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Monthly EditorialEinen Moment bitte! 横井一江No. 237

#04 コトバが伝えるもの ~ 詩:白石かずこ、音楽史/音楽批評:リチャード・タラスキン

text by Kazue Yokoi 横井一江

年末年始にかけて多くのメディアが行く年を振り返った特集を行う。音楽メディアでは常として、その年のベスト・アルバムの特集が組まれる。JazzTokyoでも「このディスク」、「このパフォーマンス」と題した特集を掲載している。音楽家の活動についてはそちらに譲り、私個人的に印象に残った2つの出来事をここで挙げたい。ひとつは白石かずこの全詩集『白石かずこ詩集成』と翻訳詩集『Sea, Land, Shadow』の出版とそれを祝う会、もうひとつは第33回京都賞思想・芸術部門(音楽)を受賞したリチャード・タラスキンの講演会である。

* 白石かずこ

白石かずこは、言うまでもなく日本を代表する現代詩人のひとりである。そしてまた、日本におけるポエトリー・リーディングのパイオニアであり、詩と音楽のコラボレーションでは独自の境地を拓いた第一人者だ。

その彼女の全詩集『白石かずこ詩集成』全3巻が書肆山田から刊行されることになった(第1巻:11月刊行、第2巻:2018年2月、第3巻:2018年5月刊行予定)。かれこれ30年に亘ってお付き合いさせていただいている私とすれば、これはとても嬉しい知らせであったのと同時に、彼女の詩が歴史の中に入ってしまうのかという、一抹の寂しさも感じた。人との出会いがあり、時々の風を受け止め、内なる声に耳を傾け、詩として形成されたヴィヴィッドなコトバは、私にリアルタイムで”なにか”を伝え、思考を促し、視野を広げ、未知の世界へと導いてくれた。それはリアルな現実に穿たれた言葉である。長編詩に限らず、ウィットに富んだ小品もまた社会に対する鋭い視線や人間や動物に対する深い愛情がコトバに内在するリズムとエッセンスから立ち上がってくる逸品がそろっている。

全詩集に先駆けて、翻訳詩集『Sea, Land, Shadow』(津村由美子訳)がアメリカNew Directionsから出版された。New Directionsはジェームズ・ラフリンによって1936年に設立された詩集を専門とする出版社で、ケネス・レクスロス編訳による白石の最初の翻訳詩集『Season of Sacred Lust』が1975年に出版されて以来これが4冊目である。タイトル詩「Sea, Land, Shadow」は、311直後の津波が去ったばかりの人気のない海岸を訪れ、帰京後すぐに書いた詩「海、陸、影」の英訳だ。ある日、電話で「詩が書けたの」と語り始めた彼女の話を聞きながら、当時80歳になったばかりなのにそのバイタリティーに驚かされ、詩人の性をつくづく感じたことを昨日のように思い出した。それは『現代詩手帖』2011年6月号に発表されたが、詩が作られてからすぐ津村由美子によって英訳もされていたのである。

翻訳詩集が出たこともあり、白石は70年代から随分と多くの詩祭に招かれ、世界中を旅している。日本には他にも優れた詩人がいるが、彼女ほど国際的な舞台から数多く声がかかった詩人はいない。それはなぜだろうとある時考えたことがある。おそらく、彼女の詩に内在するユニバーサルな感性ゆえに、異国でも共感を得ることが出来たのではないか。それはカナダ、バンクーバー生まれの帰国子女ということが関係しているのかもしれない。言語には背景となる文化の違いはもちろん現れる。だが、それを軽々と超えていく生まれ持っての天性の詩才が彼女にはあるのだろう。

10月28日、全詩集と翻訳詩集の出版を祝う会が行われたので出かけた。彼女が詩の朗読を始めた頃の仲間達、詩人、友人知人、何年かぶりで会う人も多い。彼女の詩の朗読会やインティメイトな集まりでよく顔を合わせていた人達が参集している。司会は高橋睦郎、吉増剛造らがお祝いを述べ、大野慶人が踊り、無国籍ダンサーのビアンカも色香を添える。白石自身も登壇し、バスクラリネットを手にした梅津和時を共演者に「海、陸、影」を読み始めた。

