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R.I.P. 杉田誠一No. 324

杉田誠一さんとジャズ批評 by 松坂ゆう子

杉田さんとジャズ批評の交流は、母の松坂妃呂子(2018年没)が1965年に東銀座に開店した「オレオ」から始まりました。映画少年だった杉田さんは中学生でアート・シアター・ギルドに衝撃を受けたという、大人びた少年で、当然のようにジャズ喫茶通いをし、大学生の一時期にはオレオでもアルバイトをしていました。副島輝人さんの『アワージャズ』(オレオ店内に編集場所を提供)に原稿を書き始め、ご自身でも1969年5月には月刊誌『Jazz』を創刊されます。この頃からジャズに対する情熱と行動力は高まるばかりだったようです。ジャズ批評へは同年発行の「第6号日本のジャズ」特集で <再び超ジャズについて> をご寄稿いただいたのが最初です。

 私がジャズ批評に関わったのは1998年からで、時々、母が長電話をしているお相手が杉田誠一さんでした。

©2013 Y.Matsuzaka

2013年発行の174号「日本映画とジャズ」特集では、表紙を写真家としても活躍されていた杉田さんが撮られた安田南と沖山秀子のアルバムジャケットで飾りました。ふたりに関しての杉田さんへのインタビューでは、70年代当時のことを生き生きと語ってくれました。

 168号(2018年)からスタートした『JAZZ meets 杉田誠一』は227号(2022年)まで不定期で掲載、長電話の相手も母から私に変わりました。日本のジャズ、ジャズメンに対し、大きな愛情を持たれていることを強く感じました。特に高木元輝さんのお名前は何度もお聞きしました。

母が亡くなる一年前、最後に杉田さんと話しがしたいという母の願いで、2017年7月に荒川区の自宅までいらしてくださったのがお会いした最後となりました。5時間くらいでしょうか、長時間ふたりで時を忘れて楽しそうに話し込んでいた姿を想い出します。(対談にまとめたものを207号に掲載)

本当に長い間、お付き合いいただきました。杉田さんありがとうございました。

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松坂ゆう子 

1960年東京生まれ。1980年桑沢デザイン研究所卒。1998年から母松坂妃呂子の興した雑誌『ジャズ批評』を手伝うこととなり、2018年より発行人となる。ジャズを愛する方々のおかげで2025年は創刊より57年目をむかえることができました。

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