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ニューヨーク:変容するジャズのいま 蓮見令麻No. 217

ニューヨーク:変容する「ジャズ」のいま 第3回 境界を越える―ダリウス・ジョーンズ

Text and photo by 蓮見令麻 Rema Hasumi

ダリウス・ジョーンズの音楽を初めて聞いたのは多分2010年前後だったように思う。今となってはどんな経緯でそのアルバムを手に取ったのかうまく思い出せないのだけれど、私はその頃、ダリウスのアルバム『Man’ish Boy (A Raw & Beautiful Thing)』(AUM Fidelity, 2009)をよく聞いていた。

このトリオ作品には、ピアニストのクーパー・ムーアとドラマー、ボブ・モーゼズの二人が参加しており、新進気鋭のアルト・サクソフォニスト、ダリウス・ジョーンズのデビュー作として当時かなりの注目を浴びた。よくよく考えてみると、いわゆるフリー・ジャズと呼ばれるものに興味を持ち始めた当時の私にとって、このアルバムはすごくエキサイティングで刺激的なものだったように思う。ダリウス・ジョーンズの圧倒的な重量のアルトサックスの音色に私は魅了されていた。その頃、アリス・コルトレーンの曲を演奏するプロジェクトをやり始めていた私は、幸運なことにダリウスに参加してもらい幾度かのコンサート・シリーズで彼と共演をしてきた。

アリス・コルトレーンの曲の持つある種のダークさやスピリチュアルさに、ダリウスの演奏は不思議なくらいにぴったりとマッチし、とても深い演奏体験をさせてもらった。

ストーンにて:ダリウス・ジョーンズ×マシュー・シップ

2月にダリウスのストーンでのレジデンシーが行われた。(ストーンでは、週ごとにレジデンシーといってひとりの音楽家が選ばれ、その音楽家の様々なプロジェクトが毎日入れ替わり演奏される。共演者もセットごとに変わる。)

今回私が見たコンサートは、ダリウス・ジョーンズと、ピアニスト、マシュー・シップとのデュオだった。

クーパー・ムーア、マシュー・シップ、そして最近の別のプロジェクトではマット・ミッチェルを起用しているダリウス・ジョーンズの選ぶピアニスト達は魅力的な奏者ばかりだ。

彼のサックスの音の重量感にピアノという楽器で対応できる音楽家を選んでいくと、自然とこういう人選になるのかもしれない。

ダリウスの吹くサックスの持つ魅力だが、まず、その音の太さと伸縮性には比類なき力強さがある。太く伸びる音に加わる細やかなヴィブラートがまた素晴らしい。

即興演奏のアプローチ自体にもかなりの幅がある。シングル・トーンを繰り返したり、フレーズをゆっくりと辿っていったりと、かなりミニマルな演奏があるかと思えば、次の瞬間には積み木の様に整然と構成されていた音が加速度を増して、ぐるぐると柔軟な竜巻の様に突き抜けていく。そうこうしているうちにフリーキー・トーンでとどめをさされ、あっけにとられるのも束の間、すでに先ほどの熱は冷め、またミニマルな世界に戻っていたりする。なかなかこちらの想像通りの展開にはならない、ある意味では挑戦的な即興演奏と言っていいかもしれない。

マシュー・シップもこういった即興演奏の「幅」を構築するのに深く貢献している。

燃え上がる場所で十分に燃え上がって聞く者を満足させてはいても、どこかで徹底した冷静さを保っている。その冷静さを持って、瞬間瞬間に「即興」が届かない場所へ走って行ってしまうことのないように、しっかりとシップは手綱を握る。

シップの弾くピアノは、暴力的でエレガントだ。ピアノという楽器は、エレガントに弾かれることの方が多いように思われるが、本質的にはピアノは打楽器であるがゆえに「暴力」という側面も十分に表現できる楽器なのだと私は思っている。ただ、そこにエレガントさがあって初めて暴力が生かされるのであり、そういうことをできるピアニストは誰かと考えるとやはりセシル・テイラーや菊地雅章を思い出すが、マシュー・シップは確実にその潮流を受け継いでいる様に思う。

彼の演奏は、自身のトリオや、ウィリアム・パーカーとの共演など、様々な場面でライブや録音で少なくない回数を重ねて聞いてきたが、聞いているとすぐにマシュー・シップだとわかるぐらいに彼の弾くピアノの音の個性は確立されている。

考えてみると、ジョーンズとシップのデュオは、メロディックな部分と同じくらいの割合で、リズム、そして音響的な部分を道筋にした即興演奏をしている。そのバランス感覚は、人によっては「聴きやすいフリージャズ」だと感じるかもしれないし、または「情報量が多い」と感じるかもしれない。

