ニューヨーク:変容する「ジャズ」のいま 第2回 ダン・ワイス Sixteen:ドラマーのための組曲
text by 蓮見令麻 Rema Hasumi
主役のいない、主役ばかりの演劇
2月の極寒の夜。閑散としたミッド・タウン。一見何の変哲もないオフィスビルの並びに、ジャズギャラリーの小さな看板はフッと現れる。エレベーターをあがって部屋に一歩足を踏み入れると、そこかしこでミュージシャン達が輪になり談笑していた。ファースト・セットが終わったばかりだったらしく、熱気がまだ漂っている。
私はひと通り挨拶を済ませて、友人と共にワインをとって後ろの方の席についた。
そうこうしているうちに、総勢16人のメンバーはステージに上がり、演奏の準備を始めた。
ダン・ワイスという人は、ここ十数年程の間、いわゆるブルックリン・シーンを引っ張ってきたドラマーだ。そして特筆すべきは、彼がタブラという楽器を通してインドの古典音楽を研究し、その複雑なリズムを時にドラムでの演奏に取り入れて彼独自のビートを作り出してきたということだ。
その個性を持ってワイスが作曲した大編成の組曲を演奏する奏者達の面々もまた、ブルックリン・シーンの生み出した素晴らしい個性の持ち主ばかりだ。
まずはピアノにジェイコブ・サックス、そしてキーボードとオルガンにマット・ミッチェル。どちらも自身のプロジェクトを持って活躍する第一線の鍵盤奏者だ。ベースは録音はトーマス・モーガンだが、ライブではクリス・トルディーニが演奏した。彼らのベーシストとしての資質は言うまでもない。
ギターはマイルス・オカザキ、ホーン・セクションにもまた、ティム・バーン(ライブのみ)、ベン・ガースティン、ジェイコブ・ガーチックなど、そうそうたる面々が顔を並べる。
そこに3人のヴォーカリスト、ジェン・シュー、ジュディス・バークソン、ラナ・イスが加わるのだが、このヴォーカリスト達の個性もまた強烈なものだ。
これはまるで、主役級の役者ばかりが集まって、主役のいない演劇をやっているようなもので、大袈裟に言えば、ブルックリン・シーンの生み出した才能とその音楽的変遷のある種の集大成の様な感じでもあった。
ブルックリン・シーンとは
ここで、ブルックリン・シーンという呼び名について少し明確にしておきたい。ニューヨークのミュージシャン達からこのブルックリン・シーンという呼び名を聞いたことは、実は私は一度もない。
このシーンには渦中の音楽家達にとっては未だ正式な呼び名はない、ということになるが、80年代以降の流れとして、トニックやストーンなどのクラブを中心に発展してきたダウンタウン・シーンとの違いを認識するために、便宜上私はこの名前を使ってみたいと思う。
ジョン・ゾーンはもちろんのこと、スティーブ・ライヒやラ・モンテ・ヤングなどのミニマリスト達を取り囲んで発展してきたダウンタウン・シーン以降に、より若い世代のミュージシャン達がブルックリンに移り住む様になり生まれてきたブルックリン・シーンだが、代表するミュージシャンはと言えば、トニー・マラビーやタイショーン・ソーリー、スティーブ・コールマンなどだろうか。レーベルで言うと、Pi Recordings やClean Feedなどが精力的にプロデュースしているのがこのシーンの音楽家達だ。彼らの音楽は、あるいはいわゆる伝統的なジャズとはかけ離れている様に聞こえることも多いかもしれない。または、人によっては難解だと感じることもあるだろうと思う。
ブルックリン・シーンの音楽家達の多くは、現代ジャズを演奏する新しい世代の音楽家達の多くがそうであるように、大学でアカデミックとしてジャズを勉強し、それを背骨にして音楽への独自の新しい観点を切り開いてきた。アカデミックとしてのジャズ、という物議を醸す話題にはここでは触れないことにするが、とにかく彼らの多くはマイルスやコルトレーンを聞き、オーネットやドルフィーを聞き、スレッギルやブラクストンを聞き、時にシューベルトのソナタを聞き、また時にはインドの古典音楽やガムランを聞き、スティービー・ワンダーやダニー・ハザウェイを聞き、メシアンやストラヴィンスキーを聞き、あらゆる方角から聞こえてくる音を一身に受け止め、真摯に音楽と向き合ってきたのだと想像する。時として垣間見る彼らの音楽における知識は実に圧倒的だ。その広い受け皿を持ってして、彼らが作り出すこの新しい音楽に、我々は古典を聴く時の様な安らぎや心地よさを得ることができなかったとしても、その瞬間に作られていく未熟で危険な美しさを存分に感じることができる。