海、陸、影、岩沼
津波、津波がやってきた
だまってやってきて
だまって去ったが
・・・

その時、6年前のあの日々、その詩の情景がまざまざと浮かび上がってきた。そして、亡者達の言いしれぬ思いが言霊となって表れる。311の直後、これでもかという具合に次々とテレビに映し出される衝撃的な映像がまるで映画のワンシーンのようでリアリティを感じなかったのと対象的に、詩人のコトバに映像からは受け取れなかったアクチュアリティを感じたことを思い出した。とりわけ、JAZZARTせんがわでの井野信義と巻上公一との共演では、その世界に取り込まれ、異界に連れ込まれてしまったかのように感じた時のこともまざまざと甦ってきた。(それは2011年で最も印象深いパフォーマンスだったので、「このライヴ/コンサート2011(国内編)」で取り上げた。→リンク

そして、その時さまざまな言葉が飛び交っていたことも思い出していた。情報の切れ端が、とりわけSNSを中心にネット社会を通して世界中を駆けめぐり、FactとFakeが入り乱れる現象が加速していったのも311後だったのではないか。かつては信頼すべき情報を伝えていると信じられていた高級紙への信頼も落日していった。それはたまたま情報技術の進化の流れと自然災害が重なったということもある。このような事象は必ずしも311がもたらした結果とは言えないが、時流の流れの中で不安感にかられた人々の心情がそれを加速させたように思う。SNSでは人々の噂話、世間話の域を出ない文字情報が入り乱れ、本来なら近所づきあいのある人達、あるいは顔見知りの間で交わされるような言葉が見知らぬ人も巻き込んでいく。伝言ゲームのように人づてにマトモな情報も怪しげな情報も飛び交い、コトバが軽くなってしまい、リアルからかけ離れて人々を惑わしている。同時にFactも見えづらくなってしまう。情報の差異は人と人との間に見えない垣根を作り、ネット上に作られた無数のコミュニティの中に回収されている。

ふと私は白石の「GARTH-ちいさい 閉ざされた庭」(『現れるものたちをして』収録)の一節を思い出していた。

せまいと閉ざされ(囲われ)た庭は まもられているのではなく 内側には いくつもの闇が用意されている

詩人のコトバは示唆に富んでいて、時代を超克するものがある。

今や、誰もが情報発信源となり得る。だからこそ、どんどん加速する情報に流されずに、立ち止まってイマジネイションを働かせ、思惟することが求められているのではないか。詩はコトバで出来た彫像のようなものである。こんな時代だからこそ、詩が必要であるとつらつら考えたのだった。言語を扱う職業の人はもちろんだが、思考し、言葉で何かを伝えるということの意味と意義を我々はいったん再考する必要があるのではないか、と。

この日、彼女は初期のモダニズムの詩「卵の降る街」なども読んだ。三日満月(佐藤公哉/権藤真由)の2人も加わった。ビリー・ホリデイを想って書いた詩「ハドソン川」で共演したのは弟の白石惠一。彼女が詩の朗読とジャズのコラボレーションを始めたきっかけは学生時代からサックスを吹いていた弟の言葉によるという。異なった時代に書かれたが今でも輝きをもつ詩編の一節一節が音楽とまみえることでイマジナティヴな空間を立ち上げていく。白石は詩人であると同時に言葉のパフォーマーでもある。例えば、「卵のふる街」で喚起されるのはシュールレアリスティックな絵画の世界であり、「眼の窓」は爽やかに通り抜ける風のようで、「ハドソン川」はブルースの世界である。久しぶりに彼女のポエトリー・リーディングと音楽の交歓を体験した貴重な時間だったことも付け加えておこう。白石かずこは80代半ばの今もチャーミングである。

 

