#1255 映画『砂漠の小舟 / CUT LIGHT, SANDY BOAT』& 野上亨介監督インタビュー
text by 剛田武 Takeshi Goda
「砂漠の小舟」(95分/fullHD/2022)
出演:忘八門土/ヴァロン/内田静男/芹田和明/香村かをり/川口雅巳/橋本孝之/佐伯武昇/川島誠/ルイス稲毛/狩俣道夫/山澤輝人
協力 藤村仁
企画 「砂漠の小舟」制作実行委員会
制作 新日本現代映画研究所
撮影・編集・監督 野上亨介
プロデュース 柳川幸雄 野上亨介
© FILM FOURTH +新日本現代映画研究所
東京の地下に蠢く即興表現者たちの鮮烈なドキュメンタリー
即興音楽の魅力はレコードやCDだけでは100%は伝わらないと思う。音を生むパフォーマーの身体の動きや空気感や温度感を五感で感じることは、聴覚のみのレコード/CDとは全く異なる体験である。もちろん音楽のみを聴取することで想像力が刺激され、ライブ演奏とは別の感動を味わえることは確かだが、それはライブ・パフォーマンスの代替えにはなり得ない。レコード聴取とライブ体験は次元の異なるエンターテイメントなのである。とりわけジャンルやスタイルに限定されない有象無象の地下音楽の表現活動は、生のパフォーマンスに触れなければ、その存在すら知りえない場合がほどんどである。70年代末の日本の地下音楽の発祥の地として知られる吉祥寺マイナーで当時開催されたライブでは、観客数が演奏者の人数より少ない場合が多々あったという。筆者の著書『地下音楽への招待』では、そうした地下音楽シーンの場を創造したキーパーソンへのインタビューを手掛かりとして80年代アンダーグラウンド・カルチャーの存在を現在へ伝えようとした。その時代から40年が経ち、文字や音声はもちろん映像の記録が容易になり誰でもネットを通して発表することが当たり前になった現代、地上も地下も区別なくあらゆるカルチャーが洪水のように世界中に溢れている。情報の海に溺れるしかない現代は、80年代よりも地下文化に触れることが難しくなったのかもしれない。
そんなことを考えていたら、思いがけず東京の音楽シーンの最深部で活動する即興音楽家たちのドキュメンタリー映画が公開された。2020年末~2021年初頭に高円寺のライブハウスFourth FloorとFourth Floor IIでのソロ、デュオ、トリオの演奏を撮影したもの。筆者が足を運んだ2020年12月19日Fourth Floorでの「師走の今豚(Kong-Tong)」と題されたイベントも含まれている。川口雅巳 (g) + 山澤輝人 (ts)、ルイス稲毛 (b) + 佐伯武昇 (perc) + 飛び入り:川島誠 (as)、橋本孝之 (as, hca)の3組が出演し、コロナ禍が続く中で演奏できることを謳歌するような生命感に満ちた演奏が繰り広げられた。筆者が観た生前の橋本の最後のライブでもあった。
ナレーションや語りはおろか、演奏者名以外のテロップもほとんどなく、一組10分前後の演奏シーンが淡々と描かれる。演奏者の身体の動きを追いながら、表情(顔だけでなく手や足や楽器も)をクローズアップするカメラワークは、まるで観客の視線の動きに沿っているようだ。時にレッドゾーンに振り切れて割れそうになる荒目の音質は、実際にライブ会場で体験する音響に近い。音楽にストーリーはないが、ピックアップされた演奏場面の緩急が映画全体の流れを作りだしている。瞬間に生きる即興演奏家の気迫が生々しく伝わり、“行き過ぎることを恐れない”地下音楽の本質を実感できる、まさに体験する即興ライブ・サウンド・ドキュメンタリー。テレビやパソコン画面ではなく、映画のスクリーンで観てこそリアルな体験ができるはずだ。
出演ミュージシャンについて記しておこう。橋本孝之、川島誠、香村かをりは本誌にインタビュー記事が掲載されている。
#163 橋本孝之(.es)インタビュー:確かな「心」の芽生えと「自己」の消失の先にあるもの
Interview #197 川島誠 Makoto Kawashima〜アメリカ・ツアーで得たもの
Interview #184 香村かをり(韓国伝統楽器奏者)
