ヒロ・ホンシュクの楽曲解説 #1 ~『ロバート・グラスパー・トリオ/カヴァード』
Blue Note/ユニバーサル・ミュージック
UCCQ-1042 定価2,300円(税別)
ロバート・グラスパー(p)
ヴィセンテ・アーチャー(b)
ダミアン・リード(ds)
- イントロ
- アイ・ドント・イーヴン・ケア
- レコナー (レディオヘッド)
- バラングリル(ジョニ・ミッチェル)
- イン・ケース・ユー・フォガット
- ソー・ビューティフル(ミュージック・ソウルチャイルド)
- ザ・ワースト(ジェネイ・アイコ)
- グッド・モーニング(ジョン・レジェンド)
- 星影のステラ(ビクター・ヤング)※日本盤のみExtended Version収録
- レヴェルズ(ビラル)
- ガット・オーヴァー
- アイム・ダイイング・オブ・サースト(ケンドリック・ラマー)
- ディラルード
録音:2014年12月2、3日@ハリウッド・キャピタル・スタジオにてライヴ録音
Produced and arranged by Robert Glasper
Co-producer & A&R : Don Was
筆者は恥ずかしながら「ロバート・グラスパー・エクスペリメント」以外の彼の活動をまったく知らなかった。今回の新譜、『カヴァード』について解題執筆の必要があって初めてブルーノート契約時の2作はトリオだったと学んだ次第。急いで試聴してみると、当時はもっとストレートなジャズ寄りの演奏をしていたのだと知った。10年前の話だ。
その当時と同じリズム・セクションでありながら今回の新譜『カヴァード』は、ロバート・グラスパー・エクスペリメント(以下、エクスペリメント)でやってきた音楽をそのままアコースティック・トリオに移植したという印象を受ける。ただしここで言うそれは『ブラック・レディオ』などで代表されるラップ系の音楽ではなく、ライブでやってきたスリル満点のインプロ音楽である。
グラスパーの一貫したスタイルと言えばまず思い当たるのがライブで見るDnB(ドラムンベース/ジャングル)ビートだ。ただし筆者がここでDnBと言うのは、一般的に聞かれるファンクビートを2倍の速さで演奏するという、単にドラマーが演奏するパターンのカテゴリーを言葉にする手段であって、音楽スタイルのそれを記しているのではない。グラスパーのバンドの特異さを語る前にまずタイム感の概念を共有しておきたい。
タイム感
タイム感というのはそれぞれの文化と根強く関係し、当事者たちはまったく考えずに自然に生み出しているということである。反対に身についていないことをしようとするにはかなり深い理解と訓練が必要になる。筆者がここで述べることは在米28年間を通してアジア人の目から解析したことである。
すべての音楽にはまず「パルス」が存在する。言語学のことは無知だが、話す言葉と関係があるのではないかと思う。「パルス」はメトロノームのクリック位置ではない。「パルス」は人間の鼓動がまちまちであるように文化によって違いが現れるものである。欧米の民族音楽はほとんどダンスミュージックである。古くはジーグ、サラバンド、ワルツなど、教会音楽以外は踊るためにあった。そこに一定して繰り返される「パルス」が存在する。そして文化によって「パルス」の位置が違う。例えば攻撃的なラテン語系を話す文化ではメトロノームが数学的に刻むクリックより前に、ポルトガル語やフランス語を話す文化ではクリックより後ろに、というようにだ。蛇足だが、中部~北部ブラジルのミュージシャンがブラジル音楽をラテン音楽と言われると気分を悪くする理由はここにある。
教会音楽から始まるクラシック音楽は少し違う。踊るための音楽ではないので「パルス」は自由に前後する。ルバートとかアドリビタムと呼ばれる部分だけではない。バロック音楽で上昇系や期待感などを植え付けるラインでは前に、終わり感、区切り感を必要とする部分では後ろに、というように微妙に変化をつけなくては音楽的に聞こえない。当時は楽器自体に強弱があまりなかったので、タイム感で表現することが特に重要であったと思われる。大前提として演奏者全員がリーダーに従って「パルス」を合わせて演奏する。ここが民族音楽と違う。民族音楽では演奏者全員がリーダーに従って「パルス」を合わせるという大前提がない。「パルス」が一定に繰り返されなければ踊れない、という方が大前提だ。
