Interview #277 ハーモン・メハリ・インタビュー
Hermon Mehari 「I want my listeners to feel something and evoke their happiness!」
Interviewed via email , November 29th.
Interview( email & conversation) and translation by Yoko Takemura 竹村洋子
Photos: courtesy of Hermon Mehari, photos by Maria Jarzyna
カンザス・シティ出身のトランペット・プレイヤーのハーモン・メハリが日本に初来日し、このコラムで初めて日本のジャズファンに紹介したのが2015年だった。(カンザス・シティの人と音楽#136参照、https://jazztokyo.org/interviews/post-15105/)メハリはその後、パリを拠点にしてヨーロッパで演奏活動をしている。2015年以降、アルバムも前回の来日後に『ブルー』、『ア・チェンジ・フォー・ザ・ドリームライク』、『アーク・フィクション』、『アスマラ』と立て続けにリリースしており、メハリ自身のスタイルを確立しつつあり、演奏にも確実に進歩が見られる。
そのハーモン・メハリが2023年11月19日から10日間ほど、日本に滞在した。東京、京都、大阪と短期間で忙しいスケジュールだった。今回、ハーモンの滞在期間中、筆者の都合がどうしてもつかず、夜のライブに参加できなかったのが残念だったが、インタビューに応じてくれた。インタビューは来日前にeメールで、補足する部分を東京で対面で行った。
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JT:東京に来るのは久しぶりですね。お帰りなさい!と言ったほうがいいでしょうか、前回来日は2015年だったので8年ぶりですか? 今回の訪日の目的は?
HM:はい、おかえりって!言えますよ!!とても懐かしかった!僕の来日の目的は、日本の文化、友達、そしてもちろん音楽シーンと再び繋がることです。
*パリを拠点とした活動
JT: まず、パリに引っ越してから何年になりますか?
HM:7年前にカンザスシティからパリに引っ越しました。カンザスシティへは演奏をしに年に数回帰っています。
JT: パリに住むことに決めたのは、どういう理由からですか?
HM:僕は何度もパリを訪れた後、この街が本当に好きになり友達が沢山できたからです。パリは非常に多文化的な場所で、とても刺激的でチャンスも沢山あります。ここからヨーロッパ各地への移動も簡単です。また、人生は短すぎると思っています。人生のほとんどを1つの国で過ごしてきたので、もっと世界を体験したいと思いました。
JT: パリでは、音楽を含めてどのような活動をしていますか?
HM:アーティスト、作家、料理人、ワイン専門家などのコミュニティに囲まれています。僕が成長し続けることができるように、彼らから人生のさまざまな側面について常に学んでいるところです。
JT: アメリカを離れてパリに拠点を置いてから、あなた自身に大きな変化はありましたか?
HM: 母国を離れる人は誰でも困難に直面し、成長せざるを得ないでしょう。新しい文化に適応しなければならない事、今まで持っていた快適なものをすべて捨て、新しい言語を学び新しい生活を築かなければならないこと、これらすべてが僕に影響を与えたと思います。さっき言ったたように、僕はパリで非常に多様で豊かな思想を持った人達のグループに囲まれているので、常に人生について学んでいます。おかげで、30代半ばになった今でも好奇心とオープンさを持ち続けることができていると感じています。
JT:現在ヨーロッパには、パリだけではなく、色々な国のミュージシャンが集まって来ている様ですね。
HM:はい、これは事実です。特にパリでは創造の機会が沢山あります。非常に多様性のある都市で、この多様性が、様々な所から来た人々を快適に感じさせていると思います。
JT:あなたはユーロ圏内のワーキング・ビザを取り、多くの国に行かれたようですが、主にどのような場所(国、クラブ、ジャズフェスティバルなど)で演奏し、どのようなミュージシャンと出会いましたか?