川口雅巳は川口雅巳ニューロックシンジケイト、うすらび、Keiji Haino & The Hardy Rocksなどで活躍するギタリスト。山澤輝人は豪胆なプレイで異彩を放つ大阪出身のサックス&フルート奏者。ルイス稲毛は落穂の雨やヒグチケイコとのコラボをはじめ数多くのプロジェクトに参加するベーシスト。内田静男は橋本孝之とのデュオUHや即興ユニットMai MaoやArcheusなどで活動するベーシスト。狩俣道夫は管楽器を中心にフリーフォームな演奏を繰り広げるインプロヴァイザー。忘八門土は90年代からAural Fitを率いて活動を続けるアンダーグラウンド・ロックのベテラン・ギタリスト。佐伯武昇はいくつもの即興ユニットを率いながら、イベント・オーガナイザーとしても精力的に活動する異形のパーカッション奏者。彼の演奏の凄まじさこそ目で観ないとわからない。芹田和明は“古い現代音楽”と称する弦楽器奏者、ヴァロンは中央線周辺の即興シーンで活動するドラマーである。
この映画を観て何かを感じたら、次はぜひともリアルなライブ現場に足を運んでいただきたい。(2023年3月30日記)
【監督インタビュー】
野上亨介
1969年京都市生まれ。小学生時はエレクトーンで、中高はエレキギターで遊んでいた。大学在学中よりHi8 video、8mm film の新旧メディアで短編映画を作りはじめる。その頃相米慎二監督の「お引越し」の撮影現場でバイトを経験したが非合理で不可解なシステムに疑問をもつ。と同時にスタッフをしていた前衛映画系のミニシアター(シネクラブ)が経営難に追いやられ、閉館。映画業界全体のあり方に疑問をもつ。
映画の言説から距離をおき、新旧の哲学書、思想書に耽溺してゆく。と同時にジャズ喫茶に日参し、ジャズ細胞と現代音楽細胞が入植注入されていったが、その一方でクラブカルチャーやオルタナティブな音楽シーンにも嵌っていた。
90年代なかばからミニシアターのレイトショー枠で東京の作家、批評家、詩人らと8mmを上映する一方でクラブやバーなどでも好んで上映。1999年あたりから、広島を拠点に活動していた〈スタジオ・マラパルテ〉のイベントに参加し、来日中のジャン・ピエール・ゴラン監督の小品の第2カメラ、スペインの現代音楽家フランシスコ・ロペスらと空間インスタレーションなども行った。なお同グループが発刊していた芸術系映画雑誌にも論文を寄稿。映画監督青山真治の一側面にスポットをあてたTV放映用のセミドキュメンタリーも制作した(共作)。
2000年半ば、東京に拠点を移して尺を問わず、映画、映像作品を作っている。2022年はほぼ1ヶ月に1本のペースで短編を制作、上映。「砂漠の小舟」は2020年冬より、さまざまな縁の流れ、組み合わせに沿って撮影、2022年12月Fourth Floor IIで初公開した。
●主な作品
「すてきな他人」(1995)※8mm
「ネッカチーフ」(1997)
「磁器と火山」(2012)
「砂漠の小舟」(2022)
剛田武(以下Q):『砂漠の小舟』を撮影するきっかけは山澤輝人さんとの再会だったとお聞きしましたが、山澤さんとはいつどこでどのように知り合ったのですか?
野上亨介:撮影のきっかけは……たしか山澤君からSNSでリクエストが来て、突然メッセージが来ました。その直後の再会からですが、彼が「面白い店の面白いオッサンを紹介するわ!」と高円寺Fourth Floor(現在のOriental Force)へと案内してくれたことが大きいでしょうね。そこにこの映画のプロデューサーであるオーナーの柳川幸雄さんがいました。
さかのぼって…たしか…彼とは京都のライブハウス(烏丸通り丸太町から堀川通り沿いに移転してからの)「どん底ハウス」で知り合いました。1992年頃のことです。丸太町にあった通称「どん底」は、銀閣寺にあるCBGBとともに高校の時からたまに遊びに行っていましたが移転したのです。そこで彼と最初に会ったときは大学のサークル映像研究会V.O.B(Visions Organized Barbarian)の友人で神戸出身の土屋君に誘われて行ったのです。二人組のユニットで、山澤君はギターを弾いていました。当時THUGやNarcism Sound Systemというノイズ・インダストリアルのユニットをやっていた大橋さん(のちにサイケアウツを発起したオオハシアキラ)がサンプラーでアタックの強いリズム音を出していたのを覚えています。山澤君とはその時はすこし話しただけで、次に会った時はSAXを吹いていたように思います。
Q:山澤さんからライブ撮影を依頼されるまで、『砂漠の小舟』に出演したミュージシャンのライブは観たことはあったのですか?撮影時に観てどのように感じましたか?