5つのタイムの要素に目を向けてみよう。
・メトロノームのクリック
・パルス(メトロノームのクリックより前か、同じか、後ろか)
・On Top Of The Beat(オン・トップ・オブ・ザ・ビート:パルスより前)
・On The Beat(オン・ザ・ビート:パルスと同じ位置)
・Behind The Beat(ビハインド・ザ・ビート:パルスより後ろ)
番外的に、「滑って走る」というタイム感があるが、当然テクニックの欠如によって生み出される醜態であって、意図的に作られるものではない。
ラテン音楽はまずパルスがメトロノームのクリックより前だ。そしてすべてのパーカッション楽器がさらにパルスより前のオン・トップだが、全員同じ位置ではない。カウベルなどが一番前に行ってバンドをドライブする。
反対にブラジル音楽はパルスがメトロノームのクリックより後ろだ。そしてすべてのパーカッションがそれより後ろのビハインドに位置する。パンデイロやトライアングルなどはパターンの中で最後の16分音符などを驚くほどビハインドに置いてグルーヴさせる。
アフリカの言語に対してはまったく無知だが、アフリカの影響が強く残るレゲエなどのウエスト・インディア音楽のパルスは前なのに対し、基本的にパルス位置のOn The Beatだ。ジャマイカ人の英語はかなり打楽器的で、彼らのグルーヴもそこに関係していると思う。カリブ系の音楽はこのタイム感で共通部分が大きい。以前にジャマイカで元ウエィラーズのドラマーと共演したことがあるが、オン・ザ・ビートのスネアで興奮するほどのグルーヴを味わったのが忘れられない。
では、人種のるつぼ、アメリカの音楽はどうであろう。ブルースやR&Bなどがビハインドなのは容易に理解できるだろう。ところがジャズはもっとも複雑な要素をもっている。まず注目したいのはバード以前のジャズとそれ以降のジャズの違いである。当時の録音を聴いてみよう。現在のようにマルチ・チャンネル録音などない時代で、バンドの前にマイクを一本立てただけの録音だ。ベースに注目して欲しい。バード以前のジャズではベースラインがはっきり聴こえない。なぜならベースはドラムと同じ位置にいるからである。バードの時代、ミンガスやローチが新しい音楽を作り出した。ベースがオン・トップ・オブ・ザ・ビートで、ドラマーのハイハットかライドがビハインドに位置し、そこにできたタイムの幅に対してインプロヴァイザーがオン・トップに駆り立てたり、ビハインドでレイドバックしたりしてブルーヴを作り出す。バップの誕生である。蛇足だがポール・チェンバースなどは『Bass On Top』というアルバムまで出してしまっている。
このバップで築き上げられたタイム感が現在まで継承されている。もしドラマーがライドでチンチキとやりだして、ベースがウォーキングベースを弾きだしたら、ベースは必ずオン・トップで、ライドはビハインドでなければグルーヴしない、という暗黙の約束である。
レイ・ブラウン、ハーブ・エリス、モンティー・アレキサンダーのトリオを見た時、ブラウンの足のタップまでが驚異的にオン・トップだったのを思い出す。休憩時間にエリスに「なぜ釣られて走ってしまわないのか」と聞いたところ、「オレたちゃグルーヴしてるんだぜ」という答えが返ってきた。
筆者がボブ・モーゼスと演奏していた頃の話である。自分のライドのビートを聴かせてみせて、「まずパルスを仕切り棒に想定し、そのパルスをゴムの紐で繋げてると想定しろ。そしてそのパルスの棒を左右に思いっきり広げてゴムの紐を伸ばすようなタイム感で演奏しろ」と言われたものだ。
余談だが、タイム感の文化的違いには前述の言語の他に歩き方もあると思う。土足民族の欧米人は踵から歩き、畳民族の日本人はつま先から歩く。ブラジルの音楽がすべて2拍子なのは、彼らの踊りは左、右、と足踏みをするのが基本だからだと思う。アメリカ音楽は4拍子だが、歩くビートはダウンビートではなくアップビートだ。黒人などの歩く時のヒップの動きを見ているとよくわかる。じつはその歩き方はブラジル同様2拍子だが、その2拍をアップビートに感じるから中間にダウンビートが発生し4拍子になる。