「ジャズ」の歴史、レファレンス
ブルックリン・シーンの音楽性は、一聴するといわゆる「ジャズ」の一般的な理解の枠組みからはみ出している様に思えるかもしれない。しかし、「ジャズ」の枠組みというものそれ自体が実に主観的なものであれば、その枠組みが更新されるという事象そのものが「ジャズ」であるという感覚からすると、彼らの音楽性ほどに興味をそそられるものはそうそうないのではないだろうか。
加えて、先に述べた様に、ブルックリン・シーンの音楽家達の多くは、ジャズの名盤を聴き尽くし、その演奏をレファレンス(参照)として自身の音楽に反映させているので、聞こえ以上に音楽の根っこはジャズの歴史と深く繋がっている。
ダン・ワイスの新譜、「Sixteen:ドラマーのための組曲」(Pi Recordings, 2016)はまさにこのことを明確に示している。
このアルバムには全7曲が組曲として収録されているが、そのひとつひとつがワイスの敬愛するドラマーの演奏したリズムのパターンとそれぞれのドラマーの性格や印象を基盤にして作曲されている。エルヴィン・ジョーンズ、マックス・ローチ、トニー・ウィリアムス、フィリー・ジョー・ジョーンズ、ケニー・クラーク、エド・ブラックウェルの6人のドラマーがテーマになっており、それぞれのリズムのパターンが参照されたレコードの曲名と参照部分をライナー・ノーツから知ることもできる。
さらに、最初の曲、The Drummers Meetでは6人のドラマー全員のリズムのパターンを、チャクラダーというタブラ特有の作曲構成を基盤に交差させた。
このところ少し考えていたことだけれど、例えばブルー・ノートやECM、またはESPのようなレコード・レーベルが、音楽シーンや音響のスタイルをスタンダード化して、聞く側にも作る側にも多大な影響を与えてきたのと同じように、ドラマー達が作り出す新しく個性的なグルーブは、時代の流れとともにスタンダード化されて参照され、そして更新されていく。
そういう意味で、やはりドラムのビートというのは音楽において最も力強いもののひとつだと再認識した。
Sixteenを繰り返し聞いていると、それぞれの曲を構成するリズムのパターンが少しずつそのくっきりとした輪郭を浮かび上がらせてくる。こんな風にジャズの偉大なドラマー達のリズムのパターンの重要な断片を切り取って、レファレンスとして参照し、そこからまた壮大な作曲を作り上げるというのは、ジャズ史とその共同体への深い愛情と知識なしには到底成し得ないものである。
それぞれのドラマーの人となりをも作曲に反映させる、というところが、またとてもダン・ワイスらしいユーモアに溢れていて実に素敵だ。
Sixteenに収録されている楽曲はすべて緻密に作曲構成されている。調性の曖昧さやリズムの複雑さからくるある種の居心地の悪さ(もしかするとそれこそがワイスが自身と彼の音楽を聴く者に提示する挑戦なのかもしれない)は、マット・ミッチェルの弾くエッジーなシンセサイザーの音、ジェイコブ・サックスの美しいピアノの音色、ケイティ・アンドリューズの柔らかく繊細なハープの音、そして3人のヴォーカリスト達の声によって中和され、全体性を持ってうまくまとめあげられている。
ここで、「レファレンス」として、ダン・ワイスの10年前の作品を聞いてみた。Now Yes When (Tone of a Pitch, 2006)は、トーマス・モーガン、ジェイコブ・サックスとワイスのトリオ作品(一曲だけベン・ガースティンとジェイコブ・ガーチックがトロンボーンで参加している)だが、Sixteenの原型となる音楽的個性がはっきりと聞こえる上に、このアルバムでもチャクラダーがすでにモチーフとして使われている。時期的なものも考えると、ヴィジェイ・アイヤーが注目され始めたこの頃からニューヨークのシーンにおいてどれほどにインド音楽の影響が強かったかということも知ることができる。
全面に押し出されたピアノの美しい音色から、現代音楽の様な響きが聞こえる一方で、ワイスの余韻と鋭さ、またはクラシカルさとヒップさの両方を兼ね備えたドラムとトーマス・モーガンの特有のベース音が絡まり合うと、なんとも言えない不思議な魅力を持ったアンサンブルが生まれる。もし手に入れることが可能ならば、是非、Sixteenと合わせて聞いて欲しい作品だ。
インタビュー
今回は、彼のコンポジション、演奏へのアプローチについての簡単な質問に答えてもらった。
蓮見:あなたの音楽にとって、ボーカルの音はどのような意味を持っていますか?