野上:出演者の中で聴取していたのは山澤君のライブだけで、それは京都の小さなジャズ喫茶やライブハウスでのことでした。他のミュージシャンは全て撮影時の初見でした。……もちろんその時は全神経でもってフレーミングやカメラワークに集中しているので演奏を細かく聴取しているわけではありません。しかし、そういったなかでも、電撃的に反応する箇所があります。「今のはよかったな!」というほんの一瞬のことですが、その一瞬のために全体の流れを必要としている演奏スタイルなのだという気もします。…京都に居た頃から三条木屋町のRAGなど、インプロのライブ演奏はたまに聴きに行ったりしていたので、それなりにどのようなものかはわかっていました。とくに坂田明さんの演奏などはCDで聴いてもぜんぜん意味がないと思っていました。…ソロ演奏の突き詰められた世界観…野蛮さへの展開…急に植物的になったりする…かと思えば機械的になる……とてもドラマチックです。私が撮影したなかでは…そうですね、なかでも橋本孝之さんのハーモニカが映像的にも音楽的にも素晴らしかった。響きにあわせてひらひらと蝶を舞わせているようなハーモニカを持つ両の手…彼がそこそこのフォトジェニックな男前でハーモニカの独奏自体があまりにも新鮮だった、それに楽器(ハーモニカ全体)とクロースアップの顔-表情が一つのフレーム内に収まるという撮影上の利点がありました。
Q:Fourth Floorの柳川さんはどのように制作にかかわったのでしょうか?
野上:まずインプロ演奏の撮影を始める以前に、Fourth Floorで8mm映画のイベントに参加していたのです。その頃から(店という単位 unity をプロダクションにして)「野上君、映画を作ろうじゃないか。」としきりに仰っていたように思います。もちろん酩酊中の戯れ、バカ話を含めての話で、しかしさまざまなアイデアをわれわれは出していました。映画が好きである以上に、音楽文化と映像文化が緊密に繋がっている状態、容易に切り離せない状態が好きなのだと思います。デヴィッド・ボウイが好きである以上に、ボウイのポートレートとボウイの曲が絶対的に切り離せない状態が好きなのです。そういう意味でさまざまな場所で撮られた映像のプロデュースをするのではなく、「Fourth Floorないし、Fourth Floor II」で演奏されたものだけを映像として定着させる、それをプロデュースする、というアイデアにいたったのです。
柳川さんは『砂漠の小舟』において、演者の人選には直接はかかわってはいませんが、Fourth Floorのブッキング自体はだいたい彼の好みが反映されていて、必然的にそのカラーも反映されていると思います。通例といえばそうですよ。大阪の、すでに逝去されている阿木譲さんもそうでしたが、まさにオーナーのいい意味でのエゴイズムやちょっとしたフェティシズムが直接的にブッキングに反映されているのでは、とそういうふうに捉えています。
Q:最初から映画として完成させるつもりだったのですか?
野上:いいえ、最初は撮影素材を資料として個人的に保管しておこうという意図がありました。「アーカイブ」というやつです。そのためバックアップとしてYouTube上にアップロードしておきました。だんだんその数が増えていき……、映画化という発想に至るにはそれなりの時間を経ましたが、橋本さんが急逝して、やはり早めに形にした方が良いという判断を下しました。彼がその生涯を閉じていなければ、完成はもっと遅れたと思います。死は何かを急がせるのでしょう。
Q:橋本孝之氏の逝去を知ったときのお気持ちは?
野上:びっくりしました。ただ私は彼とは一回会って一回撮影しただけですが、その後にすぐSNSのリクエストが来て、「(YouTube にアップロードした)演奏の映像をSDカードに落として欲しい、それを持っておきたいのだけど、できませんか。」というメッセージをもらいました。そこでYouTubeの動画をパソコンやスマートフォンなどにダウンロードする方法などを返信しました。そうすればSDカードに落とせるでしょう。急逝はその矢先でした。彼は私の中では好印象しかなかった。
よくあることですが、あまり知らない人に対してネットで調べてしまうのです。そこで彼の人となりをはじめて知ることができました。おそらくそうこうしているうちに時間が経過していたのでしょう。まさしく、その経過…こう言ってよければ、〈時間的な余白〉こそが彼の死が与えた最初の影響であり、その延長線上にこの映画はあるのだと思います。それはまさしく喪に服する時間でもありました。無意識的にも、意識的にも。
Q:語りや説明がなく、演奏だけを淡々とみせる作風が印象的です。意図したところは何ですか?影響された映画等はありますか?