*リチャード・タラスキン

今年の京都賞思想・芸術部門の対象分野は音楽だった。4年前にセシル・テイラーが受賞したので(記事→リンク)、京都賞の名前がジャズ・ファンにも少しは知られるようになったと思うが、関西圏を除いて新聞では大きく扱われないため、簡単に説明しておこう。

京都賞は、京セラの創業者で名誉会長の稲盛和夫が私財を拠出し設立した稲盛財団が創設した「人類の科学、文明、精神的深化の面で著しく貢献をした人を顕彰」する国際賞で、先端技術部門、基礎科学部門、思想・芸術部門の各部門で「科学や文明の発展、また人類の精神的深化・高揚に著しく貢献した方々の功績を讃え」て授与している。各部門とも4つの対象分野があるため、それぞれの対象分野が回ってくるのは4年に一度である。今年は音楽分野が対象の年で、受賞者は音楽学者でカルフォルニア大学バークレー校名誉教授のリチャード・タラスキン博士だった。

写真提供:稲盛財団

前回セシル・テイラーが受賞した時もそれまでの受賞者の大半が作曲家であったこと、西洋芸術音楽以外のジャンルから受賞者ということで驚いた人も多かったと思うが、今回は音楽家(作曲家、演奏家)ではなく、音楽学者の受賞ということを意外に思った人も多いのではないかと想像する。おそらくそれは本人も同じで、授賞式での「京都賞は贈り物、認めていただいたということです。それは業績自体にではなく、その試みに価値があると認識していただいたということであり、励ましをいただき、これからも京都賞の名に恥じないように志を新たにしております」という言葉に表れていた。

私自身専門外なので、10名の学者の論文をまとめた『ニュー・ミュージコロジー 音楽作品を「読む」評論理論』(慶応義塾大学出版会)に彼の論文が収録されていることとNew York Timesに書かれた批評ぐらいしか知らず、この機会にタラスキンのこれまでの業績を調べてみたが、研究者として、「謙虚にして人一倍の努力を払い、道を究める努力をし、己を知り、そのため偉大なものに対し敬虔なる心を持ちあわせる人」という京都賞の理念に叶った人だということがわかった。とりわけ6巻4000ページ以上の『The Oxford History of Western Music』(Oxford University Press, 2005)を著したことは驚きに値する。『ニュー・ミュージコロジー』で読んだ論文はタラスキンの碩学ぶりがよくわかる文章だった。尤もNew Ylork Timesへの寄稿文はそれとは異なっていたが。

京都賞の贈賞理由の末尾にはこのように書かれていた。

タラスキン博士は、音楽に関する従来の批評と学問との境目を取り払い、また伝統的な音楽史学と民族音楽学との境目を取り払うという新たな次元を音楽研究に切り拓いた。音楽において、作曲や演奏だけではなく、緻密なことばを通して文脈化する作業がきわめて創造的であり、世界の音楽文化に貢献するものであるということを、きわめて高い次元で示した。

この「音楽史研究と批評を通じて基本概念や作曲家像を決定的に更新し、音楽観の変革を促してきた知の巨人」と評されたタラスキンの講演はいかなるものだったのか。「思い通りの人生/思いがけない人生」と自身のこれまでを学者人生を振り返って語った講演は、語り手としても巧みで、専門家ではなく一般聴衆向けということもあったのか極めてわかりやすく、納得のいくものだった。例えば、彼は自らのキャリアを題材にして音楽史家らしくこう語る。

私が手にした偶然の仕事、後では筋の通った話に聞こえます。どんなキャリアでも振り返ってみれば一貫性のある話のように見えるものです。それが起こるまでは偶然でしかない。この考察は歴史家には非常に重要です。歴史家は事象とその結果を知っているので、それを使って決定論的なナラティブを構築したくなる。それを試補するような法則を見いだそうとする。これは歴史記述に良くない。このような歴史的な決定論は全体主義者に都合よく使われてきたからである。

