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R.I.P. トリスタン・ホンジンガーNo. 305

追悼 トリスタン・ホンジンガー 聴き人 (LAL) 小野健彦

text &photo by Takehiko Ono  小野健彦

『尊厳は紫煙と微笑の中に』

ここに一枚の写真がある。合羽橋・なってるハウス、2023/6/17 22:24。
そう、この日同所にて開催された、原田依幸氏とトリスタン・ホンジンガー氏のDUO公演終演後の店内の様子である。
中央椅子席左側に筆者 (白地の半袖アロハシャツ)、その前にトリスタン(青いベレー帽)が。
後方カウンター左手には原田氏。そしてその視線の先、壁際左端には、この6/2~7/11に掛けて国内を巡ったトリスタンの「Wander and Wonder tour in Japan 2023」を献身的にサポートされた千野秀一氏の姿が、さらにカウンター中央には、これまでライブに CD 制作にと原田氏とトリスタンに得難き共演の場を企画された off note レーベル主宰の神谷一義氏 (参考写真・ライブ:KAIBUTSU LIVES 2007/2010、CD:Ⅿargin[原田/トリスタン]・慟哭[原田/トリスタン/鈴木勲]の顔もあった。

その約1時間前。
いつものように、それはこの世に生を受けなかったフレーズの余韻のようなタイミングでその日の共演者を紹介する原田氏の「トリスタン・ホンジンガー」のコールから僅か数分後には、戸外に飛び出したトリスタンがいた。追いかけた私が差し出したライターをそれこそ奪う様に手に取り煙草に火をつけると如何にもうまそうに煙を吐き出しながらフッとため息をついて、私の方に身体を向け私の眼をじっと見つめ短く「アリガトウ」と呟き、そうしてニヤッと笑った。ただ、それだけだった。
これが、それまで畏怖の念さへ抱いていたトリスタンと私のファースト・コンタクトだった。
しかし、私はそんな彼にとても何かを話しかけようという気持ちにはなれずに、追って店から出てきた千野氏の顔を認めてから、再び店内へと戻った。
そこには、今日の演奏にすぐには立ち去り難い多くの聴き人が残っていたが、徐々にその人の波も引いて行くと、一部の人々はそれぞれ追加の飲み物を発注して、思いおもいのアフターの時間が静かに始まっていった。
ややあって、千野さんに伴われトリスタンが帰って来た。千野さんは、カウンターに座る原田さんと一言二言会話をした後で、既に私の後ろの席で喉を潤し始めていた (「コンポステラ」、「ストラーダ」等でお馴染みの、トリスタンとは沖縄の地で共演歴もあるという) 中尾勘二さんの隣りに腰を据えたが、トリスタンは依然入り口付近に佇み皆の様子を窺っている。その物静かな佇まいは今でも私の脳裡に強烈な印象として残っている。
思わず、激動のシーンに対する立ち位置もこんなものだったのかもなどと思い巡らすそんな時間が暫く続いた後、トリスタンが動いた。「トリスタンが来る」私の胸は高鳴った。
そうして私の方に歩いてきて、空いている前の席にゆっくりと腰を下ろした。
ややあって、彼の席にビールが運ばれてきたが、少し口に含んだだけで直ぐ彼の手が伸びたのは、やはり煙草だった。
ここでも、如何にもうまそうに煙を吐き出しながらフッとため息をついて、私の方に身体を向け私の眼をじっと見つめそうしてニヤッと笑った。ただ、それだけだった。
その後、小一時間の間に、私とトリスタンの間では、日本のビールのこと、煙草のこと、私の病気のことなど取るに足らない話題が上がっただけで、彼が自らの表現活動や音楽について話すことは一切無かった。
それは私には、今繰り広げられた時間が全てで、それ以上のことは、演者と聴き手の間には存在せず、ましてやそれを敢えて言葉にして共有することはいかにも無意味だ考えているようにさへ思えた。
それでも、私の背後にいる千野氏のことに話が及ぶと、今回のツアーにおける千野氏の手厚いサポート振り (聞けば、今回のツアーに際して、トリスタンの畳の上で寝たいというリクエストに対して千野氏はその根城に自宅を提供し万全の体制を敷かれたとのことだった) について語る際には、ここでも、私の方に体を向け私の眼をじっと見つめながら声のトーンを少し上げ熱く語ったのだった。
繰り返しになるが、私とトリスタンの間に自らの表現活動や音楽のことについての会話は一切無かった。
それでも、極めてたどたどしい英語による私の話に終始じっと耳を傾けてくれたトリスタンとのひとときは私にはおおいに充実した語らいの時だったという感慨が残っている。
我々の日常生活における「会話」を振り返った際、相手の方に身体を向け相手の眼をじっと見ながら話をするということが一体どれだけ出来ているだろうか?
トリスタン・ホンジンガーという人間はそれが出来る人だった。そこには人間の尊厳が備わっていると強く感じられた。
さして長く深いお付き合いの無い通りがかりの私が今回の追悼特集の末席に名を連ねることについては、正直悩んだ。
しかし、一瞬でも袖振り合ったこの表現者の崇高な人間性をひとりでも多くの皆様にお伝えしたい、しなくてはならないという強い思いが私を駆り立てた。

最後に、
親愛なるトリスタンさん!
私は、貴方の人に接する際の姿勢を生涯見習いたいと思います。
人と話す時は、(特にここが肝要ですが) 相手の方に身体を向け、相手の眼を見るなんて、人としてのキホンノキを改めて認識させてくれたことにとても感謝をしています。
何だか、お別れには似つかわしくない極めて稚拙な文章になってしまいましたが、貴方に伝えたい思いを素直に書かせて頂きました。
兎にも角にも、今は、清浄なる世界にて、安らかにお休みください。
2023年9月3日小野健彦拝

尚、添付写真最後には、今回のツアーに際し準備された (トリスタン画による) 記念 Tシャツを添付します。

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小野 健彦

小野健彦(Takehiko Ono) 1969年生まれ、出生直後から川崎で育つ。1992年、大阪に本社を置く某電器メーカーに就職。2012年、インドネシア・ジャカルタへ海外赴任1年後に現地にて脳梗塞を発症。後遺症による左半身片麻痺状態ながら勤務の合間にジャズ・ライヴ通いを続ける。。

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