HM:現時点では、イタリア、ベルギー、スペイン、ポルトガル、オランダ、スウェーデン、ノルウェー、フィンランド、オーストリア、ドイツ、スイスなど、ヨーロッパのほぼすべての場所で演奏してきました。これらすべての場所には、素晴らしいフェスティバルやクラブなどがあり、ジャズが溢れています。
僕は自分のグループ、または僕に参加を頼んできたこれらの国のミュージシャンと一緒にツアーを行なっていますが、それぞれの国が自分たちの創る音楽に独自の影響を与えていることに気づきました。ジャズという音楽の様々な視点を見るのはとても興味深いことですね。
ジャズ・フェスティヴァルでは、トランス音楽祭 (レンヌ、フランス)、五大陸ジャズフェスティヴァル(マルセイユ、フランス)、オスロ・ジャズ・フェスティバル (オスリー、ノルウェー)、イントーン ジャズフェスティバル (ディアスバッハ)で演奏しました。シレ・ジャズ・フェスティバル(トレヴィーゾ、イタリア)、ゲズマタズ・ジェノバ・ジャズ・フェスティバル(ジェノバ、イタリア)、タオルミーナ・ジャズ・フェスティバル(タオルミーナ、イタリア)、トリノ・ジャズ・フェスティバル(トリノ、イタリア)、ニリュフェル・ジャズ・フェスティバル(ブルサ、トルコ) などにも参加しました。
JT:ヨーロッパ中を飛び回っているようですね。
HM:この前、年間どのくらいパリの自宅にいるか、数えてみたら30%ほどしかいないことがわかりました。(笑
JT:チェコ、スロバキア、セルビアなどに行ったことがありますか?最近、スロバキアのプレーヤーでルカシュ・オラヴェツと言う人を知りました、ボブ・ミンツァーが彼のグループでCDをリリースしたことに驚きました。
HM: はい。具体的にはスロベニア、チェコ共和国、ルーマニア、ジョージアに行ったことがあリります。ルカシュ・オラヴェツは彼の音楽も知りませんが、ぜひチェックしてみます!僕はスロベニアの音楽家をあまり知らないけれど、好きな人たちが何人かいます。スロベニアのサックス奏者ユレ・プクルやチェコのオルガン奏者ヤン・コリネクなどです。(メハリは、このインタビュー後にルカシュ・オラヴェツのCDを聴き、素晴らしい!と大感激していた。)
JT:アメリカのミュージシャンとヨーロッパのミュージシャンに大きな違いがありますか?
HM:ヨーロッパとアメリカのミュージシャンには多くの違いがあると思います。一般に、ヨーロッパの音楽家はリズムよりもハーモニーを優先する傾向がありますが、アメリカ人はリズムを重視します。彼らの演奏を聞くと、たいていアメリカ出身かどうかがわかります。(少なくともヨーロッパ人であることはわかります)。もちろん、イタリア、特に南イタリアのように例外はあります。南イタリアには伝統を守る文化があり、それはジャズへのアプローチにも当てはまります。だから、イタリアのミュージシャンの多くはスイングの伝統を非常に重視する傾向になるんだと思います。
*自己のアルバムについて
JT:前回の来日の後に、『ブルー』(2017)、『ア・チェンジ・フォー・ザ・ドリームライク』(2020)、アレッサンドロ・ランゾーニとの『アーク・フィクション』(2021)、そして『アスマラ』(2022)と立て続けにCDをリリースしましたが、それぞれの制作意図を簡単に教えてください。
HM:『ブルー』は僕のデビューアルバムで、多くのデビューアルバムと同様に、最初からそれまでの僕の音楽経験の総決算でした。僕は ”モダンジャズ” の文脈でステートメントを出し、同時に僕の個人的な声(音)を導入したかった。ピアノのアーロン・パークスやアルトサックス奏者のローガン・リチャードソンなど、僕のお気に入りのミュージシャンや、彼らから受けるインスピレーションをフューチャーしています。
『ア・チェンジ・フォー・ザ・ドリームライク』は、フランスでパンデミックによる最初のロックダウンが行われていた2020年に出来た予期せぬアルバムでした。僕はフランスの田舎に3か月間滞在し、非常に個人的な一連の作品を考え作り出しました。このアルバムでは、孤独なのに同じ状況にいる愛する人たちに手を差し伸べることができ、一緒にいるように感じるという対照的な感覚など、多くの事を同時に感じられるようにしたいと思いました。そのために、僕はアルバムを自分で創作しましたが、僕のカンザスシティ、パリ、ロサンゼルスをはじめ、世界中にいる音楽仲間に彼らの演奏のパートを送ってもらいました。
