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Jazz and Far Beyond

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CD/DVD DisksNo. 321

#2363 『如意ン棒 / ぜんぶ、流れ星のせい』

text by Masahiro Takahashi  髙橋正廣

Somethin’Cool SCOL1077 ¥3,000(税込)

纐纈之雅代 (Saxophone)
潮田雄一 (Guitar)
落合康介 (Bass,馬頭琴)
宮坂遼太郎 (Percussion)

01.St. Louis Blues (W.C.Handy)
02.如意ン棒 OUT (纐纈之雅代)
03.あやめ (纐纈之雅代)
04.Lonely Woman (Ornette Coleman)
05.煩悩という名の扉  (纐纈之雅代)
06.ひかりのぼくら (纐纈之雅代)
07.へび使いごっこ (纐纈之雅代 潮田雄一 落合康介 宮坂遼太郎)
08.如意ン棒 IN (纐纈之雅代)
09.月と海 (纐纈之雅代)
10.Beatnik (纐纈之雅代 潮田雄一 落合康介 宮坂遼太郎)

Recorded at King Sekiguchidai Studios, November 07, 2024
Recording & mixing engineer: Yuuichi Takahashi
Mastered at King Sekiguchidai Studios, November 08, 2024
Mastering engineer: Shinji Yoshikoshi
Director: Ryoko Sakamoto
Produced by Kenny Inaoka


6億年前の地球に存在したゴンドワナ超大陸。その後長い時間を掛けてゴンドワナは分裂し現在の姿になった訳だが、モダン・ジャズの歴史をこの超大陸になぞらえて俯瞰すると、その中心核に君臨したのは間違いなくチャーリー・パーカーだった。そこから多くのミュージシャンたちがパーカー・イディオムを受け継いで百花繚乱のモダン・ジャズ大陸/亜大陸を形成した。

パーカー派とされた多くのアルト奏者の中でもエリック・ドルフィー、アンソニー・ブラックストンは異色ながらパーカー直系のスタイルを継承している。本邦において異端の後継者を探すならば阿部薫か。纐纈の本アルバムを聴き込むに際して阿部の『惑星パルティータ』(1973)、『なしくずしの死 MORT A CRÉDIT』(1975)を聴き直してみた。

阿部の演奏は己の肉体と精神の崩壊と引き換えに魂の吐露とも言うべき壮絶なパフォーマンスを発現する中で極限状態に己を追い込んでゆく最もラディカルで凄惨な自傷行為である。それは他者との共同作業を拒絶したところから出発している印象が強い。アルト・ソロとソプラニーノ・ソロで埋め尽くされた演奏群を聴くたびにその思いを深くする

そして纐纈之雅代。1歳より音楽好きな母と2人の姉の影響でピアノを弾き始め、3歳から音楽教室に通う。15歳でソプラノサックスを手にすると、そこでチャーリー・パーカーの音楽に出会ってしまった纐纈は16歳からアルトサックスへ転向。バップ・イディオムというよりパーカー・イディオムを完璧にマスターした纐纈は本邦の重鎮ベーススト鈴木勲のバンド、秘宝感、渋さ知らズオーケストラ、板橋文夫オーケストラと日本のトップ・グループに確かな爪痕を残すことになる。

纐纈はあるインタビューに答えて「もともとチャーリー・パーカーから入ったので、スタンダードなジャズが好きなんですよ。他にはアート・ペッパー、リー・コニッツなど、よくコピーしました。でも、スタンダードを吹いてる時からフリージャズっぽいと言われていて、初めはそれがすごくいやでした。フリージャズ自体はさほど興味がなかったんです。あえて言えば、ジョン・コルトレーンってよく、前期と後期に分けて語られますが、私は特にスピリチュアルに傾倒していく晩年の方が好きなので、フリージャズを好きになる要素はあったと思うんですけど」とそのジャズ遍歴の一端を語っている。

そして本アルバム。纐纈が初手合わせとなるメンバーとの間に一切のリハーサル無しで臨んだこのセッションは、スポンティニアスでスリリングなインタープレイにより生じた時空間に自己の精神と肉体を解放してゆく爽快感に溢れている豊穣のドキュメントなのだ。

潮田のギター・イントロから始まる01の<St. Louis Blues>で聴かれる纐纈はフレーズこそデフォルメされているがパーカー直系を思わせるアルトの音色が艶めかしく、潮田の硬質なギターが絡みつく展開が新鮮な感動を呼ぶ。02の<如意ン棒OUT>は 08の<如意ン棒IN>と対を為すもので、4人による緻密な集団即興演奏は正に精神の解放と言えるだろう。02は落合のベースが呈示する変幻なビートに乗せて時空が歪みながら進展してゆく。落合の深遠なベースが伴走する次の03<あやめ>では纐纈のアルトの色気はメロディアスな中に絶頂に達するようだ。オーネット・コールマン作の04<Lonely Woman>におけるアルトの深い咆哮が創り出す空間美はこのアルト奏者の末恐ろしいまでの可能性を感じさせる。
続く05<煩悩という名の扉>や06<ひかりのぼくら>というタイトルには然程の意味性を感じないが、纐纈の曲作りの上では聴き手には理解できないsomethingが宿っているのかもしれない。07<へび使いごっこ>では纐纈はソプラノサックスに持ち替え、エスニックな効果を狙っていると共に落合の馬頭琴、宮坂のパーカッションが重要なパートを担っている。4人の一体感が凄まじいまでのエナジーを持続して疾走する08<如意ン棒IN>から、一転して09<月と海>のもたらす静寂とカタルシスはその背景にガムラン的リズムが聴こえて来るゆえに西方浄土の気分さえ孕んでくるようだ。纐纈のアルトの清浄な艶やかさはどこか宗教的ですらある。ラスト10<Beatnik>の噴出する熱量をどう形容したらよいのだろうか。この無限の可能性を秘めた纐纈之雅代が自身の将来へ向けた賛歌のような高揚感に満ち満ちている。

纐纈が果たして阿部薫を聴いたことがあるかどうかを詮索することはこの際全く意味をなさないが、纐纈にとってパーカーは間違いなく原点であり最終到達点であることだろう。本アルバムは纐纈がパーカーの引力圏の中にあって自己解放のプロセスを捉えたドキュメントに他ならないが「唯一無二の存在の“インディーのクイーン”が記録した最高傑作」というキャッチコピーは纐纈がパーカーの真髄に迫るもう一段の高みまで保留しても良いのではないか。『全部、流れ星のせい』と言い逃れはしたくないが。

最後に、残念ながら筆者は訪れたことがないがキングレコードの関口台スタジオという理想に近いスタジオで最新のテクノロジーを駆使し、現状ではベストの高解像度の録音で纐纈とその仲間達の一触即発のプレイが比類なき迄の美しさでヴィヴィッドに捉えられていることに触れずにはおけない。

高橋正廣

高橋正廣 Masahiro Takahashi 仙台市出身。1975年東北大学卒業後、トリオ株式会社(現JVCケンウッド)に入社。高校時代にひょんなことから「守安祥太郎 memorial」を入手したことを機にJazzの虜に。以来半世紀以上、アイドルE.Dolphyを始めにジャンルを問わず聴き続けている。現在は10の句会に参加する他、カルチャー・スクールの俳句講師を務めるなど俳句三昧の傍ら、ブログ「泥笛のJazzモノローグ http://blog.livedoor.jp/dolphy_0629/ 」を連日更新することを日課とする日々。

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