One Two Three Four
歩く時に踵が地に着くのが2と4ということである。そう思って自分も踵から歩くとグルーヴしながら楽しく歩けるので是非試してほしい。ジャズ、ファンク、ソウルより遅いテンポであるブルースやR&Bなどの伝統的アメリカ黒人グルーヴは12拍子である。これは、遅いので4拍全部がダウンビートとなり、1拍ずつが3等分されて4つのビートが合計12刻みになるということである。ジャズを演奏する時に8分音符を『タ・タ・タ・タ・タ・タ・タ・タ』と演奏せず、『ァータ・ァータ・ァータ・ァータ』と演奏しないとグルーヴしないのは周知であるように、遅い曲ではビートを3等分でグルーヴするということである。アップビートで感じたり、3等分で感じたり、アメリカ音楽は基本的にビハインドだ。ファンクやソウルなどのストレート・フィールでもパルス自体はビハインドだ。バップのベーシストたちがバンドをドライブするためにオン・トップ・オブ・ザ・ビートで演奏することを始めたのがじつに歴史の分かれ目なのである。それ以前は、少なくともビートの視点からは、ヨーロッパから入ったクラシック音楽の延長だったと言えよう。ロン・カーターとトニー・ウィリアムスを聴いているとバップから始まったジャズのビート概念がさらに発展していっているということがわかるだろう。
グラスパーの音楽
グラスパーの音楽は正確にはジャズのタイム感ではない。ドラマーのキックドラムとベースが必ずオン・ザ・ビートでロック(同期)しているので、むしろRnBのタイム感だ。ところが彼が雇うドラマーはトニー・ウィリアムスのようにオン・トップにもビハインドにも混合自在・変化自在のドラマーばかりだ。そういうドラマーに高度なDnBパターンを演奏させて自分は独自のタイム感で全く新しい音楽を作り出す。グラスパーの左手はエロール・ガーナーのようにレイドバックしているのに、右手はまるでチック・コリアのように噛み付くタイム感を見せる。エクスペリメントのライヴではベースのデリック・ホッジスのファンキーで柔軟に対応変化するプレイと、DnBのグルーヴがおいしいマーク・コーレンバーグのドラムが至極だ。自分の目指す音楽のために如何にいいリズム・セクションを探すかがどれほど重要かよく理解できる。
今回のアルバム『カヴァード』のリズム・セクションは、どうも10年前のメンバーを呼び戻したのではなく、このトリオはエクスペリメントと並行して活動していたらしい。アルバムの最初で、今まで録音のチャンスがなかっただけだと本人の語りが収録されている。10年前のジャズ・アルバムの時とは全く違った演奏になっている。ドラムのデミオン・リードはエクスペリメントのコーレンバーグ同様素晴らしいDnBのビートを醸し出す。ベースのヴィセンテ・アーチャーはエクスペリメントのホッジスの自由だがパターンは保つファンキーなベースに比べ、アップライト・ベースのせいかかなりジャズ系のベースだ。グルーヴを大切にパターンをキープするのがいいのか、それとも素晴らしいDnBのビートさばきをするリードのドラムに対してジャズ系のベースで変化を作るのがいいのか、賛否が分かれるところかもしれない。
*
少し収録曲について触れてみたいと思う。グラスパー音楽のユニークなグルーヴ感に焦点を当てて書くことになるのだが。
I Don’t Even Care
トラック1のイントロの語りを終え、最初の曲は『ブラック・レディオ2』にボーナストラックとして収録されていた<I Don’t Even Care>だ。邦訳すると“勝手にしてくれ”だろうか。『ブラック・レディオ2』に収録されていたオリジナルはかなり攻撃的なラップの曲と記憶する。それとまったく違い、リリカルなピアノから始まり、いきなりリードの素晴らしいDnBのドラムビートが始まる。実に素晴らしいビートである。コード進行はこのアルバムのほとんどがそうであるように単純なループだ。
||: D- | D-/C | B-7(♭5 ) | B♭Maj7 :||
グラスパーがこのアルバムで目指したのはポップ系の曲であるから、こういうループ進行がほとんであることも10年前のトリオ・アルバムと大きく違う。また、こういうループ進行だからこそ自由に変化できる。これはグラスパーがエクスペリメントのライヴで演奏していたことそのままだ。