パンデミックが最高潮に達した直後、僕はイタリア人ピアニストのアレッサンドロ・ランゾーニを共同リーダーとして『アーク・フィクション』を制作しました。僕たちは暫く他のグループと一緒に演奏していましたが、僕たち二人の相性がとても良いことが分かりました。それで僕たちはスタジオに入って即興演奏を始めました。驚いたことに、ほとんど歌のような即興演奏ができました!イントロダクションがあり、方向性があり、そして結末へと至っていく。最終的にはオリジナルの曲もいくつか入れましたが、アイデアは作曲と即興の境界線を曖昧にすることでした。
僕の最新アルバム『アスマラ』は、僕のルーツであるエリトリアの伝統である「夢のような人への変化」を探求する事から生まれました。パリのプロデューサー、アントワーヌ・ラジョンに、これを徹底的に探求するよう提案されましたが、それは当時、僕の頭の中にあった多くのアイデアの1つでした。このアルバムの制作は素晴らしい体験でした。
JT:特に『ア・チェンジ・フォー・ザ・ドリームライク』と『アスマラ』は、あなたのルーツを強く意識した作品ですね。(メハリの両親は北アフリカのスーダンの隣国エリトリア出身)現在、様々な国のアーティストとコラボレーションを行っていますね。パリはアルバムを作るのに便利場所でしたか?あなたにインスピレーションを与えてくれるアーティストはどんな人たちで、誰と共演していますか?
HM: 『アスマラ』は僕がパリでレコーディングした最初のアルバムで、僕たち3人(ハーマン・メハリ、リュカ・ファットリーニ、ゴーディエ・ガーリーヴ)はパリに住んでいて、ゲストシンガーのフェイティンガはスイスに住んでいたので都合が良かったです。ヴィブラフォン奏者兼ピアニストのピーター・シュランブだけが、カンザスシティから非常に遠くまで来なきゃならなかった。明らかにかなり遠いですよね。
僕が今一緒に演奏しているアーティストで、僕にインスピレーションを与えているのは、ピーター・シュランブ(vib. & p)、アレッサンドロ・ランゾーニ(p)、リック・ロサート(b)、ロブ・クリアフィールド(p)です。
JT: この2枚のCDを聴くと、楽園にいるような気分になります。私が知る限り、あなたは真面目な方で人前ではあまり話さない方ですが、同時にとても前向きで明るく楽観的な方だと感じますが、どうでしょうか?。
HM: 有難う!それはとても嬉しいな!僕の最終的な目標は、リスナーに『何か』を感じてもらうことなんですが、幸福感を呼び起こしたいと思っています。僕はいつも人生のほとんどの状況において、ポジティブな精神を保つように心がけています。
エリトリア音楽は、とても美しく、楽しく、お祝いや結婚式、ダンスなどによく使われます。
JT:『アスマラ』はお父さんの祖国エリトリアに捧げられた曲で、民族的なテーマが強いと思います。他のアルバムでのあなたの演奏は非常に洗練されています。民族的側面と都市的側面のバランスを取るのは難しいと思いますか?
HM:はい、アルバムはエリトリアに捧げられています。ハーモニー的に言えば、エリトリアのハーモニーは非常に特殊です。このアルバムの音楽の多くはモード ジャズやスピリチュアル ジャズから来ています。他のコードを追加し始めるとすぐに、まったく違って聞こえる。これは他のアルバムでは表現できなかった僕の側面なので、エリトリアのハーモニーを参考にする素晴らしい機会だと思います。
JT:『アーク・フィクション』についてお聞きしましょう。オリジナル曲中心のアルバムを作ろうとしたのには理由があるのでしょうか?オリジナル曲もとても良かったのですが、私個人としては、アルバム最後のチャーリー・パーカーの曲<ドナ・リー>がとても良かったですよ。ランツォーニと仕事をするのはどんな感じでしたか?
