#1421『Genzo Okabe 岡部源蔵/Disoriental ディスオリエンタル』
- ♪ 今月のクロス・レヴュー2
text by Masahiko Yuh 悠雅彦
Challenge CR73442
OKABE FAMILY ;
Genzo Okabe 岡部源蔵 (as)
Miguel Rodríguez ミゲル・ロドリゲス (p)
Steven Willem Zwanink スティーヴン・ヴィレム・ズワニンク(b)
Francesco de Rubeis フランチェスコ・デ・ルーベイス (ds)
1. Opening 2:31
2. Castroni 4:47
3. Stepped on the Sheet 6:23
4. Go Sleep 7:07
5. Ningyo 7:27
6. SMS 4:20
7. Still Blues 4:43
8. Disoriental 06:57
All tracks composed by Genzo Okabe
A&R Challenge Records by Anne de Jong & Martijn Verlinden
Recorded on December 20&21, 2016 at Wedge View Studios, Woerdense Verlaat
Mixed and mastered by Udo Pannekeet
Produced by Challenge Records
ジャズとはいったい何なのか。どんな表現様式として自覚的にとらえることが出来るのか。こうした原初的な命題や課題に真剣に向き合い、かつ自己の全エネルギーを投じることで表現者としての本分を全うしようとしているミュージシャンが何人かいる。岡部源蔵はまさしく、そうした目的に向かって後ろを振り向かずに前進している注目すべき演奏家の1人だ。
本作は、私が2013年5月にJAZZTOKYOのCD評で紹介した『Okabe Family』、および翌2014年に吹き込んだ『Second Line』に続く新作で、昨年12月に Woerdense Verlaat 市(オランダ)で吹き込まれた。念のため繰り返せば、Okabe Family は2009年に発足した岡部源蔵をリーダーとしてオランダを中心にヨーロッパ各国で活動するグループで、8年目に入った。メンバーは発足時と変わらず、スペイン出身のミゲル・ロドリゲス(ピアノ)、カナダ出身で父親がオランダ人というスティーヴン・ウィレム・ズワニンク(ベース)、岡部がペルージャの音楽院卒業後に所属したジャズ・ファンク・バンド「カポリネア」で同僚だったイタリア人フランチェスコ・デ・ルーペイス。すでに8年にわたって活動をともにしているという点では、4人は国籍も出自もそれぞれに違いながらも音楽的に共感し合える間柄であろうし、互いに信頼し合って活動をともに出来る得がたい関係に立っているといって間違いないだろう。
そのスムースな人間関係、あるいは互いに音楽的なアイディアを交換しあいながら音楽的にも人間的にも丁々発止の関係を作り出している4者のプレイヤーとしての在り方から得られる示唆は、決して小さくない。Okabe Familyがハーグを拠点にオランダで活動を本格化させるようになった詳しいいきさつを承知しているわけではないが、オランダでの活動が軌道に乗るや注目度も増し、岡部の添付リポートによれば同国の国営テレビの音楽番組に出演したり、そこで放映された際の本作品の楽曲にも関心が集まっているといった一事からも、このグループがオランダでにわかに大きな注目を集め始めていることだけは間違いない。彼のリポートには、アムステルダムを皮切りにしたオランダ全国のツアーも展開中とあるし、余勢を駆ってこのメンバーで日本でのツアーも視野に入っているというので期待がつのる。彼がハーグでの活動拠点を引き払うとは当分考えられないし、日本で演奏する数少ない機会は岡部を観察する無二のチャンスとなるだろうからだ。
本作の表題は『Disoriental』。この語には初めて接した。オリジナル盤はすべて英語だったが、幸い岡部本人が日本語にして書いてくれた解説の冒頭部分を引用してみたいと思う。
『Disoriental』は、極東の小さな島国で生を受けた作者(岡部自身)が、ほぼ人生の半分を母国から離れてマイノリティーとして生きる中で、アーティストとしての表現を模索した作品である。制作の過程で改めて注目したのは、どんな要素でも吸収して新しいかたちを形成し進化するジャズの音楽的汎用性と普遍性についてだ。
イタリアのペルージャ国立音楽院でクラシックを、オランダのハーグ王立音楽院でジャズを学んだ岡部のサックス奏法は、厳しい基礎的鍛錬をかいくぐって獲得したともいうべき2つの奏法の美質を活かした、実に知的であると同時に野性的な特質を取り込んだ安定した奏法が洗練化されていて、その熟成した実りをいっそうこの新作の各演奏からうかがうことが出来る。加えて、『 Okabe Family 』以上に4者の呼吸が狂いなくそろって、そのせいもあって生ぬるさがかけらもない。演奏の全体から見ると、一定したテンションが保たれて、そこにヨーロッパの厳しい環境で鍛えられた技量や全体を見通す洞察力が活きいきと発揮されるのだ。4者の技量レベルがそろっていて、1つのヴォイスが突出したり、むろん抜け駆け的なプレイをする人もいない。前々作とほぼ同じく、今作では全9曲が岡部源蔵のオリジナル。そのほぼすべてに岡部の ”ディスオリエンタル” 意識が反映されていて興味深い。私がニューヨークで半年暮らしたときとは、およそ格段に違うマイノリティー意識や民族的出自の違いを、岡部は体験したのだろうと想像しないわけにはいかない。そして、先の序奏的論法に続いて、今日、世界の多くの国で音楽教育にまで組み込まれるようになったジャズが、それだけ身近になった反面、岡部の言葉を引用すれば、こうした過程でジャズが制度化されて束縛を余儀なくされ、教育面でカリキュラム化が進む中で思考の標準化が当たり前になれば、<音楽を創ることの意味が、アーティストのアイデンティティを示すことよりも、どれだけ「うまく」見せられるかばかりに集中している(いく)気がしてならない>と結んでいる。同感させられる。
もう余白がなくなった。私の好きな彼の作品と演奏は、何といっても(5)の「にんぎょう(人形)」と、(3)、(4)、及び(7)の「スティル・ブルース」である。
オカベ・ファミリーの来演が実現することを強く望む。