その後始まるグラスパーの自由に駆け回るインプロに従ってアーチャーがDnBスタイルではなく、ジャズロックっぽい自由なベースラインを発展させている。そのグラスパーのインプロと言えば、最初はレイドバックで始めるも次第に驚異的なオン・トップ・オブ・ザ・ビートで攻撃的なタイム感に移行する。単純にテクニックを見せびらかしているのではなく、明らかにタイム感で訴えている。こういうハイテクニックなフレーズを次々に出しても常に70%のちからで演奏し、絶対に聞き苦しくはならないのがさすがだ。面白いのは、タイム感がチック・コリアに似たオン・トップだけではなく、なんと<Matrix>(編集部註:『チック・コリア・トリオ/ナウ・ヒー・シングス、ナウ・ヒー・ソブズ』1968 収録曲)からのフレーズが2、3顔を出し、グラスパーというのは自分の演奏に恐ろしく意思表示をクリアーにできるアーティストだと感嘆した。チック・コリアのように聞こえないのは左手のタイム感が違うからだ。
Reckoner
この曲はレディオヘッドのスタンダード曲だ。まずルーパーに録音してあったと思えるハイハットで始まるのが興味深い。続いてリードのポップロックと思われるドラムパターンが静かに始まるが、ここでもスネアとキックドラムがしっかりとDnBのパターンを尊重している。インプロのコード進行はレディオヘッドのオリジナルを変更している。
オリジナル
||: E- | D | C | E- | C | C :||
グラスパー・バージョン
||: E-7 | B-7 | CMaj7 | CMaj7 :||
インプロのしょっぱなにいきなりブルーノートのB♭を引っ掛けるところがおいしい。ブルースのフレーズはどんな状況でもお洒落だ。グラスパーのインプロは前曲とまったく正反対に、右手が左手よりビハインドなタイム感でグルーヴする。左手がオン・トップなのでは決してなく、左手もパルスぎりぎりビハインドで右手がそれよりもビハインドでグルーヴしているという、ブラジル音楽に似たグルーヴ感で実に気持ちがいい。ただ、こういう曲作りをするからスムーズジャズと理解されることもあると思う。
スムーズジャズと言われるのが嫌だと言わんばかりにもう一度ブルース・フレーズを入れた後、にじり寄るようにCMaj7上でB Mixoのフレーズでアウトを弾き始めた途端になぜかフェードアウトする。次にフェードインする時、違う曲なのかと思ったらルーパーのハイハットがまだ続いているのに気がつく。ルーパーのハイハットはいまだ4/4なのに対してバンドはなぜか3/4になっているのが面白い、と思うまもなく30秒でまたフェードアウトしてしまった。もしやマイルスの<Katia>(編集部註:『マイルス・デイヴィス/ユア・アンダー・アレスト』1985収録)のようなことをやりたかったのだろうか?
Barangrill
ジョニ・ミッチェルの有名な曲だ。ベースラインの4-3-1、つまりA♭-G-E♭という下降するラインが実にこの曲のキャラクターになっている。ただこの曲でとくに感じたのは、ベースの音の輪郭がはっきりしていないミックスにやや問題があるのではないかということだ。
メロディーラインはミッチェルの曲なので当然ややこしい。この曲ではこのアルバムで初めてDnBのパターンを使用していない。むしろ80年代のジャズロックバラード系だ。注目したいのはリードが叩くライドシンバルだ。微妙にオン・トップ・ザ・ビートでこの曲をドライブしている。それなのにキックドラムはベースとぴったりオンの位置にいる。それに対してグラスパーは一貫してビハインドで弾いている。じつにスリリングだ。インプロ・セクションはミッチェルのオリジナルのフォームをキープしながらもE♭ペダルの部分では自由にハーモニーを取替え引き換え楽しんでいる。ピアニストならではの楽しみである。
In Case You Forgot
この曲は筆者のお気に入りのひとつである。冒頭でいきなりラヴェルが書きそうなモチーフをグラスパーがソロでフリーインプロを展開していく。チック・コリアの影響が聞こえるようなフレーズをわざと出しているようだ。繰り返しになるが、ここでグラスパーのタイム感がチック・コリアのそれと違うのは左手をビハインドに置いてスパニッシュ/ラテン音楽との大きな違いを出し、パルスが一定でないこのような曲でも彼独自のユニークなサウンドを出しているのが素晴らしい。チック・コリアはラテンのタイム感をジャズに取り入れて歴史を変えた貢献者だが、それに対するグラスパーの答えがこれなのかもしれない。