HM: 先に部分的に答えたかもしれませんが、詳しく説明します。アレッサンドロと私は、即興演奏をするときにお互いに熱心に耳を傾ける能力と、相互の信頼と音楽をあらゆる方向に進んでいく意欲が特別なものであることに気づきました。僕たちは何の先入観もなく、本当に即興演奏をしていました。でも、このアルバムの最も美しい点は、方向性、流れ、物語、製作意図があり、それが一貫して聞こえるということでした。僕たちはまさに、お互いの心を読むことができる二人がゲームをしているようなかんじでした。
<ドナ・リー>は、即興演奏の終わりに向かってチャーリー・パーカーの「引用」をした美しい瞬間のひとつです。何も言わずにそのまま演奏を始めた。とても自然な感じでした。
*自己の演奏ついて
JT:デュオで演奏することが多いようですね。アメリカ、カンザスシティ在住のピーター・シュランブとも相性が良さそうですね。日本に来る前にアメリカでも一緒にツアーをしていたようですが、彼のどんなところが気に入っていますか?
HM: ピーターとは高校時代からの付き合いなので、もう20年位になるね!彼は僕とこれほど長い間一緒に演奏してきた数少ないミュージシャンの一人です。僕たちはとても親しい友人であり、お互いのことをよく知っている。ピーターは幼い頃から常に素晴らしいミュージシャンでした。誰もが彼を尊敬しており、大きなインスピレーションの源でした。彼は音楽的に常に成長し続けており、これは私が付き合いたいミュージシャンにとって一番重要だと思う資質です。彼は世界最高のヴィブラフォン奏者の一人ですが、ピアノの演奏も非常に高いレベルです。
JT:デュオのような小さなユニットで演奏する時と、『ア・チェンジ・フォー・ザ・ドリームライク』や『アスマラ』のような大規模なグループで演奏する時、あなたは自分のスタンスの違いをどう考えていますか?
HM:デュオの演奏はとても親密で、露出度が高い。各楽器はアンサンブルの半分を占めるため、より重要になります。でも、それによってデュオでしかできない表現ができるような気がします。同時に、二人のミュージシャンの会話は最高に面白いです!大人数のグループでは、ハーモニーやリズムに制限がかかりますが、同時に、テクスチャーやサウンドも増えます。これにより、音楽がよりダイナミックになる。また、ドラムの演奏にはある種のエネルギーと激しさがあり、それがとても楽しいです。
JT: あなたはこれまでずっとトランペットを演奏してきましたが、この楽器を選んで良かった、と心から思う瞬間はありましたか?また、ミュージシャンという職業を選んで良かったと思う瞬間はありましたか?
HM:素晴らしい質問ですね!トランペットを選んで良かったと20代前半になって気づきました。確かに演奏するのが最も難しい楽器の一つですが、非常に豊かな表現力と柔軟性を持っています。トランペットで出せる音の量と、それが呼吸とどのように繋がっているかに僕は魅了されています。
この仕事を選んで良かったと実感したのは25、6歳の頃だったと思います。人生で不正行為をしているような気分になりました! 僕の仕事は朝起きて音楽を演奏することだけだなんて、僕には信じられなかった。僕は自分自身に責任があり、好きな時に働き、そして世界を見ることができ、人々を素晴らしい気分にさせることができる・・・なんてね。
*次に目指すこと
JT: ここ数年、新型コロナウイルスのパンデミック、世界的な異常気象、戦争など、世界の状況は急速に変化しています。演奏中は何を考えていますか?音楽を通して人々に何を伝えたいですか?
HM: 演奏している時は何も考えないようにして、瞑想のように心をクリアにするようにしています。こうすることで、頭の中で聞いている音の流れが中断されなくなるんです。でも、僕の意図は常に人々に何かを強く感じてもらいたいということ。そうすることで、聴き手は自分たちの問題を忘れたり、人生の他の瞬間を思い出したり、笑ったり、泣いたり、その他多くの反応を示すかもしれません。これは音楽の持つ美しさの一つであり、あなたを現実逃避に何処かに連れて行ってくれるでしょう。
JT: あなたはもう若いとは言えないでしょう?今、10代から20代前半の若いミュージシャンに何を期待しますか?