野上:この問いもまた、橋本さんの急逝以前、急逝以後にかかわる問いなのかもしれません。急逝以前はわかりやすいドキュメンタリーというよりも、より思想的で実験的な映画を想定していました。たんなる音楽映画というよりも、ギー・ドゥボールの哲学映画や、ジガ・ヴェルトフ時代のゴダール&ゴランのような方向性で仕上げることを考えていました。アニメーションを入れたり、シンタックスを無視した複雑な言語発生装置を導入したり、観客を麻痺させ、意図的に神経を逆撫でするような「装置的な作風」です。しかしながら、そういった操作的な作風によってライブ演奏のリアリティは犠牲にされてしまいます。
橋本さんの死は私の撮った映像に、ある種ドキュメント的な価値を与えてしまった、そういうリアリティを突きつけられたのだと思います。それにしてもやはりすこしは言葉の次元を、作り手による語りや説明ではなく、演者たちのごくごく平凡な、日常的な発話や会話を入れようと思いました。そういった光景を撮影し、編集しなおしたのですが、まったく全体像の構想に合わなかったのです。言葉が登場するだけで、なにかひどく陳腐なものに思えました。そこで思い出したのが『ステップ・アクロス・ザ・ボーダー』という音楽ドキュメンタリー映画でした。スイスの二人の若者がフレッド・フリスというインプロのギタリストを追ったもので、私は90年代半ば京都にあったルネサンス・ホールで観ました。多少の言語要素はありましたが、とてもおだやかで静謐なトーンが全体を支配していて、初期のジャームッシュの映画がそうであったように、たいへん気に入りました。あと、同時期に観たと思いますが、矢野顕子さんのスタジオ録音を捉えた『Super Folk Song』もすばらしい音楽ドキュメンタリーでしたね。どちらもモノクロの仕上がりで、理念や理想ではなく、動態や事物の即物的な価値をおおいに礼賛しているように思います。大きな影響を受けたとは思えませんが、この2本にはある種方向指示器のような役割をになってもらった、と今では思っています。
Q:『砂漠の小舟』というタイトルはどのように考えたのですか?その意味は?
野上:タイトルをつけるために街場に散歩に出ましたが、呑み屋やスナックの看板を観察していて、「小舟」という文字面を1分ばかりぼんやりと眺めていて気に入ったのです。英語のカッコつけたようなものはよそう、と思っていたので、「小舟」をタイトルに取り入れようと思いました。それでは「砂漠」はどこからきたのでしょう。砂という物質に対する思いがあるのでしょう。わたしは未だに覚えているのですが、幼少期、自我というか、「まったくの一人の状態」〜成人になると「孤独」と言われるだろう状態〜を最初に発見した時に「砂」のイメージが、それも太陽光線が注がれた砂の一粒一粒の粒子、そのイメージがくっついているのです。最初の詩的な経験とも言えるかもしれません。しかしながら、昨年2022年12月の第一回目の上映が終わり、観客の一人と話していて、彼に指摘されたのですが、「砂漠の小舟」とは丹生谷貴志さんの初期の著作のタイトルでもあったのです。しかたありません。意図せずにそうしてしまった。ただ「砂漠の小舟」というタイトルがインプロ演奏とシンボリックな関係において結びついているのかどうかと聞かれれば、関係ない、と答えるでしょう。そう、作品タイトルと作品内容は関係なくてもいいのです。
Q:ご自分の映画製作と即興音楽との間に共通点はあると感じますか?
野上:まさに即興演出でしょうね。演出と演奏ではニュアンスも出力構造もちがってきますが、外的要因にさらされつつそれを受け入れつつ進行するという意味では似ています。今回の撮影ではカメラワークもまた即興で行われる演出なのだということが分かりました。被写体をあるタイミングでバストショットからニーショットに切り替えるために撮影者の身体位置をかえる、それはもう一回限りのカメラワーク=演出なのだ、ということです。もちろんシナリオを書いてその通りにやる面白さも知っていますし、役者の細かい発音まで指示書を書くストローブ=ユイレが行っていたような現場の制御の仕方も悪いとは思いません。ただ、演劇的なコードにのっとった演劇的演技はすでに生理的に受けつけないものとなっています。
Q:今後、同じような音楽ドキュメンタリーを制作するつもりはありますか?
