。
Paul Jackson:プロデュース、ピアノ:本田竹広、ベース:ポール・ジャクソン、
ドラム:セシル・モンロー ギター:三好3吉、コーラス:デニス・ペリエ等

Jazz Tokyo:ゴスペルや賛美歌はどういう場所で歌ってるのですか演?

Kishiko:教会や教会主催のホール、市民クリスマス、ジャズクラブ、ライブハウス、大学や中学・高等学校、老人ホーム等です。
ただし、どの賛美歌も自分でアレンジして弾き語りをしたりバンドで演奏したりしています。

Jazz Tokyo:ミュージシャンとしては他にどんな活動を?

Kishiko:オリジナルの曲作り、アレンジ。アマチュアコーラスのディレクター、カルチャースクールでのコーラス指導等ですね。

Jazz Tokyo:いちばん印象に残っているパフォーマンスをあげてください。

Kishiko:日比谷公会堂で他の歌手3人と一緒に出演したクリスマスコンサート。やはり一番始めの大舞台であるせいか印象に残っています。
それから、初めて土井一郎氏のピアノをバックに歌った銀座ジャズクラブでのライブですね。

Jazz Tokyo:最後に、夢を語ってください。

Kishiko:大きな夢はありません。ただ、歌う機会、演奏する機会を続けて行きたいと願っています。年を取っていきますが、その時のそれなりの自分のスタンスで無理なく歌い演奏できればいいのだと思っています。声が弱くなるかもしれませんが、しかし、歌心はなくならないでしょうからそれを持ってありのままの私を表現し続けて行きたいものです。
また土井一郎氏から影響を受けた、弾き過ぎない歌い過ぎない音楽をさらに目指していきたいと思います。
私に与えられた音楽をしっかりとお返しする事が出来る。これが何より嬉しい事です。

稲岡邦彌

稲岡邦彌 Kenny Inaoka 兵庫県伊丹市生まれ。1967年早大政経卒。2004年創刊以来Jazz Tokyo編集長。音楽プロデューサーとして「Nadja 21」レーベル主宰。著書に『新版 ECMの真実』(カンパニー社)、編著に『増補改訂版 ECM catalog』(東京キララ社)『及川公生のサウンド・レシピ』(ユニコム)、共著に『ジャズCDの名盤』(文春新書)。2021年度「日本ジャズ音楽協会」会長賞受賞。

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