「どうでもいい」by 齊藤聡
ペーター・ブロッツマンが残した大傑作のひとつに『Nipples』(Calig、1969年)がある。2021年、アメリカのテレビ番組「The Tonight Show」の「Do Not Play」コーナーにおいて司会のジミー・ファロンが笑い飛ばしたことにより、この作品はフリージャズ愛好家以外にも知られることになった。なにしろ乳首であり轟音であり騒音なのだ。多くのファンが激怒し、困惑した。ブロッツマンのパートナーであるヘザー・リーも激しく番組を批判した。
この事件はなんだったのだろうか?あらためてアメリカの友人たちに訊いてみた(この言い方も、ドイツとアメリカをまたがったヴィム・ヴェンダースのことを意識して)。
シスコ・ブラッドリー(評論家)「アホだし思い出す価値もないね」
クリフォード・アレン(評論家)「ファロンはなにも知らなくて、クエストラブ(番組の音楽ディレクターを務める)の考えかもしれないね。まあでもテレビのことよりブロッツマンのことを考えたいな」
ジョン・ダイクマン(サックス奏者)「いやなにも気にならないね。ブロッツマンが言ったとおり、世界にはアホが溢れているんだし」
マーク・エドワーズ(ドラマー)「このようなフリージャズはライヴで聴いて真価がわかるものだし、ファロンも体験していてくれていたなら違ったかもね。音楽好きなんだし」
ケヴィン・シェイ(ドラマー)「このアルバムはもとよりこういう音響を世界中のお茶の間にぶちまけて既成概念をぶち壊すものだろう?負け犬の喜びもこれを聴いて得られるエクスタシー体験を見せつけてやることにあるわけで。まあだから番組のジョークは真正面から行き過ぎて失敗したってこと」
そしてブロッツマン自身は、「世界には無知とアホがあふれていることなんて、お互い知っていることだろう?多かれ少なかれ。どうでもいい」と、平然と反応した。
ブロッツマンは60年代の若き日にナム・ジュン・パイク(前衛芸術運動フルクサスのアーティスト)の最初の個展を手伝ったこともあり、たとえばかれが大きく関わったレコードレーベルFMPの成果をまとめた大著『FMP: The Living Music』(*1)などを紐解くと、演奏家としてのみかれの活動を捉えることはできないことがよくわかる。それは画家のA・R・ペンクともベーシストのペーター・コヴァルトとも共通するところだ。ブロッツマンの自宅があったドイツ・ブッパータールを拠点としたダンサーのピナ・バウシュは、ブロッツマンと共演したことがあったがうまくいかなかったという(*2)。だがバウシュもブロッツマンも誰にも似ていない独自の芸術家であった。それだけのことである。だから、お茶の間のテレビショーなんて文字通り「どうでもいい」ことなのであり、事件はそのことを再認識させてくれるだけの結果に終わった。
肉体が滅びようと、ブロッツマンのぶあつい精神は生き続ける。
(文中敬称略)
(*1)Markus Müller編『Free Music Production / FMP – The Living Music』(Wolke Verlag、2022年)
(*2)齊藤聡『齋藤徹の芸術 コントラバスが描く運動体』(カンパニー社、2022年)