注目したいのはベースソロ直前に数回とドラムソロ直前とに現れるチック・コリア風の2小節パターンとそれを導くヴァンプの演奏のされ方の違いである。ベースソロ直前の数分はそれこそラテン音楽のようにオン・トップで食いついたドライブをするのに対し、ベースソロの後の同様のヴァンプはまったく正反対にビハインドで演奏されている。ただしヴァンプのあいだリードのスネアだけがオン・トップで食い込んでドライブするので、いったいこれから何が起こるのか、と期待感を持たせてくれる。これとまったく同じタイム感でトラックの終わりを迎えるに当たってフェードアウトしていくのはじつに面白いアイデアだ。
So Beautiful
この曲も筆者のお気に入りのひとつである。オリジナルはミュージック・ソウルチャイルドのコンテンポラリーR&B(今は死語となったスムーズジャズと言った方が当てはまっている気がする)の曲で、グラスパーはかなりオリジナルを尊重する構成にしている。[ドドレー]とリピートするモチーフでオリジナルに親しんだ聴衆を安心させてくれる。ただしここでもリードのドラムはDnBパターンなのが嬉しい。
他曲と同じようにコード進行は単純なループだ。
||: B♭・ F/A | G-7 | D-9 | A- :||
インプロの頭でいきなりB7(#11)→B♭7(#11)→A7(#11)→B♭というモード・アプローチでアウト感をちらっと見せたとたんにインサイドに戻って、何事もなかったようにゆったりとグルーヴを続ける。その後もほんの数回クロマチックなリハーモナイゼイションを聞かせるが、隠し味のようにして前面に出してこないのが非常にお洒落である。グルーヴは原曲のアウターアワーズスタイルを尊重して、左手はぎりぎりビハインド、右手はそれよりもっとビハインドで心地よい。この曲ではアウトする時でも例のチック・コリア風のタイム感は決して出さずに、ひたすら心地よいグルーヴを崩さない。7割のちからで演奏を続けられるのは相当ハイレベルなテクニックを保持し、それに対しての自信が確固としているからだろう。
曲の最後でミュージック・ソウルチャイルド氏のグラスパーへの留守電メッセージのような録音が流れる。「ビューティフルだとかラブとか口に出して言うことは、このすさんだ世の中で大切なことだよね」「結局は自分で自分をどう見るかだよね」などと言っている。このテープが流れる間のゆったりとしたグルーヴが気持ちよい。
The Worst
Jhené AikoというコンテンポラリーR&Bの歌手の作品らしいが、勉強不足でオリジナルを知らなかった。どうも日系三世らしく、AIKOというのは本名のミドルネームである日本名らしい。
グラスパーのピアノイントロに続きリードのドラムがマレットで入る。Tongue Drumの音を再現しているようだ。じつに新鮮なアイデアだと感心する。
コード進行はさらにシンプルに2コードだ。
||: C#-7 | C#-7 | AMaj7 | AMaj7 :||
インプロの途中でグルーヴ感が高まる時に、グラスパーはなんとレッド・ガーランド風のブロックコードを始める。そして左右の手のタイミングをずらしてもっとグルーヴ感を付け始める。一度だけBをCと弾き間違えるがグルーヴしているのでミスタッチなぞ関係ない。
インプロのあと美しい第二主題に移るが、そのハーモニーがなかなか美しい。
||: E♭-7 | D♭/F | G♭-6 | DMaj7(#11) :||
この部分を何度も繰り返すのだが、じつはリードのドラムがジャズ・アフロのパターンに変わっており、DnBではパターンに忠実なリードがここでは自由にグルーヴを展開する。こういう微妙な構成がおいしい。
Good Morning
ジョン・レジェンドのヒット曲であるこの曲は原曲と同様スロー・ヒップホップビートである。個人的には原曲の打ち込みのビートよりこのアルバムのリードのドラムが好きだ。ブラシで叩いているのにタイム感は予想に反して微妙にオン・トップ・オブ・ザ・ビートだ。わくわくする。