ワイス:私は、ボーカリスト達を他の楽器奏者と同じ様に見ています。ボーカル・セクションのグループとしての声の音色を取り入れることもそうですし、同じようにボーカリストそれぞれの独立した音色を取り入れるのも好きです。彼女達はそれぞれにとてもユニークな声の質感を持っています。例えばジュディス・バークソンはオペラとドイツ歌曲(リート)、そしてユダヤ民族音楽を研究してきた経歴を持っていますし、ラナ・イスはブラジル音楽とポップに、ジェン・シューは韓国、インドネシア、台湾の音楽から大きな影響を受けています。このようにそれぞれのボーカリストが多様な背景を持っているために、メロディーへのアプローチの仕方が変わってくるわけです。
蓮見:あなた自身はインド古典音楽に強い影響を受けていますね。ジャズの伝統を引き継ぐあなたの音楽の中に、非西洋的音楽の構成要素を取り入れることに関してはどのように考えていますか?
ワイス:インドの音楽は、私の音楽の様々な面に影響を与えました。
まず最初に、リズムです。細かいリズムもそうですし、より長いビートの周期、そして終止符へのアプローチなどのリズム全てにおいてです。
二つ目は、伴奏におけるより美しいアプローチの仕方です。
タブラ奏者にとっての主な目標には中心となるアーティスト(ボーカリストや、シタール奏者)の持つラガのビジョンの質を高めるということがあります。このやり方は、私のドラム演奏にも少なからず影響を与えました。
三つ目にあるのが、メロディーへのアプローチの仕方です。数年に渡り、ボーカルの勉強をしてきて分かったことですが、ある種の装飾的なフレーズ、またはひとつの音にあと一秒長く重点を置くというやり方は(例えそれが同じ音階の中のラガの途中であっても)、メロディーの音を完全に変えてしまうことができます。このようなニュアンスやメロディーの方向性を知ることは作曲において大いに役にたちました。
誰もが指揮をとる
Sixteen: The Drummers Suiteの沢山の音が複雑に絡み合った音楽は、是非スピーカーで大きめの音量で聞いてみてほしい。構成感の強い曲が多いこのアルバムだが、ジャズ・ギャラリーでのライブでは奏者達の息づかいが感じられることで、複雑な曲の構成と生演奏の活力のバランスが取れて素晴らしかったので、なるべくライブに近い音で聞くのが理想的だと思う。
ライブに関しては、フルートのアナ・ウェバー、トロンボーンのベン・ガースティンのソロが素晴らしかったのと、マット・ミッチェルの弾くキーボードとジェイコブ・サックスの弾くピアノのコントラストが秀逸であったことを特筆しておく。加えて、曲目によってそれぞれにバンドの指揮を執る者が変わっていくのも面白かった。すべての曲目を演奏していく中で、私が覚えているだけでも4人の奏者がかわるがわる前に出て指揮を交代していった。それはただ単に演奏するパートのない奏者が指揮者役になる、というだけのことかもしれない。でももしかすると、それぞれがリーダーシップを持つ機会を与えられる、それは即ち、それぞれが独自の個性と創造力を持った主役である、というスタンスの現れであるのかもしれない。そんな側面もまた、「ブルックリン・シーン」の持つ、個性を存分に表現しながら共同体として繋がる、という柔軟さのなせるワザだと、そう私は思うのだ。
Performance Spotlight: Dan Weiss (Vic Frith)
https://youtu.be/hP4fwwHpYZM