彼らのデュオ作品としてリリースされているのは、2010年に録音された『Cosmic Lieder』(AUM Fidelity, 2011)、そして2011年から2013年にかけてライブ録音された『The Darkseid Recital』(AUM Fidelity, 2014)の2作があり、ライブの臨場感もあり、より勢いのある『The Darkseid Recital』は特におすすめしたい。

また、特筆しておきたいのが、90年代以降、現代のいわゆるニューヨーク・フリー・ジャズ、アヴァンギャルドを積極的に録音してきたレーベルAUM Fidelityのリリースする音楽には、魅力的なダークネス、暗い美しさという特色があると私は思っている。そういった、レーベルの押し出す「色」の中で、ダリウス・ジョーンズの音楽はある種の「ポップ」さという異彩色を放っている。ダリウスの演奏するサックスを聞いていると、フリー・ジャズという音の向こう側にブルースやフォーク・ミュージック、ソウル、そしてヒップホップさえ聞こえてくる時がある。彼自身、影響された音楽にマディー・ウォーターズ、ジョニー・ホッジズ、ウータン・クラン、ベティ・カーター、パティ・ラベル、パーラメントにファンカデリックなど幅広いジャンルの音楽家達をあげていることからも、それはうなずけると思う。

声の可能性を探る

そしてもうひとつ、ダリウス・ジョーンズの作品の中で注目したいのが、彼の率いる、The Elizabeth-Caroline Unitというヴォーカル・ユニットだ。『Oversoul Manual』(AUM Fidelity, 2014)というタイトルでリリースされている。ジョーンズの書いたヴォイスのためのコンポジションを、女性ボーカリスト4人がアカペラで歌うプロジェクトだ。ダリウス・ジョーンズ自身は作曲とプロデュースのみの参加で、サックスは吹いていない。参加しているのは、サラ・マーティン、ジャン・カーラ・ロデア、クリスティン・スリップ、そしてアマルサ・キダンビの4人だ。このユニットのリハーサルなどにジョーンズはかのアミナ・クローディン・マイヤーズを招待して、ヴォーカル音楽を創る上での師事を仰いでいる。

この作品は少し変わっていて、曲名はすべて記号でしるされ、歌詞には見たことのない言語がならんでいる。ライナー・ノーツにはこう説明がある。

『Oversoul Manual』は、最も神聖な儀式の中でのみ、話し唄われた古代の言語で書かれている。この言語はオエシュと呼ばれ、オルゲニアン族の人々にとっての強調言語であったといわれる。この惑星における人類間のより誠実なコミュニケーションがいかに強い力を持つかということに気づかせるために、創造主がオルゲニアン族にこの言語を与えたのだそうだ。しかしこの言語を会話の中で使うことは非常に激しい体験となるために、毎日の生活で使われることはなくなってしまった。ゆえに、この誕生の儀式を行うために「ユニット」は自らを普段の環境から隔離された神聖な場所へ行く必要がある。この親密な儀式を目撃する者は皆、自身の中に精神的な何かが誕生することを感覚として知るだろう。

一風変わった作風のこのアルバムは、聞いてみるとかなりオペラティックな音になっている。あたかも天井の高い教会がどこかでとられたような自然なリバーブがかかっていて、何も考えずに聞いているとミニマルなヨーロッパの古典音楽の様にも聞こえる。創作言語を使っているという要素は、音楽の存在感の影に隠れてそこまで目立ってはいないのだけれど、それでもこの言語が音楽的要素をもとに作られたのか、それとも言語を創作しながら作曲していったのか非常に興味をそそられる。

「フリー」の定義とは

こうしてダリウス・ジョーンズの作品を並べて聞いていくと、彼の作品の多様性には深い興味をそそられる。演奏自体もそうだが、ジョーンズの出す音にはあらゆる場所を航行した者の持つ、境界線を越えた自由さのようなものがあるのだ。

「自由」という冠詞をつけられたフリー・ジャズだが、この音楽についてミュージシャン自身の考えを掘り下げるというプロジェクトを私は今やっている。今回はダリウス・ジョーンズの「フリー」という音楽的概念に関しての考えを、「All About Jazz」のインタビューから抜粋してみたいと思う。

All About Jazz(以下AAJ): アヴァンギャルドは必ずしも「フリー」であるとは限りませんね。アヴァンギャルドとは、革新的であるとか、新しい方向性を持っているという意味になると思います。ちょうどストラヴィンスキーの若い頃の様に。アヴァンというのは「以前」という意味で、他の誰よりも前に(何かを成し遂げた)ということになります。だけれど「フリー」というのは基本的に「1、2、3、スタート」というようなやり方から解放されているものですよね。あなたは自分自身がフリーのミュージシャンだと思いますか?

