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No. 225R.I.P. 内田修

追悼 “Dr.Jazz” 内田修
「ライブにはいつもドクター・ジャズ・内田先生が!」 

内田先生で思い出すのは数々のライブ会場で、穏やかな表情で演奏を楽しむお姿です。

僕は1963年、17歳の時に「Art Blakey & The Jazz Messengers」第2回来日ツアー名古屋公演がジャズライブの初体験で、楽しさとジャズメンの恰好良さに憧れたてジャズ好きに。
その後、折からの外人ジャズメン来日ブームにのって立て続けにコンサートに出掛ける。
S.Rollins、T.Monk、J.C.Adderley、R.Kirk、M.Roach、J.Coltraneなどなど。

1968年、当時レコード購入のために度々訪れていた日本楽器名古屋店でジャズ担当者から、内田修先生が会長のジャズ愛好団体「名古屋ヤマハ・ジャズ・クラブ(YJC)」への入会を勧められて参加したのが第28回「ジョージ・大塚 プラス 宮沢昭」だった。
それまでの数々のライブ体験は収容人数2000人規模のコンサートホールばかりで、舞台と客席の距離間と来日ツアーの過密スケジュールによるものかどうか、何となく気合いの入っていない演奏ではと感じたりする様になっていた。
YJCの会場は名古屋ヤマハビル7階のホールで収容人数約200人規模。ステージは30cm位の高さで奏者と観客との距離が近く、熱い息遣いが伝わって一体感が生まれるライブにすっかり虜になり、約20数年間にわたり出来る限り参加した。
YJCの素晴らしさは、何と言っても内田先生よるユニークな人選・構成・選曲によって生まれる数々の演奏が、今までに聴いたことが無い新鮮さを生んでいることだった。

数多い例会の中でとくに印象深いのが、1972年10月の第55回
「北村英治meetsモダン・リズム・セクションズ」
第一部
北村英治(cl) 益田幹夫(p) 鈴木良雄(b) 日野元彦(ds)
第二部
北村英治(cl) 菊地雅章(p) 鈴木勲(b) 渡辺文男(ds)

スイング・クラリネットの第一人者・北村英治が一部では若手と二部では中堅のモダン派トリオとの共演で、通常では考えられないメンバー構成が楽しかった。
それまでは“スイングの北村英治”のイメージでしか無かったが、吹き始めたサウンドは、日頃の聴き慣れたスイングとは違い目まぐるしいフレーズの展開のモダンさにビックリ!
また、個性溢れたモダン派の菊地雅章のスイングに皆大喜びであった。
YJCの素晴らしさは内田先生の幅広い交流から生み出された、スイング、デキシー、モダンからフリージヤズまでの期待の新人から円熟のベテランの真摯にジャズに向き合う熱い演奏を提供し続けた事で、日本のジャズ界に多大な貢献をもたらしたことは明らかだ。
渡辺貞夫、高柳昌行、富樫雅彦、菊地雅章、日野皓正、佐藤允彦、本田竹広その他、日本のジャズを担ったプレーヤーほとんどをライブで楽しめた事は僕のジャズ人生に於いて貴重な心の財産になっている。
YJCホールの客席の一番後に少し高く設置された椅子に掛けて見守っていた先生のお姿はライブハウスでも幾度も拝見した。
僕が最後にお見掛けしたのは今年の3月26日名古屋の“ジャズ・イン・ラブリー”での「往年のオールスターバンド“FRIENDS”」の演奏終了後に、峰厚介、増尾好秋、山本剛、鈴木良雄、村上寛の出演者と寛いで談笑するお姿だ。
その際の村上寛が僕に言った「先生はお元気だ!助平だもの!」に妙に納得、それで先生は長生きされたんだなぁ~。(敬称略・久田定)

 


久田定(ひさだ・さだむ)
愛知県常滑市在住。ジャズ・ファン、珈琲、甘味求道家。
90年代、地元で豊住芳三郎 (perc) のデュオ・コンサート・シリーズを開催、ポール・ラザフォード(tb) とのデュオのアーカイヴが2017年リトアニアのNoBusiness Recordsより ChapChapシリーズの1作としてリリースされる予定。

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