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R.I.P. ゲイリー・ピーコックNo. 270

ゲイリーさんとの思い出 ドラマー 村上 寛

text by Hiroshi Murakami 村上 寛

ゲイリーさんとの思い出といえば、 僕が生まれて初めてのレコーディングがゲイリーさんとプーさん(菊地雅章, p)との『Eastward』(1970) でした。 何度かプーさんの家でリハーサルをしましたが、その時初めてゲイリーさんにお会いし、 リズムやビートの感じとかポリリズムの基本的なものなど色々と教えて貰いました。その頃ゲイリーさんは太極拳やマクロビオティックをやっていて 小さな玄米のおにぎり持ってきて食べていたのを覚えてます。 その後、山本邦山さんとの『銀界』(1970)、 Mal Waldronとの『First Encounter』(1971)、富樫雅彦さんが入った『VOICES』(1971)、それと渡辺貞夫さんとの『Paysages』(1971)、この5枚のアルバムをご一緒させて頂きました。 あのゲイリーさんのビートのスピードはいまだに頭の中に残ってます、それと身体の無駄な力を抜いて演奏するという事。 この時の経験が僕にとって本当に大きな財産になっています。

とにかくこの2年間は凄い経験でした。当時はまだスマホもなく、残念ながらプライベートな写真は残っていません。そうそう、プーさんとゲイリーさんとのトリオでライブハウスもやってたんですが、銀座のジャンクの仕事でプーさんが凄く遅刻してきたことがありました。ゲイリーさんがもう待てないからDuoでやろうという事になり、ワンセット duoでやった事もありました。プーさんはセカンドセットには間に合って「ゴメン」って笑いながら入ってましたね。ワンセットですが ゲイリーさんとのDuoというのも良い思い出です。

ゲイリーさんありがとうございました。R.I.P. (談)


村上 寛(むらかみひろし)
1948年、東京生まれ。成城大学卒。ドラマー
1967年に本田竹広トリオで活動を始める。その後、菊地雅章、渡辺貞夫などのグループに参加。
1978年、本田竹広、峰厚介らとジャズ・フュージョン・フループ「ネイティヴ・サン」を結成、シーンをリードする。1989年に、峰厚介、板橋文夫、井野信義と「Four Sound」を結成、プロデューサーを兼ねる。1997年からの2年間、NHK-BS「BSジャズ喫茶」にレギュラー・ドラマーとして出演。その後は、自己のバンドを中心に活動している。




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