HM: 有難う!(爆笑)僕は、若いミュージシャンたちが、今でもこの音楽の起源とつながり、尊重し続けてくれることを願ってます。ジャズは特定の系統を持つ民族音楽です。この音楽の伝統は常に創造と革新ですが、それは常にそれ以前に作られたもの(スイングやバップなど初期に作られたもの)を理解することから来ていると思います。音楽が進化していくためには、どの世代もこれを理解していく必要があると思います。
JT: どんなミュージシャンになりたいと思っていますか?
HM: 僕は自分自身を完全に表現できる最高のミュージシャンになりたいです。常に成長し続け、常に好奇心を持ち続けたいと思っています。僕は自分自身の音を持っていると思うので、これからも自分自身に忠実に演奏し続けて行きたいです。
JT: 今後の計画について教えてください。
HM: 近い将来の計画のほとんどは、ヨーロッパで僕のグループとのより多くのツアーをすることに焦点を当てています。また、ニューヨークにはミュージシャンの大きなコミュニティがあるので、ニューヨーク・シティでも多くの時間を過ごすようにしているところです。
新しいアルバムに取り組む計画があり、それは何年も作りたいと思っていたものです。詳細についてはまだ明らかにしたくないのですが、制作には長い時間がかかる可能性があります。それに加えて、アジアを自分のキャリアにもっと取り入れたいと思っているので、そのためのさらなる方法を模索していきます。
JT: 今後もセルフプロデュースのアルバムはリリースし続けていますか?
HM: 僕の最後のプロジェクト『アスマラ』はセルフプロデュースではなかったけれど、今後もセルフプロデュースのプロジェクトは常にあると思います。そうすることで、クリエイティブな面で制限されたり、レーベルのスケジュールに縛られる必要がなくなるからです。とはいえ、今後はセルフリリース作品と既存レーベルからのアルバムをミックスする形になると思います。
JT: 私生活についてはどうですか?
HM: よく旅行するので、特にヨーロッパ周辺の多くの場所で友人の強力なコミュニティを築きました。リスボン、ブリュッセル、イスタンブール、その他の場所だけでなく、イタリアの多くの都市にも、とても親しい人たちがいます。だから、僕はこれらすべての場所でくつろいでいます。僕はパリでの知り合い全員とパリでの生活を楽しんでいます。 僕は食べ物が大好きで、相変わらず、世界中のレストランを探索し続けています。スペシャルティ・コーヒーとナチュラルワインも私の生活の大きな部分を占めています。食べることの他に、読書とランニングが好きです。
*日本でのこと
JT:最後になりましたが、今回の日本での体験を聞かせてください。8年前に東京に滞在して以来、かなり時間が経ちましたね。前回訪問時と比べて、東京では何か変化を感じましたか?
HM: 東京は8年間で大きく変わったとはいえ、それでも僕が普段環境に囲まれているものとは文化的に大きく異なる場所なので、何とも言えません。また、僕自身が大きく変化しているので、その場所についての見方が新鮮に感じられることもよくあります。僕は常に様々な変化に気づいて、理解しようとし、その状況や人々と触れ合おうとしています。
音楽シーンに関しては、多くのミュージシャンに東京の現状を尋ねたところ、ようやくパンデミック前の状態に戻りつつあるとのことでした。
JT:今回は大阪、京都に行かれたそうですが、その街の印象を教えてください。
HM: パリから来ていた友人のDJ、ダニーロ・プレソウ(モーター・シティ・ドラム・アンサンブル)と一緒に数日間大阪に行きました。東京との違いに大きなショックを受けました!東京ほど堅苦しい所ではなく、より若いエネルギーを感じました。東京よりもはるかに多くの観光客も見かけました。もちろん、美味しいお好み焼きとたこ焼きを食べました!京都は1回食事に立ち寄っただけです。
JT:東京では 誰と何処で演奏しましたか?また、一緒に演奏してみたい日本のミュージシャンはいますか?