また、1980年代に議論を巻き起こしたという、その時代の古楽演奏の真正性(オーセンティシティー)、真正な演奏とは作曲されて間もない200~300年前と同じように演奏することではなく、それは古い時代の奏法ではなく、実は現代の考え方に大きな影響を受けた奏法なのだということ、つまり真正性を18世紀よりも20世紀初頭のモダニズムに結びつけて考えたことについても専門外の私にも納得のいく話だった。

印象深かったのは、ストラヴィンスキー研究や西洋音楽史のような長い著作をまとめた彼が、大衆音楽学者として一般誌、とりわけ1990年から2012年にかけてNew York Timesに批評を寄稿したことは、彼の重要な作品ではないが、簡潔に書くことのトレーニングになり、論文だけ書いていたのでは得られない重要な学びになったと語ったことである。短く書くことができたので出版社には長い著作も出すことができたからであり、彼は学生に常にこう言ったという。

あることを言うのであれば、どんなに難しいことであろうと、なるべく少ない言葉で言うように努力しなさい。

これは重要なことで、音楽批評に関して私は師は持たなかったが、若い頃、昵懇にしていた先達から一言言われたことがある。それは「なにかテーマを決めて原稿用紙1枚(400字)にきちっと収まるように書くことを練習しなさい」ということだ。タラスキンの言葉を聞いて、このことをふと思い出したのである。

オックスフォード大学出版局提供

タラスキンは講演会の終盤、自らの受賞をこう分析していた。

(京都賞の受賞は)最近の変化も寄与しているのではないかと思います。歴史家の間では、経済社会のグローバル化が歴史事実にもその影響をもたらしていると認識されています。リチャード・エヴァンスは20世紀ドイツの歴史で有名な歴史家ですが、彼は歴史的評価というのは狭義の経験的なモノグラフで決められるものではなく、新しい概念、方法論、新たな解釈、大胆な野心的統合作業によって決まるのだと言っています。それは良くも悪くも私です。

興味深いことは、YouTubeでアップされていた稲盛財団によるオフィシャル・インタビューでタラスキンが「私にとって価値をもつのは音楽学が学術研究の一分野としてのみならず音楽の一分野として認められたことです。音楽学者はみな本当に研鑽を積んだ音楽家であり、研究は音楽の実践の一部であると考えています」と語っていることである。さらに「論評は音楽の進歩の重要な要素であり、これまでもそうした私たち音楽学者は決定的な役割を果たしていると自負しています」と位置づけていることにある。これには異議を唱える音楽家が出てきそうだが、書き手というのもまた重要な役割を担っているのである。そのことに我々音楽について文章を書く人間はもっと自覚的になるべきなのではないかと思った。

最後にタラスキンが授賞式でのスピーチを締めくくっていたアレン・テイト(詩人・批評家)の言葉の引用を記しておこう。

我々、文芸評論家の試みは常に不可能だが常に必要なものだ。

 

【関連リンク】
京都賞Website:
http://www.kyotoprize.org/

Reflection of Music Vol. 30 セシル・テイラー:
http://www.archive.jazztokyo.org/column/reflection/v30_index.html

横井一江

横井一江 Kazue Yokoi 北海道帯広市生まれ。音楽専門誌等に執筆、 雑誌・CD等に写真を提供。ドイツ年協賛企画『伯林大都会-交響楽 都市は漂う~東京-ベルリン2005』、横浜開港150周年企画『横浜発-鏡像』(2009年)、A.v.シュリッペンバッハ・トリオ2018年日本ツアー招聘などにも携わる。フェリス女子学院大学音楽学部非常勤講師「音楽情報論」(2002年~2004年)。著書に『アヴァンギャルド・ジャズ―ヨーロッパ・フリーの軌跡』(未知谷)、共著に『音と耳から考える』(アルテスパブリッシング)他。メールス ・フェスティヴァル第50回記。本『(Re) Visiting Moers Festival』(Moers Kultur GmbH, 2021)にも寄稿。The Jazz Journalist Association会員。趣味は料理。当誌「副編集長」。 http://kazueyokoi.exblog.jp/

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