エルメート・パスコアール逝く
魔術師(Bruxo:ソーサラー)の異名を持つブラジル音楽の革命児エルメート・パスコアールが9月13日20時22分、入院中のリオデジャネイロ・サマリターノ病院で亡くなった。享年89。死因は、肺線維症による呼吸器系の合併症に起因する多臓器不全。エルメートの主奏楽器は、アコーディオン、ピアノ、フルートだが、身の回りの日用雑貨すべてが彼の手により楽器と化した。コンポーザー、アレンジャーとしても知られる。
1936年6月22日、ブラジル北西部、アラゴアス州アラピラカ生まれ。幼少の頃からアコーディオンを学び、14才の時にレシーフェへ移住、18才からピアノを学び始める。リオを経て25才の時にサンパウロへ移住、フルートを習得した。サンパウロでは積極的に演奏活動を展開、録音も始めた。1969年、アイアート・モレイラとフローラ・プリムの招きで渡米、国際的なキャリアのスタートとなった。
ジャズとの関わりは、1970年録音のドナルド・バード(tp)の『エレクトリック・バード』(Blue Note) 。モレイラの誘いで<Xibaba>にフルートで参加。同年録音のマイルス・デイヴィスの『Live EvilLive-Evil』では、8曲中3曲を提供、<Little Church>ではエレピとホイッスル、<Nem Um Talvez>と<Selim>ではヴォーカルを担当した。
1973年にはブラジルに戻り、ブラジルでの初めてのソロアルバム『A Música Livre de Hermeto Pascoal』を制作、1976年には、動物、風、水などの自然界の音や、電子機器、やかん、洗面器などの日用品の音から「音楽を引っ張ってくる」という最初の実験を行ったアルバム『Slaves Mass』をリリース、このアルバムは後に「サウンド・オブ・オーラ」と名付けた独自の音楽概念の基となった。
2009年には自作曲614曲の著作権を放棄、2023年にはジュリアード音楽院から名誉博士号を授与された。