Obituary:Vanessa Bley / ヴァネッサ・ブレイ
Paul Bley, renowned jazz pianist, died January 3, 2016 at home with his family. Born November 10, 1932 in Montreal, QC, he began music studies at the age of five. At 13, he formed the “Buzzy Bley Band.” At 17, he took over for Oscar Peterson at the Alberta Lounge, invited Charlie Parker to play at the Montreal Jazz Workshop, which he co-founded, made a film with Stan Kenton and then headed to NYC to attend Julliard.
His international career has spanned seven decades. He’s played and recorded with Lester Young, Ben Webster, Sonny Rollins, Charles Mingus, Chet Baker, Jimmy Giuffre, Charlie Haden, Paul Motian, Lee Konitz, Pat Metheny, Jaco Pastorious and many others. He is considered a master of the trio, but as exemplified by his solo piano albums, Paul Bley is preeminently a pianists’ pianist.
He is survived by his wife of forty three years, Carol Goss, their daughters, Vanessa Bley and Angelica Palmer, grandchildren Felix and Zoletta Palmer, as well as daughter, Solo Peacock. Private memorial services will be held in Stuart, FL, Cherry Valley, NY and wherever you play a Paul Bley record.
大変悲しいお知らせですが、きのう私の父親が亡くなりました。以下が公式のお知らせです。父親は自宅で家族に見守られながら安らかに逝きました。
草々
ヴァネッサ・ブレイ
死亡公告:ポール・ブレイ
著名なジャズ・ピアニスト ポール・ブレイが2016年1月3日、家族に看取られながら自宅で逝去。ブレイは、1932年11月10日、ケベック州モントリオール生まれ、5歳から音楽を学ぶ。13歳で“Byzzy Bley Band”を結成。17 歳の時、オスカー・ピーターソンに代わってアルバータ・ラウンジの専属ピアニストとなる。自身が共同主宰者となったモントリオール・ジャズ・ワークショップにチャーリー・パーカーを招聘したり、スタン・ケントンの映画を作ったりした後、NYCに出奔、ジュリアード音楽院に入学。
彼の国際的なキャリアは70年に及ぶ。演奏、録音の共演者は、レスター・ヤング、ベン・ウェブスター、ソニー・ロリンズ、チャールス・ミンガス、チェット・ベイカー、ジミー・ジュフリー、チャーリー・ヘイデン、ポール・モチアン、リー・コニッツ、パット・メセニー、ジャコ・パストリアス等々。彼は、「トリオ」のマスターとみなされているが、ソロ・ピアノ・アルバムにも傑作が多く、“ピアニストの中のピアニスト”と言うにふさわしい。
遺族は、43年間連れ添ったキャロル・ゴス、ふたりの娘;ヴァネッサ・ブレイとアンジェリカ・パーマー、孫;ェリックスとゾレッタ・パーマー、他に娘・ソロ・ピーコック。家族葬がフロリダ州スチュアート、ニューヨーク州チェリー・ヴァレーで予定されているが、ポール・ブレイのレコードが演奏されるところはどこでもメモリアルの場となる。
Vanessa Bley / ヴァネッサ・ブレイ
ポール・ブレイとキャロル・ゴスの子女。歌手。2013年、スチュアート・マシューマン(sax,g)と7人編成のバンドTwin Dangerを率いて来日、Billboard Liveに出演、自作曲をヴォーカル、ギター、キーボードで披露した。