この曲はめずらしくヘッドのコード進行とインプロのコード進行がちがう。
ヘッド
||: GMaj7 | FMaj7 | B♭Maj7 | D7 :||
インプロ・セクション
||: E♭Maj7 | C-7 | A-7 | D7 :||
Stella By Starlight
ここで唯一のジャズ・スタンダードが登場する、が、当然予想するような構成ではない。ヘッドをルバートでフィニアス・ニューボーンJrを思い起こさせるようなスタイルなどを混ぜてスリル満点に弾いたあと、いきなりリードのハイハットがブラシで、しかも倍テンポで入り、スネアはバックビートだ。コード進行は下降系のループ。
||: A♭・G-7 | G♭Maj7・ F-7 | E7 ・E♭Maj7 | D-7 ・D♭Maj7 :||
この進行はどうやらブリッジ部分のリハーモナイゼイションらしい。グラスパーのソロはチック・コリア的な喰いつくオン・トップのタイム感だ。リードのスネアもオン・トップで叩いているので、一貫して忠実にベースラインをキープしていたアーチャーが一瞬我慢できずにジャズラテンのパターンを弾いて、すぐに引っ込めている。
ヘッドに戻ると今度は違う下降系のリハーモナイゼイションだ。ただし最初の2小節(オリジナルの4小節相当)だけである。
|| B-7(♭5) ・B♭Maj7(#11) | A-11・ B♭-/A♭ ||
そしてエンディングのヴァンプに入るが、このコード進行も面白い。
||: D♭Maj7・F-7 | G♭Maj7・D-/C :||
そしてドラムだけが残ってフェードアウトする。
Levels
オリジナルはBilalのかなりエレクトリック・ダンス系の曲らしい。雰囲気を変えてグラスパーのソロピアノで叙情的に始まるが、真ん中あたりでリズム・セクションが徐々に参加し、リードが速いハウスビートをソフトに叩き始める。このキックドラムが素晴らしい。ソフトに叩いているのに恐ろしくドライブしている。リードのドラムがダブルタイムフィール、それに対してピアノとベースはハーフタイム・フィールという構成だ。ピアノインプロが進むにつれリードはスネアとタムとライドを自由にジャズっぽく入れるがキックは一貫してハウスビートでドライブしているのがすごい。
この曲は他の曲と違い3つのループから構成されている。
ループ1
||: G-7 | D-7 | F-7 | D-/C :||
ループ2
||: G♭dim | G♭dim | G-7 | E♭Maj7 :||
ループ3
||: G-7・G-7・G-/F・G-7/D | E♭Maj7 :||
Got Over
このテイクは語りとその伴奏だ。クレジットにはハリー・ベラフォンテが語りとあるのは意外だった。語りの内容は、「自分は黒人に不利なこの世の中で生き残った者のひとりだ」といった内容だ。Got Over、つまり、もう気にしなくなった、という意味のタイトルである。「この歳になり、余生も短くなり、自分のことを考えてみる。高校中退の自分は運良くハーレムから逃げ出せ、名誉博士号などももらい、ようやっと自分が有色人種であることを無視できるようになった人間のひとりだ」という内容をとつとつとベラフォンテが語る。
I’m Dying of Thirst
続いてこれもまた政治的メッセージの語りとその伴奏だ。Got Overで重い雰囲気の後にリードのユニークなアフロのパターンが始まって期待感が持ち上がったところでいきなり子供の声で名前が次々に読み上げられる。筆者が知っている名前から察して、最近警官に不当に虐殺された黒人の名前のリストなのだと思う。子供が語る強烈なブラック・プライド・ムーブメントのメッセージだ。
*
アメリカの人種差別問題は根深いし、歪んでいる。黒人のコメディアンは黒人と白人を嘲笑するようなアクトをしても笑いを取れるが、白人がそれをやると刑事問題にすらなる。黒人がブラック・パワーを提唱すればただの市民運動だが白人がホワイト・パワーを提唱すれば人権問題だ。なぜ両方同等に問題にならないのだろう。ジューイッシュとモスラムも同様だ。モスラムを種にする冗談は許されるがジューイッシュならすぐに新聞沙汰だ。理解に苦しむ。(本宿宏明)