ダリウス・ジョーンズ(以下DJ): その(フリーという)言葉の意味を理解しかねます。ロスコー・ミッチェルはフリーですか? セロニアス・モンクは? 私は様々なミュージシャンの演奏を聞いてきました。オーネット・コールマンから、ジェームス・スポルディングまで。オーネットは、音楽を創造の根源まで立ち返らせました。彼はただ、「クリエイティブであれ、自分自身であれ」と私達に伝えたのです。彼のレコードに「フリージャズ」という言葉がタイトルに使われているものがありますが、彼の真意は、「フリー」を形容詞としてでなく動詞として使うことだったと私は思います。「フリー・ジャズ、つまりジャズに自由を;もっと可能性を拡げるためにすべての制約からジャズを解き放て。」と。

もうひとつ言いたい。エリック・ドルフィーはフリーですか?

私が師事したピアニストは、かつてブッカー・リトルのレコードに参加していました。

幾度かそのピアニストにレッスンを受けた時に、私達はエリック・ドルフィーについて話したのです。

彼はこう言いました。「エリックはコード進行なんか気にせずに弾いてたよ。コード進行に対して挑発するようにね。」

フリーの定義が、「コード進行にしたがって和音や調性の中にとどまった演奏をしない」ということであれば、私自身に関して言えばそのすべての真ん中に属していると言わざるをえません。

私の演奏するもののほとんどすべてには構成というものがありますから、そういう意味で自分がフリー・ジャズ・ミュージシャンだとは全く思いません。

クーパー・ムーアやボブ・モーゼズはフリーですか? アヴァンギャルドですか? なんともいえないですよね。もしあなたが彼らと対談するようなことがあったとして彼らが何と言うかはわかりませんが、彼らが私に教えてくれたことはこれです。メロディー、和音、リズム、タイム、これらのすべてに注意を払って、自分のなれる限りの音楽的な人間になること。

マシュー・シップとはよく話をします。マシューはフリーな演奏家でしょうか?私は自分自身はどちらかといえば、伝統的な意味での「アヴァンギャルド」だと思います。

私はストレートな演奏をしたいとはあまり思わないので。

私のヒーローである先駆者達とまったく同じように弾こうという気はあまり起こりません。

私は正気の沙汰じゃないくらいに、自分自身を表現したいという願望があります。

オーネット・コールマンになりたいとは思いません。

AAJ: そうですね。オーネットはひとりしか存在しえない、そして彼は彼のすべきことをした。オーネットの信奉者達も自分自身を早く見つけた方がいい。

DJ マシュー・シップが一度私の演奏を聞いた後にこう言いました。

「君の演奏にはオーネットっぽさがまったくないね。」

だけど私は「今日はオーネットっぽいテクニックとキャノンボールっぽいテクニックを出すぞ。」とか、そういう風に考えていないんですよ。そうじゃなくて、「今日は、コード進行があろうとなかろうと、この音楽の背景をふまえて演奏しよう。」こういう風に考える。

音楽を演奏するのにおいて、何かを証明しようとする必要はないんです。ホーンとピアニストと、皆がステージにあがって自分の能力を証明しようとしたりするのは本当におかしいですよ。音楽を演奏しないと。

すべては音楽のためにあるのだから。

私みたいなミュージシャンが属すカテゴリーはふたつしかないんじゃないですか。

スティーブ・コールマンやグレッグ・オズビーみたいな、インプロ・ジャズの中の優れた黒人奏者的な立ち位置であるか、アルバート・アイラーやオーネット・コールマン、またはジュリアス・ヘンフィルのようなフリーで自由奔放な奏者の立ち位置であるか。

だけど私はこう言いたいのです。「ここにはまったく違った新しいものがありますよ。3つ目のカテゴリーは「私」です。これから見せてあげますからね。」と。

私はさっき言ったような世界にあるどのカテゴリーにも完全に属すことはないです。

ひと夏の間、スティーブ・コールマンの音楽を勉強して彼のコンセプトを理解しようとした年もありましたが、夏が終わる頃には頭痛に苛まれました。本当にひどい頭痛で、ああいうタイプの構成を持った知的な音楽を演奏することには自分は興味がないんだということに気づきいたのです。

もっとオーガニックなやり方とか要素が好きなんです。私にとって本当に大事なことはこれです。

コールマンに対しての批判とかじゃなく、私には私のプロセスがあるということです。

タイムも、メロディーも、和音もすべて大事に思っています。

引用:All About Jazz (http://www.allaboutjazz.com)
訳:蓮見令麻(インタビュー記事はAAJの許可を得て引用、翻訳しています。)

蓮見令麻

蓮見令麻(はすみれま) 福岡県久留米市出身、ニューヨーク在住のピアニスト、ボーカリスト、即興演奏家。http://www.remahasumi.com/japanese/

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