野上:若い頃からウォルター・ペイターの「すべての芸術は音楽の状態にあこがれる」という言葉が頭からはなれません。夏目漱石の『草枕』も未だにまだ手に取ってパラパラとめくります。なのでこれからも恒久的に自身の音楽聴取や音楽的情動を通じて作品に血肉化することになるのでしょう。…音楽ものは制作したいのですが、ステージ上のプレイヤーをシューティングする、そこだけで完結させたものは当分作らないでしょう。…ここ半年のことですが、フィジカルではなく、ネット上で展開されている音楽をいかにしてドキュメントすればいいのか?という問いをボンヤリと抱えています。…JAZZのファンで入れ込んでいる人はおそらく少ないでしょうが…ヴェイパーウェイブやそこから派生したフューチャーファンクを、初期のブルーズや初期のロックンロールがそうだったように、つまり「一時的に爆発的に量産されうる音楽」としてみなしているのですが、世間的な評価はまだまだでしょう。しかしロックンロールも最初は「ドーナツ盤」という名称があったように、量産的な子供向けの音楽という側面も持っていたのです。だからこそ今作っておかなくては、とも思います。
ひとつ言えることは、ルッキズムも含めて映像は音楽を欲しているし、音楽は映像を欲しています。これです。その欲望の相互ベクトルは維持されます…悪くいえば「相互依存」なのですが、それを超えたところにまた別の可能性があるのかもしれません。
Q:この映画を通して日本のアンダーグラウンド音楽シーンを海外に伝えたいと思いますか?その可能性は?
野上:そうですね、一般的に海外といった場合、タンザニアにいる〇〇さん、とかメキシコにいる〇〇さんという個別性ではなく、なんとなく「欧米の文化圏」という場合が多いのでしょうか。「映画を見てもらって、どのような反応があるのか」には興味がありますが、積極的に伝えたいということはありません。ただ近現代の音楽教育、そして音楽産業のシステムが抑圧してきたものを認識するためには積極的に共有しておくべき何かがあるでしょう。
Improvisationは、おそらくその概念は、最初音楽よりも演劇のジャンルで使用されていた。メンタルの病人やミスフィット(社会不適合者)に対して集団療法として即興演劇という方法が用いられていた、という歴史があります。そういう意味で精神病理的ななにかを扱う商業映画もインディペンデントの映画も無関係ではいられないでしょう。アメリカでインディペンデントから出発したジョン・カサヴェテス監督にはそういうアティチュードがあったと思います。
アングラ、アンダーグラウンドという言葉はあまりつかわないですが私もいわばアングラですよ。日の当たらない地下10階くらいでモグラのようにモゾモゾやっている感じが理想といえば理想なのです。ただ海外のそういうモグラたちといかにしてネットワークを作り、連携していくかということは課題といえば課題でしょうね。そのうち人工知能が勝手にやってくれている、つないでくれているのかもしれませんが。とはいえなんらかのフィジカルな相互の「はたらきかけ」がいるのでしょう。それが先行しなければ面白くはないですよね。
Q:たいへん興味深いお話をありがとうございました。
(2023年3月28日 Eメールにて)
【「砂漠の小舟」上映+上映記念ライブ 】
◼️5/11(木) 東京 YellowVision
▲「砂漠の小舟」上映
▲LIVE
Band-Unit:色硝子 (ルイス稲毛bass・皇帝ペンギンパラダイスg・南部輝久ds)
◼️5/25 (木) 大阪 Gallely Nomart
▲「砂漠の小舟」上映
▲LIVE
TRIO:sara(.es) (piano)+香村かをり (Korean perc)+川口雅巳 (Elec.g)
◼️5/26(金) 京都 Annie’s Cafe
▲「砂漠の小舟」上映
▲LIVE
SOLO:柳川芳命(sax)
DUO:香村かをり (Korean perc)+ 川口雅巳 (Elec.g)
◼️5/27(土) 京都 ZacBaran
▲「砂漠の小舟」上映
▲LIVE
DUO:香村かをり(Korean perc)+川口雅巳(Elec.g)
DUO:北村嘉彦 (sax)+池田一平(piano)
詳細はTwitterアカウント:Live Documentary「砂漠の小舟」(95min)上映イベント最新情報
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