HM: 下北沢の「No Room for Squares」でベーシストの境野真さんのグループと共演しました。長い間日本に住んでいるサックスのデヴィッド・ネグレテ、ドラムはジーン・ジャクソンが一緒でした。小さなクラブでしたが、最高に楽しかったです。クラブは観客でパック状態でした。
ドラマーの大江陽三さんのグループと一緒に、赤坂の『B Flat』でも演奏しました。バンドは次のとおりでした。松原慎之介 (as)、山中龍之介 (ts)、井上祐一(p)、田中ホルヘシーロ (b)。
ベーシストの楠井さつきとは、とても息が合い、是非また演奏したいと思っています。以前に東京に来た時によく一緒に演奏しましたが、今回はスケジュールが合いませんでした。彼のサウンドは素晴らしいです。 あと、もちろん鈴木良雄さんと共演できたら最高です。この旅行中、ピアニストの片倉真由子さんの演奏を何度か聞いたので、一緒に演奏できたらいいなと思いました。 他にも及川陽菜、田中奈緒子、加納奈美などたくさんいます。
JT:前回と比べて日本のミュージシャンに変化はありましたか?
HM:ただ、みんなとても良い音を出していますね!僕はいくつかのショーを聴き、いくつかのジャムセッションに行きましたが、多くの素晴らしいプレイヤーの演奏を聞くことができて嬉しかったです。
JT:日本のミュージシャンと欧米のミュージシャンの違いは感じますか?
HM:ジャズについて話すとき、アメリカ人とアメリカ人以外のミュージシャン(つまり日本人だけでなくヨーロッパ人も)には違いがあると思います。アメリカ人として違いを聞くのは簡単です。ブラジル人がブラジル音楽を演奏するのとアメリカ人が演奏するのとの間に違いがあるのと同じように、音楽は私たちの文化の一部なので、それは当然のことです。ミュージシャンでない人にとって、その違いは微妙ですが、その多くはリズム、本能的な音楽の選択、態度(誰かが「何を」演奏するかではなく、アイデアやメロディーを演奏する「方法」)、そして多くの場合、ブルースの取り入れ方に関係しています。例外は常にあります。例外の多くは米国で多くの時間を過ごした人々です。
JT:あなたが、これから表現しようとしている音楽に、日本のミュージシャン達がどう関わっていくのでしょうね。楽しみです。
HM:コラボレーションはいつでも大歓迎です!僕はインスピレーションを受けた時には、非常に積極的に創作、演奏します。
JT:次回の訪問時にピーター・シュランブや他のアメリカやヨーロッパのミュージシャンを連れてくる可能性はありますか?
HM:可能性は常にあります。 それは僕の訪日状況次第でしょうね。
JT: 音楽以外のことについてお聞きしたいのですが、今回の来日で一番思い出に残ったことは何ですか?日本の何に惹かれますか?
HM: いつものように食べ物とコーヒーを探求していました。たくさんのレストラン、バー、カフェに行きました。先ほど話した友人のダニーロがパフォーマンスのために日本に来ていたので、彼のショーやレコードの買い出しに同行しました。
僕の最も思い出に残る食事は、うだつ寿司(中目黒)でのおまかせでした。私が飲んだ最高のコーヒーはグリッチ(東京と大阪の両方: Glitch Coffee and Roasters )でのものでした。僕の一番好きな部分は食べ物だと言わざるを得ません。高級ミシュランレストランからストリートフード、コンビニエンスストアの食べ物まで。食べ物は僕にとってとても重要です。
僕は日本文化の他の部分も大好きです。黒沢明、村上春樹、そしてアニメ全般のファンです。僕は大都市も大好きですが、東京はモダンで活動している大都市の最高に良い街かもしれません。
そしてもちろん、僕が行くほとんどすべての店でジャズを聞くのが好きではないはずがありません。
JT: また近いうちに日本に戻って来ますか?
HM: はい、すぐにでもいいと思います! 8年は長すぎたし、今回の旅は短すぎました。だから僕は、特に日本の他の場所を見るために、すぐにまた来て、もっと長く訪問しなければならないと自分に言い聞かせています。
JT:長い時間どうも有難う!日本のファンに一言メッセージをお願いします。
HM:今後もサポートをお願いします。僕のプロジェクトを日本に持ち込んで皆さんに体験してもらえるよう、一生懸命に取り組んでいます。 これからも新曲をリリースしていきますので期待していてください。有難う!